龍翁余話(12)「柿談義、再び」
「柿談義、再び」という題名にしたのは、実は、昨年の今頃、もう一つのエッセー『龍翁の独り言』(第42号)で「柿」を書いたからだ。まずは、その冒頭を抜粋する。
翁の柿好きは(親戚や友人の間では)かなり有名だ。毎年この時期、我が家は柿を絶やしたことがない。朝は生柿1個、夜は干し柿を2個食べる。硬い生柿は当然新鮮で、まさに秋の味覚、軟らかく熟せばスプーンで食べる。これがまた実に甘く、美味い。柿にはビタミンCやカロチン、ミネラルなどが多く含まれているから翁の冬の栄養源にもなっている。「柿が赤くなれば医者が青くなる」と言われるほど、柿の栄養価は高いそうだ。
|
翁が(ほぼ毎週土曜日に)行く千葉・成田のゴルフ場近くに農家が軒を並べている。11月半ば頃から今にかけて、そのほとんどの農家の垣根から、赤く色づいた鈴なりの柿の実が、道端にまではみ出している。その風情を楽しみながらゴルフ場に向かうのだが、時折“あの柿をちぎりたい”衝動に駆られる。“ちぎる”とは、翁の郷土(大分県)の方言で、柿、梨、ザクロ、桃、など木にぶら下がる果実をもぐことを“ちぎる”という。長年、東京に住み、長年、仕事(映像製作)の関係で、役者やナレーター、アナウンサーに発声、発音(アクセント)など正しい声の演技を求めて来たことで、翁の言葉は、りっぱな標準語になっている(?)と思い込んでいるのだが、この“ちぎる”だけは、譲らない。実は大辞林(辞書)で調べた。「ちぎる」は「千切る」・・・“手先で細かく切ってバラバラにする“、さらに”無理にねじって切り取る“、この辺りの解説から“ちぎる“が単なる大分方言でないことが何となく明かされる。そして、嬉しいではないか、最後の解説に“柿の実を、ちぎる”と出ているのだ。それを知ってか知らずか「“ちぎる”の方が、“もぐ”より、体感的意味合いがありますね」と妥協してくれる友人もいる。「体感的意味合い」まさに、それだよ、と、翁、ほくそ笑む。
先日、北信州の友人(以前、『龍翁の独り言』にご登場いただいた“ホテル・パノラマランド木島平”の滝澤社長夫妻)から、枝に4つの実がぶら下がっている柿(枝つきの柿)を頂戴した。これは感激!さっそくリビングルームの、ある植木鉢の土の中に差し込んで、毎日眺め楽しんでいる。「俺が、ちぎりたい時に、自由にちぎれる」その独占感が、何ともたまらない。もう、成田の(農家の)柿をちぎりたがる必要はない。
さて、再び『龍翁の独り言』{第42号)「柿」から抜粋する。
世界一美味しい柿は、日本中沢山ある。甘柿では、岐阜県巣南町が原産といわれる「富有」(1857年)、それより古く静岡県那智で生まれた「次郎」(1844年)、比較的新しいものでは滋賀県大津市の「西村早生」(1953年)。ここで故郷自慢を一つ・・・大分県日田市に隣接する地に福岡県うきは市杷木という町がある。11月初旬から12月初旬にかけて大分自動車道を走ると、両側に延々と、真っ赤に鈴なりに実った「富有柿」を見ることが出来る。それはもう“柿の王国”そのものだ。それもそのはず、「富有柿」の生産は全国一を誇っている。宮本武蔵と巌流島の決闘で敗れた佐々木小次郎が、播磨(兵庫県)姫路から持って来て植えたのが始まり、と言い伝えられているが、それはともかく、その柿が毎年、翁宅に届けられる。原産地・岐阜には申し訳ないが「杷木の富有柿」は味もまた日本一、と翁は思う。
今年は、「杷木の富有柿」の到着が(10日も)遅い。待ちきれず、ゴルフの帰り道にある農協の販売所で「千葉の富有柿」を買った。それなりに美味い。そして、待ちに待った「杷木の富有柿」が、遂に昨夜、故郷の姉から送られて来た。さっそく味見、ひとかぶりした直後の一声「うわー、柿だあ!」。姉にお礼の電話を入れた。柿好きの弟思いの姉「遅くなってごめんね。でも、私のせいじゃないよ、天候の具合で農家の出荷が遅れたのよ」との言い訳。翁は、そんなことは構わない。ひたすら感謝の気持ちを伝えたかっただけだから。ともあれ、信州の枝つき柿、千葉の富有柿、そして、杷木の富有柿に囲まれた今、翁の心は秋満喫。“晩秋の、全ての味わい、柿に在り”・・・っと、ここで結ぶか『龍翁余話』。 |