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NO.610                Ryo Onishi              1/20/2008  

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雑貨屋のひとり言

先週から寒くなっていますが、みなさん風邪など引かずに元気で過ごしていらっしゃるでしょうか?今日、私はお昼前から一万歩を歩きました。途中、おいしそうな中華料理のお店があったのでお昼を食べようと思ったのですが朝食が遅かったのであまりお腹が空いておらず、しかたなくお持ち帰りをしました。寒い中、歩いて帰った後のこの料理はとてもおいしかったです(R.O.)

L.A.東京会新年会

当地ロサンゼルスとその周辺の日本人・日系人が集まってつくる都道府県人会による新年会が今年も賑やかです。

当地には一時滞在者を除いても数万人の日本人・日系人(米国籍取得者を含めて)が住んでいます。中には日本へ行ったこともない日系三世、四世といった人もいれば、祖国(日本)を離れて数十年、いまだに心の奥に望郷の念を秘めて暮している人も多いようです。
 
このような県人会の中には長い移民史とともに歴史を誇る会が多く存在しています。最も長い歴史を誇るのが鹿児島県人会であり、既に108年の歴史を誇っています。熊本、宮城、三重、長野県人会も数年前100周年を迎えました。さらに沖縄、福岡、長崎、広島、和歌山、福島県人会など多くの県人会が続いています。

東京で生まれ育った私が所属する「L.A.東京会」も1月12日(土)に総会を兼ねた新年会を行いました。一世紀の歴史を誇る数多くの県人会に対し、L.A.東京会は1998年10月に設立されたばかりの会であり、まだ、わずか10年ですが「郷里意識の希薄な」東京の仲間たちが“10年間も”会を維持しているわけであり、決して卑下することなく、胸を張って頑張っています。

ただ、よその県人会は数百人単位の会員のところもあるのですが、わが「L.A.東京会」はようやく会員数は95名になったところです。それでも、今年の10月に十周年を迎えるにあたり、私たちは10月26日に記念行事を挙行すべく、昨年から「L.A.東京会設立10周年記念行事準備委員会」を立ち上げ、準備にとりかかっています。

さて、今年の「L.A.東京会」の新年会も例年と同じ会場(ただし昨年11月にオーナーシップとマネジメントが代わったため、「ホテル・ニューオータニ・ロサンゼルス」から「キョウト・グランドホテル・アンド・ガーデン」へ名称変更)で行いました。集まった会員の中には1年ぶりに再会する人もいたりして、過去一年の無事を喜びあう微笑ましい光景が展開していました。

今年はアトラクションとして新年に相応しく琴の演奏家にきてもらいました。(写真をご覧ください)

 東京の場合は少々事情が異なりますが、海外の各県人会とは、誰にも遠慮することなくお国訛りで故郷を語り、懐かしい故郷の民謡を合唱できる、一番身近な故郷であり、心のよりどころともいえるのではないでしょうか。

  河合将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り 言「念」

“今”の下に“心”を置いて「念」というこの字、多くの人は新しい年の初めに心に描かれた文字の1つだろう。過去への想いではなく、未来に向かって“今”の想い、つまり希望、期待、目標あるいは願いといったようなこと、特に身近なものとしては、年初の「今年の抱負」などと呼ばれるようなものに近い。それを言葉、絵、音楽などといった形に表現するのが、書初めとか、弾き初めとか、といわれるものだと思う。さて、今年あなたは何を想っただろうか。

今年何を想ったかということでは、抱負や念という意味の想いを漢字一字で表現し、毎年1月2日に書初めをする、私にとってはお正月儀式のひとつ。そしてその一年間、その紙を自分の部屋の壁に貼っていた。初心忘るべからざるとはよく言うが、こうやって初年度の念を簡潔に一字で表し、毎日の生活の始まりや終わりに、自分の眼でそれを見ることで、その言葉をレンズとして自分をかざされるような想いで過ごす。羅針盤であったり、評価軸であったり、励みであったり、慰めであったり、または喜びであったりする。今年も遅ればせながらその儀式をやった。今年のそれは「信」、その想いは、自分が生まれ生かされている証を信じる、真実なる自信の確信に触れたい、というもの。

ところで、先日、あるプロジェクトを共にするメンバーの集いで、この新年の“想い”を一字で表現するという話題で盛り上がった。メンバーの想いを表現するものとして出てきた文字の中には、「造」、「益」、「旅」、「的」、「実」、「粘」、「喝」、「創」などがあった。それぞれに、「造」・・・製造現場への原点に帰る自分の課題、「益」・・・利益有益という視点軸にした生活や仕事、あるいは益のためにお客にNOと言える仕事、「旅」・・・公私共に色々な意味での旅の探求、「的」・・・的を射る仕事のやり方、「実」・・・ひとつの節目としての成果物創出、「粘」・・・忘れかけているものへの執念、「喝」・・・設計や技術に対する“気合”、そして「創」・・・人もモノも環境も共生するための創造、などというものだった。新しい年があけて間もないということもあるかもしれないが、そこに集った人それぞれが、自分の生活や仕事を通して、今の心、“念”が表されているものだと感じた。このように、年の初めに、もしくは何か特別なイベントの折に、その時点の心(想い)を一文字に表現したり、それを共有することは、案外面白いものだと思った。 

さて、時という概念は色々あるだろうが、ギリシャ人の時の概念のひとつに、点の集合体の時間軸(線)というものがある。私たちが線引きをする時の時間軸は、一点の集まったものと言う認識だ。今という一点一点が繋がって、ひとつの線になる、という視点で“念”という漢字を考えると、人と言うものは、今の自分の心にある想いが明日の点、そして自分の生きる線を創るのだなと、連想したりする。そんなこんなを考えると、私たちがよく使う“念じる”という言葉には、私たちの意識する以上の力(パワー)、魔法(ミラクル)のおまじないが潜んでいるのかもしれない。何事も今、過去ではなく今の、自分の心(想い)を強く熱くもつことが、明日の自分を創るのだと思う。念じるとは、神や仏に対してではなく、今の自分の心に真実に向かい合うこと、その心なのだろうな・・・っと、つぶやく、さくらの独り言。

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )

上げ底の持論社説の斜め読み

伸びきった天狗の鼻の骨粗鬆

上っ面撫でて第三者の助言

本音まだ修正液の下に置く

油揚げを浚っていったのはカラス

( ニュースやぶにらみ )

「通常国会」
今度はガソリン国会か −前給油国会

「新テロ法採決に欠席」
小沢さんもやるなぁ −朝青龍

「モデルが判明」
にっこり −モナリザ

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

 

森田さんから

                   つづく                   

龍翁余話

龍翁余話(17)「読書」

寒い日が続く。寒さに弱い翁、加齢とともに、いよいよ寒さが骨身にこたえる。おまけに(何を食ったか)数日前からジンマシンにやられ、体中、引っかき傷が絶えない。外出も億劫で家に閉じこもりがち。毎年「今年こそは」と意気込みだけでも沸き立たせなければならない新春としては、まことに情けない不調な出足だ。しかし、心身が萎えたまま貴重な日々刻々を無駄にしたくはない、と思い、読書に耽った。

その1つが、親友Kさんに薦められた藤沢周平の『密謀 上・下』(新潮社)。もともと、Kさんは藤沢ファン。一方、翁は藤沢作品が好きではない。あの陰鬱で理屈っぽい藤沢作風が翁の性に合わない。しかし、「龍翁さんの好きな直江兼続(なおえかねつぐ=上杉景勝の執政)が主人公ですよ」の一言で早速、本屋で買い求め、読んだ。面白い!・・・藤沢周平のことも作品のことも、ろくに知らないくせに、1,2冊読んだだけで、陰鬱だの、理屈っぽいだの、軽率な批判をするものではないな、と、翁、反省しながら『密謀』に没頭した。昨年読んだ『天地人』(火坂雅志著)と重なって、戦国大名たちの謀略(駆け引き)、権力欲の渦巻く中、ひたすら上杉謙信の“義”を貫いた兼続の生き様(利で動く者は、利に滅ぼされ、義で動く者は、義に救われる)が、より鮮明に、より新鮮に翁の心に響いた。

もう1冊の本、福岡に住む親友Mさんから薦められた『千年の祈り』(アメリカ在住の中国人女流作家・イーユン・リー著、篠森ゆりこ訳、新潮社)。離婚した娘を訪ねて中国からアメリカへやってきた老父が、娘との埋められない感情的溝で心を痛めている中、ある日、公園で出逢った婦人に恋心を抱く。早い話が“老いらくの恋”だ。老父は、その婦人に胸の内を明かしたいが、思うように英語で話せない。そこで彼は、中国語で『修百世可同舟』(シウ パイ セ クウ トン ジョウ)を語る。誰かと同じ舟に乗るには、300年祈らなくてはならない(長い年月の祈りがあって、人は本当の出会いに辿り着く)と作者は解説しているが、“祈る”という文字が見当たらない。そこで翁、さっそく台湾の朋友C氏=元大学教授)に問い合わせた。彼いわく「修百世可同舟は、朱子(1100年前の中国・宋時代の儒学者)の言葉。修は、全霊を傾けて(学問や仕事に)励むこと。それは生半可なものではなく、その人の持つ全魂をぶっつける激しい情熱であり祈りでもある。百は、単なる100ではなく多くの数を意味する。世は世代、世紀。可は、成る・・・・」さらに「人間の持つ誠心(思い)と努力が、不可能と思われる物事を可能にする」と付け加えてくれた。

その意味から言うと、『精神一到、何事か成らざらん』(精神を集中させて物事にあたれば、
どんな難事も出来ないことはない)という諺がある。(英文ではWhere there is a will, there is a way=意志あるところに道がある)これも、たしか朱子学の教えではなかったかな?
ともあれ、翁、この『修百世可同舟』が気に入って、今年2回目の書初めとして色紙に書きとめた。

あまりにも気合いが入らない1月、と思っていたが、親友Kさん、Mさんのお薦めによる本のお蔭で、やっとエンジンがかかりそうな翁、まだ完治しないジンマシンを抱えたまま、昨日、今年2度目のゴルフに出かけた。『修百世可同舟』をもじって“雖然修百世不能随意高爾夫球”(幾ら歳月をかけたといえども、ゴルフは意のままにならず=翁流中国文)それがゴルフ(高爾夫球)だが、意のままにならないところがゴルフの魔力かもしれない。その魔手に引っかき回されて昨日のゴルフはさんざんなスコア。しかし、“精神一到”によって、バンカーショット(砂場からの脱出)に対する苦手意識がなくなったことは何よりの収穫。だから、また挑戦したくなる。もはや翁“修百世”とはいかないが“修百日”なら、仕事にゴルフに交友に、まだまだ誠心を注ぐ情熱と努力(意欲)は残されている。生きてきた証(あかし)を掴むまで祈り続けよう、っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズの魅力−今週のお奨めジャズ

Roland Hanna Trio   "Dream"
軽快なピアノジャズはいかがでしょうか?デトロイトが生んだジャズ・ピアノの巨匠、ローランド・ハナのレギュラーメンバーによるピアノ・トリオのアルバム。ローランド・ハナがずっとあたためてきたアイデアでdream/夢をコンセプトに"夢"にちなんだ曲を集めて演奏しているアルバムだそうです。
このアルバムは彼がなくなる一年前(2001年)に発売されています。


1 When I Grw Too Old To Dream (04:59)
2 Street Of Dreams (04:17)
3 You Steped Out Of A Dream (06:04)
4 Day Dream (06:39)
5 This Time The Dream's On Me (05:36)
6 Skylark (04:33)
7 I Hear A Rhapsoduy (06:06)
8 Dream (05:12)
9 So In LOve (04:31)
10 Dream Dancing (05:35)
11 A Sleepin' Bee (04:27)
12 You Do Something To Me (05:51)
<R.O.>

編集後記

最近、TSUTAYAへはご無沙汰です。それにしてもTSUTAYAから頻繁にキャンペーンのメールがきます。年がら年中半額セールをやっているような感じがします。しばらくはいっぱい貯まったジャズを楽しみたいと思います。
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Zakkaya Weekly No.610

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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