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NO.651                Ryo Onishi              11/4/2008  

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雑貨屋のひとり言

連休は山口県の萩に行ってきました。
このたび親戚となった馬場家の娘さんの結婚式が、北門屋敷(ほくもんやしき)で執り行われました。偶然にも花嫁の名前と私の娘(馬場かおりになった)の名前が同じ「かおり」です。
次は娘の結婚式を大阪で執り行います。さあ準備が大変です。
≪R.O≫

アメリカ大統領選挙

 1年近く、お祭り騒ぎにも似た賑やかさで全米を駆け巡ったアメリカ大統領選挙戦も本選挙が数日後に迫りました。今回の大統領選挙はその結果がどのようであれ、後世まで残る歴史的な選挙として記憶されることは間違いないでしょう。

 かつてエリート支配層の象徴とされた『ワスプ』 (White Anglo-Saxon Protestant =アングロサクソン系の白人でプロテスタント教徒の男性。アメリカ社会の主流をなした初期移民の子孫たちとされる)という言葉は、表面的にはその色が薄くなっているようです。最も“表面的”という言葉の裏には“立て前として”という見えざる影が付きまとっている感がなきにしもありません。

 今回の大統領選挙が一方(民主党)では人種問題という難問を抱え、そして他方(共和党)では当選すれば就任時の年齢が過去最高齢の大統領と初の女性副大統領の誕生という、異例ずくめの選挙ということになります。

 本来、国家の最高指導者は政策や実行力、リーダーシップなどの資質が問われるべきであり、人種や年齢、性別など問題でない筈ですが、現実はそうはゆかないのはどこの国も同じです。

 特にアメリカでは「黒人vs 白人」の選挙の場合、これまでの経験上、事前の世論調査では黒人候補の支持率が実際より高めに出る、との研究結果があります。この現象を「ブラッドリー効果(Bradley Effect)」といわれています。

「ブラッドリー効果」とは、1982年、カリフォルニア州知事選挙に立候補した黒人のトム・ブラッドリー氏(ロサンゼルス市長、民主党)が、事前の世論調査では圧倒的有利な状態にあり、ほとんどのメディアはブラッドリー氏の勝利を予想したにもかかわらず、対立候補であった白人のデュークメジアン氏(共和党)に敗れたのです。

人種差別主義者と思われるのを嫌った一部の白人が、選挙前の世論調査ではブラッドリー候補を支持すると答えながら、現実の投票では白人候補者であるデュークメジアン氏に票を投じた結果とされています。このように白人有権者が黒人候補者に投票するといいながら、本音と建前を使い分け、実際は白人候補者に票を投じる投票行動を政治学者は「ブラッドリー効果」と名づけています。今回の投票行動でははたしてこの「ブラッドリー効果」が現れるのかどうか、有権者の意識を占う意味でもその結果に注目です。

 もっとも今回のバラク・オバマ氏はこれまでの黒人候補者とは完全に異なり、彼の発想はあくまでアメリカ合衆国の代表としての大統領候補であることは明白であるだけに、少なくとも人種問題が選挙結果に少しでも左右されることのないよう、≪本音ベースで≫期待したく私は思っています。

 ところで、今回の大統領選挙(正確には大統領候補者に票を投じる選挙人を選出する「一般投票」)の投票日は11月4日(火)です。この投票日は4年ごと、11月の第1月曜日の翌日の火曜日(11月2日から11月8日)に行われることに決まっています。

この日程がどのような経緯で決まったのかは諸説があるようですが、一般には、もともと農業国であったアメリカでは11月始めが最も農閑期であったこと。また、火曜日としたのは、当時の有権者にとって投票所までの道のりが遠く、安息日の日曜日を避けて月曜日に出発しても火曜日には投票所にたどり着くが出来るから、ということのようです。

投票日を単純に「11月の第1火曜日」とせず、「第1月曜日の翌日の火曜日」としていることに興味がわきます。ですから、選挙の年によっては(11月の第1日が火曜日から始まる場合)投票日は第2火曜日になってしまいます。そんな年に間違って11月1日(第1火曜日)に遠路はるばる駅馬車で投票所へやってきたなどという迂闊(うかつ)者はいなかったか余計な心配をしてしまいます。

実は、先日、私は恥ずかしながら似たような間違いを犯しました。私が参加しているいくつかの月例勉強会の一つ(JACAL)は毎月第2火曜日に開催され、もう一つ(S.B.M.S.)は毎月第2水曜日と決まっています。

そこで私はJACAL(第2火曜日)の翌日(通常第2水曜日)がS.B.M.S.と思い込んでいました。

 先々月(10月)もJACAL(第2火曜日、10月14日)の翌日にS.B.M.S.に出席すべく会場であるホテルのミーティング・ルームへ行ってみたら、誰一人も来ていないのです。不思議に思ってホテルのフロント係りの彼女に聞いてみたら、『ソノMeetingハLast Weekネ!!』 ――― フロント係りの若いオネエサンは、思い切り“笑い”をこらえた様相で私の顔を見つめていました。

私はこの日(第3水曜日)を第二水曜日と感違いしていたことに、その時初めて気付いた始末でした。――― あゝ、我が家からこのホテルまで近い距離でよかった!駅馬車に乗って2日をかけて来る距離だったらどうなっただろう? ――― 私の老ボケも遂に来るところまで来てしまい、極まったようです。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

 

川柳(東京・成近)


 


( 川 柳 )

 処世術受け身ばかりが上手くなり

野次馬の母 その先を駆ける祖母

しみじみと時の流れを鬼瓦

流されてなるか愚直な葦でいる

情に竿差して本流から外れ

( ニュースやぶにらみ )

「定額給付金」
国民への預け金です −3年後の消費税増税

「11月」
師走かと思っていたのに −議員センセイ

「業務委託費で飲食」
サービス業の雇用増加策です −雇用協会

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから


                                                                               

龍翁余話

龍翁余話(55)「ハーモニカ」

翁の会社の役員・K君から、先日『ハーモニカ演奏70周年記念 岩崎重昭 演奏曲集』のCDを貰った。岩崎重昭といえば、川口章吾(1892年〜1974年)、宮田東峰(1898年~1986年)と並ぶ日本ハーモニカ3大奏者の一人。ご承知のようにハーモニカは、1970年代頃までは小中学校で教育用楽器として用いられたし、手軽で比較的簡単に吹けるので、多くの人がハーモニカに親しんだ経験をお持ちだと思う。実は翁も、小学生時代は“ハーモニカ少年”だった。『宮田東峰ハーモニカ教則本』を斜め読みしながらの自己流だったが、それでも(舌でベースをつけ)『荒城の月』、『鐘の鳴る丘』、『みかんの花咲く丘』、『丘を越えて』などを得意げに吹いていた。中学に上がってからは、別の楽器に夢中になったのでハーモニカに触れることはなくなったが・・・

早速、CDを聴いた。『鯉のぼり』、『五木の子守唄』、『荒城の月』、『浜辺の歌』、『宵待ち草』、『忘れな草をあなたに』、『影を慕いて』、『涙の連絡船』など日本の唱歌、民謡、歌曲、歌謡曲(11曲)を岩崎さんが独奏、『カチューシャ』、『ステンカラージン』、『灯』、『トロイメライ』、『チゴイネルワイゼン』などロシア民謡、クラシックの9曲を(岩崎門下生たちによる)“厚木トリオ”とジョイント演奏、全20曲を一気に聴いた。
ハーモニカには、一般的に親しまれている複音ハーモニカのほか、クロマチック(半音階)ハーモニカ、コードハーモニカ(65cmの長さ、アンサンブル用の伴奏専門)、バスハーモニカ(低音、伴奏専門)の4種類(及び、それらの応用形態)がある。岩崎さんのソロ演奏では複音ハーモニカとクロマチックハーモニカの巧みなテクニックが披露されており、
もはや芸術の域。“厚木トリオ”とのジョイント演奏では、コードハーモニカ、バスハーモニカが加わって、更に迫力を増幅させている。時には優しく、時には物悲しく、そして時には歓喜に溢れる演奏法に、ハーモニカの魅力の全てを堪能することが出来た。

岩崎重昭さんは1928年、神奈川県厚木市に生まれ、9歳で初めてハーモニカを手にし、その後ハーモニカの演奏技法や編曲法、指揮法を学び、日本だけでなく欧州や豪州、アジア各地で演奏活動を続けた。1956年に国際ハーモニカコンテストで第1位、1981年にも国際複音ハーモニカコンクールで第1位に入賞。1990年第12回日本ハーモニカ大賞を受賞。自分の演奏活動のかたわら生まれ在所の厚木市を中心に門下生の育成にも励み、国内外のコンテストで上位入賞者を輩出、こんにちの“ハーモニカの町・厚木市”を作り上げた。岩崎門下生は、直弟子、孫弟子を含め、すでに3000人を超えているという。現在、日本ハーモニカ芸術協会理事長や全日本ハーモニカ連盟特別顧問を務めるなど、文字通り、我が国ハーモニカ界の第一人者である。(CDに添付されている氏のプロフィールより)

改めてハーモニカの歴史などを調べてみると、ハーモニカが日本に輸入されたのは明治の中頃(多分、ドイツから?)というから、もう100年の歴史がある。明治の末期、トンボ楽器製作所が国産初のハーモニカを製造発売、日本楽器製造がこれに続いた。大正から昭和初期にかけて若者の間で大流行、各大学でもハーモニカ・アンサンブルが結成されるなど、マンドリン・クラブと人気を二分した。そして、川口章吾や宮田東峰などのプロの演奏家も生まれた。

ハーモニカを主体とした主題曲の映画も幾つかある。翁がまず思い出すのが、あのフランスの名優ジャン・ギャバン主演の『現金(げんなま)に手を出すな』(1954年、フランスとイタリアの合作、主題曲は『グリスビーのブルース』)、アメリカ映画ではダスティン・ホフマンとジョン・ヴォイト主演の『真夜中のカウボーイ』(1969年)、これは第42回アカデミー賞の作品賞を受賞している。また同年に製作配給されたヘンリー・フォンダとチャールス・ブロンソン主演の『ウエスタン』も記憶に残る。いずれも男の哀愁を漂わせる名作(名曲)ばかりだ。

ところで、何でK君が『ハーモニカ演奏70周年記念 岩崎重昭 演奏曲集』のCDを?
その訳を聞いて驚いた。そのCD、「岩崎先生から直接いただいたんです」と言う。何故ならK君、子どもの頃、相模原市の自宅から電車に乗って毎週1回、厚木市の岩崎邸まで通い、直接指導を受けた直弟子であり、小学校の時、東日本や関東のハーモニカコンクール(小学校の部)で優勝した経験を持つとのこと。そして今でも岩崎先生との交流が続いている、というではないか。K君とは(翁が会社を興して以来の)長い付き合いだが、そんな話、初めて聞いた。「僕はもうハーモニカは吹けそうにもありませんが、岩崎先生とのお付き合いは、僕の人生にとって貴重な財産です」とK君は言う。「俺も岩崎さんのライブを聴きたい」と呟いたら「岩崎先生には龍翁さんのことは話してあります。お会いになったら先生も、きっと喜んでくれますよ」・・・お会いする日が楽しみだ。

今朝も、この原稿を書きながら、翁愛用のCDプレーヤーから流れる『ハーモニカ演奏70周年記念 岩崎重昭 演奏曲集』に聴き入って、時々(パソコンの)キーボードを叩く手が止まる。ふと“ハーモニカ少年時代”を思い出す。戦後間もなく、学徒動員(最後の少年兵)から無事に戻った兄が、就職した役所の安月給をはたいて買ってくれたトンボ・ハーモニカを、それこそ宝物のように片時も放さなかったあの頃が懐かしい。もう一度、ハーモニカに挑戦してみようか、という気になる。亡き兄を偲んで、ということもあるが、健康のためにも、いいのでは? 人間は、普段、肺の機能の四分の一くらいしか使っていないという。ヨガの呼吸法はそれを可能な限り高めようとするものらしいが、今更ヨガは出来ない。もしかしてハーモニカで肺の活性化が期待できるのでは? 岩崎先生に訊いてみたい。しかし「健康のためにハーモニカもいいけど、まずはタバコをお止めなさい」と言われるかも・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
 

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

Autumn Leaves
Manhattan Jazz Quintet

一曲一曲が長いアルバムです。。
2曲目のRECADO BOSSA NOVAの演奏はとても小気味よいです。

1 Jordu
2 Recado Bossa Nova
3 Confirmation
4 Autumn Leaves
5 Mood Piece

<R.O.>

編集後記

萩はいいところでした。自動車での移動だったのでずい分時間がかかりました。
ガソリンがずい分安くなってきて助かりました。
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Zakkaya Weekly No.651

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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