――― 前々号より続く ―――
最近、私たちの周囲でも「地球温暖化」、「地球環境問題」などの言葉をよく聞くようになりました。私たちの地球に、私たちと子孫にとって見過ごせない事態が迫りつつある認識が広まっていることは確かです。
ところで、これら地球環境や温暖化についての問題提起について私は大きく次のように整理して考えることにしています。
(1)CO2、フロンガスなどの増加による温室効果現象、温暖化、オゾン層破壊などの地球環境破壊の進行。
(2)地球上(地下資源を含む)の資源の使いすぎによる資源の枯渇。
上記(1)、(2)とも相互に密接な関係がある問題ですが、私たち個人レベルで何をすべきかを考えるとき、(1)と(2)に分けて考えた方がわかりやすいと思っているからです。
10年前(1997年)に議決された京都議定書では、地球温暖化の原因となる温室効果ガス(二酸化炭素、メタンなど)についての先進国での削減目標を定めましたが、それではこの議定書目標を達成するために私たち個人は何をしたらよいか、私には定かではありません。
私のような単純人間に言わせれば、人工的に増加させてしまったガスなら人工的に減少させる装置を作ったらよいではないか(例えば二酸化炭素が増加したなら、これを酸素と炭素に戻す装置を作って世界中に設置すれば、世界中の二酸化炭素が減って酸素が増える)などと乱暴なことを思ってしまいます。
人間(家畜なども含む)が地球環境のバランスを崩すような有害物質を排出したり増加させたというなら世界の叡智を総動員してバランスを戻す装置を開発すればよいのです。
私たちが自動車を乗り回し排気ガスを撒き散らし、冷暖房などに電気を使うことなどの積み重ねが地球上の有害ガスを増加させ温暖化の一因になるのでしょうが、地球レベルの大きな問題を個人レベルで理解・認識しようとしても難しいことでなかなか切実になりません。
そこで、私は上記(2)の側面からこれらの問題を考えることにしています。数百万年かけて地下に貯えられたといわれる石油の原料を私たちは数百年で使い果たそうとしています。最近の資源の大量消費状況は地球資源の観点から明らかに異常な状況といえそうです。
地球上には衣食住に恵まれず、生命の危険に瀕している人がたくさんいる中で、私たちほんの一握りの“恵まれた”環境の人間が贅沢三昧とも言える消費生活を送っていることを自覚することがすべての第一歩だと私も遅まきながら気付きました。私たちの小さな無駄の積み重ねがかけがえのない地球の寿命を縮めていることを自覚し、有限である資源の有効活用にもっと注力するための輪を広げられたらと思います。
一昨年来日しアフリカで緑化運動を進めたノーベル平和賞受賞者ワンガリ・マータイさんが『もったいない』の発想を紹介し大きな反響を呼びましたが、私たちはここでもう一度『もったいない』精神をかみ締めることから始める必要がありそうです。
日本語辞典によると、そもそも「もったい」とは「勿体」または「物体」と書き、「そのものが本来持っている価値」のことを言うようです。そしてその価値をまっとうできないで、中途半端にうち棄てられることを「もったいない」というのだと知りました。
本来日本人は世の中のすべて、即ち森羅万象に神仏が宿り、故になにものも粗末にしてはならないという思想を持っています。『もったいない』は、そんな日本古来の思想の現われなので
はないでしょうか。お米一粒にも無駄にしない思いが我々日本人にはありました。お釜やおひつの隅、駅弁の蓋に付いているご飯粒も粗末にしませんでした。これは決して吝嗇(けち)だからではなく、「もったいない心」のあらわれだったと思います。
私も日本人の端くれとして「もったいない」の精神の実践を心掛けようと思います。
河合将介( skawai@earthlink.net )
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