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NO.643                Ryo Onishi              9/7/2008  

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雑貨屋のひとり言

また真夏のような暑さに戻ってしまいました。そんな中、大阪、天王寺公園で開催された、タイ・フェスティバルに行ってきました。今月、タイに旅行に行く予定にしているので、タイの雰囲気に触れたいと思ったからです。会場の天王寺公園はものすごい人で驚きました。タイフードを楽しんだりしまいたが、余りの暑さに退散してしまいました。天王寺から電車に乗った途端、大雨になりこれまたびっくりでした。
(R.O.)

あまり知られていないL.A. 観光スポット(209)

Historic Site of the Original McDonald’s
 ファストフードの代表格であり、今や世界中に3万以上の店舗を擁するマクドナルドですが、そのマクドナルドのスタートとなったといわれる場所がロサンゼルス郊外にあります。

ロサンゼルスの中心から約80マイル東、ドライブで一時間半あまりのSan Bernardino市にある「Historic Site of the Original McDonald’s」です。かつてのアメリカを代表したハイウエイ“ルート66”も近くを通っています。
【注】:“Historic ルート66”については、当Zakkaya Weekly #158-162 、および「あまり 知られていないL.A. 観光スポット(50)、(51)」をご参照ください。

 一般的に、米マクドナルド1号店がオープンしたのは、1955年4月にイリノイ州シカゴ郊外ということになっており、今でも記念館として残されています。10数年前、私たち夫婦もシカゴへ旅行した際に訪問したことがあります。

今回ご紹介する、こちらSan Bernardino市の「Historic Site of the Original McDonald’s」へ行くと、マクドナルドの歴史を年次別に記した資料を無料で入手できますが、その資料によると、マクドナルド兄弟(リチャード〈Dick〉とモーリス〈Mac〉)がニューハンプシャー州からカリフォルニアへ来たのが1920年のこと、そして1937年に彼らは最初のレストランである“Airdrome”をオープンさせ、ホットドック、オレンジジュース、コーヒー、お茶などの販売を始めました。

3年後の1940年、“Airdrome”をSan Bernardino市内へ移します。1940年、同じ場所でマクドナルド・バーベキュー・レストラン開店しますが、1948年そのバーベキュー・レストランを閉鎖し、新たに“スピード、低価格、ボリューム”をコンセプトとした、現在のマクドナルドの原点となる「スピードサービス・システム」を特徴としたマクドナルド・レストランをスタートさせます。最初のハンバーガーは15セント、ポテト・フライは10セントでした。

 その後、マクドナルドのビジネスは企業家レイ・クロックがマック兄弟からフランチャイズ展開する権利を買い、現在私たちが良く知るマクドナルド・チエーンの展開が始まることになります。

そしてレイ・クロックが1955年4月、シカゴ郊外のデスプレーンズにオープンさせたのが「マクドナルド第1号店」として広く知られています。ちなみに日本の1号店は、アメリカ1号店から16年後の昭和46年7月、東京の銀座にオープンしました。
 
今回、ここにご紹介するHistoric Site of the Original McDonald’s の建物は 1974年建てられたもので別の目的(ミュージック・ストア)として使われていたもので、オリジナル・マクドナルドとは直接関係ない建物ですが、建物の前には15¢ハンバーガーの看板がそのまま残されています。(写真参照)

 建物の入口には“We don’t sell any 15¢ Hamburgers, but We serve plenty of FREE memories !”(15セントのハンバーガーは販売していませんが、たくさんの思い出を提供いたします)との看板があり、中に入ると、決して大きく広いスペースではありませんが、ところ狭しといろいろな懐かしいものが展示されています。開店当時のマクドナルド関係品だけでなく、ルート66や、1940、50、60年代の風俗習慣などを体験できるもろもろの品物、写真などを見ることができます。古き良きアメリカの一端を知る一見の価値があるところです。

●住   所 :1398 N. E St., San Bernardino, CA 92405
●オープン日 :毎 日
●時   間 :10:00am − 5:00pm
●電   話 :(909) ? 885- 6324
●Web Site :http://www.route-66.com/mcdonalds/

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
(1)FWY#110(北)− FWY#10(東)へ。リバーサイド・カウンティに入って、FWY#215(北)へ。
(2)FWY#215(北)へ入って約4マイル進み、Baseline St.出口でFWYを降り、そのまま議東へ(出口名はBaseline St.であるが、出た道路は13th St.)。
(3)13th St.を0.5マイルほど進み、E- St.を左折(北へ)。
最初の交差点である14th St. との角(左側手前)にMcDonald’s の看板があるので中の駐車場へ入る。
(4)ここまでの行程 ;(Torrance方面からの場合)約80マイル、ドライブ約1時間30分。
  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「」

 

川柳(東京・成近)


先週の「茶番劇」を作り直したのがUSO放送に出ましたので見てやってください。


( 川 柳 )

少年の日の駄菓子屋も路地も消え

あの人も白髪 少年期の女神

忘れ物取りに20才に戻りたい

巡り合いから過去形の恋が揺れ

道草の押し葉に悔いと安らぎと

( ニュースやぶにらみ )

「恒例秋祭」
今年は神輿が4つ5つ出ます −永田町

「危篤」
患者でなくて総合病院が −銚子市民

「売却」
これが最後の仕事かな−私のしごと館

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

 

森田さんから

                                                  

龍翁余話

龍翁余話(47)「アジ釣り」

翁の親友の中に2人、太公望(釣り好き名人)がいる。1人は(時々、余話に登場してもらっている)Cさん。そもそも翁の釣り(興味)のキッカケをつくってくれたのが、このCさんだ。もう1人はSさん、彼とは35年来の付き合いで、翁いわく“愚兄賢弟”の仲。CさんもSさんも、大物を狙って時々、国内外の遠洋フィッシングに出かけている。たまに翁も誘われるが、もともと船に弱い翁、おまけに体力も技術もないから「陸地が見えない釣り場は嫌だ」と断っている。翁の船酔いは極端にひどい。以前、米国のニューオリンズ(メキシコ湾)でレジャー・フィッシング、台湾、沖縄(東シナ海)で巨大サメ獲りを撮影したことがあるが、ことごとくダウン、撮影はアシスタントやカメラマンに任せて、船底で五臓六腑が破裂しそうな地獄をさまよった。それからというもの、船恐怖症に陥り、「俺は金輪際、船には乗らない」と決めていたのだが、6年前、Cさんのお誘いで、恐る恐る「アジ釣り」(相模湾)に参加、ところが船酔いどころか、アジ、サバの大漁で気を良くしたのが翁の釣り好きの始まり。それから数回、アジ釣りやキス釣りを経験した。そして6日(土曜日)、Sさんと3年ぶりの「アジ釣り」に出かけた。釣り場は横須賀の走水(はしりみず)沖(東京湾)。

ところで、翁は船に乗る時は、独自の船酔い防止策をこころみる。いつもだと、起きてすぐコーヒー(2〜3杯)とトースト、果物などをお腹に入れるのだが、釣りの朝は、スプーン2杯のハチミツと水だけ。タバコも吸わない。船に持ち込むのは水(500ミリリットルのペットボトル)2本。それだけで6,7時間も船に揺られるのだから、かなりのエネルギーを消耗するのだが、別段、空腹も覚えないし、過去にそれで船酔いを起こさなかったから、今回もその“おまじない”を断行した。

朝6時過ぎ、走水漁港の駐車場に入る。ここは2度目だ。翁たちが乗る船は前回と同じ『教至丸』(のりゆきまる)。Sさんと船長の教至さん、奥さん(女将)の千春さんは、もう数10年来の友人だそうだ。この日、教至丸に乗る釣り人は12人、うち翁とSさんの甥(大学1年生)のD君以外は、いずれもSさんの業界(コンピュータ)仲間で、その中のMさんは前から知っているが、他の8人は初対面。Sさんからメンバー紹介、そして船上の安全注意と釣り方の説明があったあと、女将から各人に救命具が渡され、全員が装着する。天候は曇り、無風、湾は凪(なぎ)、絶好の釣り日和。7時、さあ、いよいよ出航だ。

港の中央の小山の中腹にある海の守り神・走水神社(守護神はヤメトタケルノミコトと妃・オトタチバナヒメ))が遠ざかると、港の東西が見渡せる。西側には走水海水浴場、東側は防衛大学の海上訓練場と観音崎灯台。この辺りは明治の日清・日露戦争時代、帝都防衛と軍都横須賀を守備する要塞としての役目を担い、走水砲台が設置されていた。防衛大学敷地の隣の京急観音崎ホテルも旧砲台跡に建てられたもの。そして、ここ走水沖一帯は、東京湾でも屈指の急流地帯だ。その急流(水が走る)から“走水”という地名になったのではあるまいか。大分県・豊後水道も急流だ。そこで獲れる通称“関アジ、関サバ”は全国的に知られる1級品。Sさんの説明によると、ここ走水沖のアジ(マアジ)は、“関アジ”に負けず劣らず“大きい、美味い”を誇っているとのこと。Sさんは以前、51センチの大物を釣り上げたそうだ。
余談だが、大分県に“琉球料理”がある、と聞いて、どんな料理か、友人に問い合わせた。マグロやサバ、アジ(所によってはイワシ)などの生身を薄めに切り、ミリン、醤油、砂糖を合わせたものにすり胡麻を加えた汁に漬けて、それを温かい御飯にのせ、ネギや青ジソを刻んで薬味にして、混ぜながら食べる料理で、これが滅法に美味い、と友人は言う。が、青身の生魚を食べられない翁、永久にこの“琉球料理”に出会うことはあるまい。で、何で“琉球料理”というのか、そのことは友人から回答は得られなかった。

さて釣果は、翁を除く全員が大・中15尾前後を収獲。特に初心者のD君は14尾も釣り上げたそうだ。エサは“赤タン”(イカを小さく刻んで赤色に着色したもの)と、ミミズのような“青イソメ”が用いられる。2個の釣り針から2メートルほど上の糸に行灯(あんどん)のような形をした金網(アンドンビシ)が取り付けられ、その中に、コマセと呼ばれるイワシのメンチを8部方入れ、海に落とす。コマセは撒き餌だ。約60メートルの海底から1〜2メートル上で揺するとコマセの棚が出来る。そこにアジが集まり、2本の針の、どちらかに(あるいは2つ、同時に)食いつく。竿の先端が、波のうねりとは異なる小刻みの動きを示す。魚がヒットした合図だ。リールでゆっくり巻き上げる。と、こう書いていると、翁、まるで一人前の太公望に思えるだろうが、実は、餌付けから、釣り上げた魚の始末までSさんに面倒をかけた。第一、ミミズ(青イソメ)がダメだ。釣り上げた魚も掴めない。ましてや魚の口にめり込んだ針を抜く(はずす)ことも容易ではない。そんなことでは釣りをやる資格はないよ、と咎められること必定だ。でも、Sさん、イヤな顔ひとつも見せず、世話を焼いてくれた。感謝この上もない。

感謝、と言えば、翁、7尾(大3尾、中4尾)を釣った後、疲れてリタイヤ、終わり時間2時まで、1時間以上も眠った。その間、Sさんが(翁のために)2尾のアジを開きにして天日で干してくれていた。翁の料理が出来ない、生魚が食べられない、を知っての厚意だ。嬉しいではないか、Sさんの友情と走水アジの味を噛み締めながらいただくことにする。お礼に、翁の獲物はSさんに差し上げた。”おまじない“が効いて船酔いもなく帰港、女将さんが用意してくれていた冷たいお茶、和菓子、煎餅の美味しかったこと。なお、帰り支度が整ったあと、ハンディ・トランシーバー(アマチュア無線)でCQ(呼びかけ)を試みたが、不発に終わったことは残念至極。次回は釣りも無線も、もっと腕を上げて挑戦しようと新たな意欲が・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

みなさんジャズシンガーそしてジャズピアニストでもある、綾戸智恵は知っておられると思います。今週は彼女のアルバムをはじめて紹介します。彼女のコンサートに行ったことがありますが、ジャズそのものも良かったのですが、彼女のおしゃべりのほうはもっと楽しめたと思います。
2007年9月10日、50歳になった日から、芸名であった「智絵」から本名の「智恵」としています。このアルバムはそれを記念してリリースされたんですね。

綾戸智恵 Fifty

1 愛の讃歌 (If You Love Me (Really Love Me))
2 オールウェイズ・オン・マイ・マインド (Always On My Mind)
3 愛のフィーリング (Feelings)
4 ウィル・ユー・スティル・ラヴ・ミー・トゥモロウ (Will You Still Love Me Tomorrow)
5 セ・シ・ボン (C'est Si Bon)
6 炎のランナーのテーマ (Race To The End)
7 行かないで (If You Go Away)
8 そして今は (What Now My Love)
9 グリーンスリーブス (Greensleeves)
10 トライ・トゥ・リメンバー (Try To Remember)
11 スワニー (Swanee)
12 ソリティア (Solitaire)
13 トゥ・ラヴ・サムバディ (To Love Somebody)
14 ハートブレイク・ホテル (Heartbreak Hotel)
15 遙かなるアラモ (The Green Leaves Of Summer)
16 カム・イン・フロム・ザ・レイン (Come In From The Rain)
17 家路 (Going Home)

<R.O.>

編集後記

福田首相の突然の辞任は驚きましたねー。なんでこうなったんでしょう?私たちは一体何をすればいいんでしょうか?
一月ぶりにヨガ教室が再開しました。久しぶりだったのできつい感じがしましたが、血液の循環が良くなったと思います。
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Zakkaya Weekly No.643

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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