偶 成 朱 熹 作
少年易老学難成(少年老い易く学成り難し)
一寸光陰不可軽(一寸の光陰軽んず可からず)
未覚池塘春草夢(未だ覚めず池塘春草の夢)
階前梧葉已秋声(階前の梧葉已に秋声)
[口語訳一例]
人間は誰でも若い時代は時の経過が早く、いつのまにか年をとり、それに反して学業はなかなかに成就しないものである。それ故わずかな時間でも無駄にしてはならない。池のほとりの堤に萌え出る若草のような青春時代の夢がまだ覚めきらないうちに、階段前の青桐の葉は、はやくも秋風に吹かれてさびしく音をたてて散っている。 |
ちょうど10年前のこの欄(1996年12月7日発行、雑貨屋News Letter
No.30)に私は『年とともに月日の経つのが早く感じるのはなぜ?』というテーマで書き、そこで一冊の書物(織田一朗著
「時計の針はなぜ右回りなのか」 )を皆さんに紹介しました。
我々は年を重ねるにしたがい、社会的に責任が多くなり仕事や家事・社会活動に没頭するが故に“光陰矢のごとく”感じるのだと思っていましたが、実はそれ以外にも心理学の側面からみた学説があることをその本から知り、次のように書きました。
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フランスのある心理学者は、「人間の心理的な時間は、その人の年齢の逆数に比例する」と主張しているという。即ち、「10才の子供にとって
1年とは 過去の全人生の 1/ 10( 10分の1) だが、50才の人にとっては 過去の全人生の 1/
50(50分の1)にしか過ぎず、その分時間が早く感じられる――50才の人の一年間は、10才の時の 1/ 5(5分の1)にしか感じない。」
と主張しているのだそうです。
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最近こちらの日本語テレビ見た「トリビアの泉」という番組で、上記の説は“ジャネーの法則”と呼ばれているものと知りました。
時間はすべての人間に平等に与えられているものでは決してなく、加齢にしたがい心理的には経過速度が増してゆくもののようです。
上記、朱熹先生の詩のように“少年が老い易い”なら私などシニア年齢者の老いの進行など超特急並みということになりましょう。子供なら1時間も遊べば充分時間を過ごしたと感じたであろうに、最近の私は誰かと飲みに行っても1時間では終わらず都度午前様は当たり前のようになっています。相手が女性だったら時間の経過は“超特急”どころか“ハイパー特急”並みの速さです。これも“ジャネーちゃん(ジャネーの法則)”のせい(?)なのかしら。
もっと 1日1日を大切に過ごしていかなくちゃ。ちょっとだけ反省したりもしています。
河合 将介(skawai@earthlink.net)
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