10年前の1997年8月、私は日系企業のロサンゼルス駐在員として親企業の規定に従い、満60歳で定年退職しました。
日本の国語辞典によると、定年とは「法規・規則によって退官・退職すべく定められた年齢(岩波書店、広辞苑
第二版)」とあります。最近は日本でも定年イコール人生の終点というネガティブ・イメージにとらわれる考え方は少なくなっているようで、定年後は第二の人生のスタートとして積極的に生きようとする人が多くなっているようです。
でも、私がビジネスを引退した10年前ころ、日本(人)の間には、必ずしも「定年=第二のスタート」といった発想がまだ定着していませんでした。
私が企業定年を迎えても日本へ戻らず、ここ米国に居残ったのも米国流ポジティブ発想(ビジネス引退は第二の人生のスタートである)に魅入られたことが要因の一つであったわけです。
およそ定年という制度が存在するのは、サラリーマンの世界ぐらいのもので、それも日本など、ごく限られた国にしかない特殊な制度です。現に、ここアメリカで企業が無条件にそんな制度を作ったら、年齢差別で訴えられてしまいます。家庭の主婦にも定年はないし、人生そのものに(恋愛にだって)定年はありえません!
あれから10年、私は定年退職という折角のこの機会を前向きに捉え、「定年とはたった一つの人生を二回以上、有効活用出来るよう神から授かった特権である」と勝手に定義し、前向き発想で生きるよう務めてきました。そしてこの8月(2007年8月)、間もなく70歳の区切りを迎えようとしています。
先日、私たちの仲間内の皆さんへグループの幹事さんから次のようなメールが発信されました。
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(前略)
皆さま、いかがお過ごしでしょうか。今年も半分を過ぎ、また暑い夏がやって参りました。
8月生まれは美男美女ばかり!・・・の中のお一人、河合さんの70歳のお誕生日の夏でもあります。
今年は、たいへんお目出度い『古希』を迎えられたわけです。
そこで、会のフルメンバーで、古希のお祝いをして差し上げたいと、実行委員が下記のように計画を致しました。どうぞ皆さま、お忙しいこととは存じますが、万障お繰り合わせの上、ご参加をお願い申し上げます。(以下略)
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『古希(古稀)』とは国語辞典によれば『数え年70歳のこと。また、その祝い。杜甫「曲江詩」の「人生七十古来稀」に由来するという』とあります。現代は「数え年」の時代ではなく「満年齢」の時代ですので私もここで“めでたく”古希を迎えるわけです。
私のために祝いの席を設けてくださった皆さんに対し感謝感激です。(少々複雑な心境でもありますが・・)
中国、盛唐期の詩人である杜甫(712〜770)の時代の平均寿命はどれほどだったか知りませんが、仮に「人生五十年」、40歳を「初老」と称した時代であったら確かに70歳は「古来まれなり」と言えたかもしれません。
しかし、今や日本人の平均寿命は男性79.00歳,女性85.81歳(日本の厚生労働省が2007年7月発表した平成18年「簡易生命表」による)であり、これによると男性の20.6%、女性の43.9%が90歳まで生きる計算になるのだそうです。
仮に「人生50年」と「人生82.4年(男性79.00歳,女性85.81歳の平均値)」を比較すると今の寿命(82.4年)は「人生50年」に対し1.65倍長くなったことになります。
この計算でゆくと、古希は70X1.65=115歳となり、これなら今でも「古来まれ」といえましょう。
逆に言えば、今の寿命に0.6掛けしたものが「人生50年」時代に相当することになります。(50÷82.4=0.61)
長寿の祝には古希の他に還暦(60歳)、喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)、卆寿(90歳)、白寿(99歳)、百寿(100歳)などがありますが、これらも今の時代に合わせると、それぞれ0.6を掛けなければならないかもしれません。尤もそうすると文字(喜、傘、米、卆、白、百)と数字の意味合いが合わなくなってしまいますが・・。
まあ、理屈はともかく、私も古希まで無事に生を永らえたのですから、「古来まれ」と言われる生き甲斐を見つけ、これからは第二の人生を超えた第三に人生に歩を踏み入れようと思っています。
これまでの人生を与えてくださったすべて人々、森羅万象に感謝しつゝ。
河合将介(skawai@earthlink.net) |