追悼の詞 安達漢城作
人生夢の如く 亦(また)烟(けむり)の若(ごと)し
君逝いて茫々 転(うたた)暗然
髣髴たる温容 呼べども答えず
大空漠々(ばくばく) 恨み綿々(めんめん) |
私の詩吟の先生(師範)が急逝されました。私の所属する詩吟の会(流派)は南カリフォルニアにいくつかのクラスを開いており、何人かの師範が分担して会員の指導をするシステムになっています。
私は週一回、月曜日に主任師範のご自宅のクラスへ通っています。主任師範はMrs.も師範であるので、私の場合は毎回ご夫妻から詩吟を指導してもらっていました。そのMrs.のほうが11月5日(日曜日)の夕方、突然脳溢血で倒れ翌日帰らぬ人となったのでした。まだ75歳でした。
私は趣味のデジカメで年一度自分のクラスの授業風景を撮影することにしており、今年の撮影日はたまたまMrs.急逝日の一週間前でした。
先生ご夫妻を中心に授業が進行する様子をカメラに収め、自宅に戻ってから編集、クラス全員分をプリントしておき、翌週のクラスのときに皆さんに渡そうと用意していたのでした。
先生ご夫妻に並んでいただきカメラを向けた時、Mrs.が「今朝は朝早くからこのひと(Mr.)と喧嘩したので私たち笑って写れるかしらね」などと冗談っぽく言いながらもお二人は私のカメラの前に座ってくださいましたが、ご夫妻とも見事な笑顔で写っていました。
先生ご夫妻は昨年金婚式を迎えられたおしどり夫婦で、私たちも詩吟授業終了後のお茶の時間に50年前の微笑ましい話やアメリカ移住後の苦労についてMrs.から伺ったものでした。
毎年春秋に開催される会全員による吟詠大会では先生ご夫妻は連吟(一つの吟題を二人で吟ずる)を常とされていました。連吟はお互いのすべてが一致しなければ吟詠は不可能です。先生ご夫妻の仲の良さは会員一同認めるところでした。
葬儀は当地ロサンゼルスの西本願寺(羅府別院)で週末に執り行われたでした。私は現在この詩吟の会の理事長を務めている関係で葬儀の司会役を仰せつかりました。
式の進行、故人の経歴の紹介、日本からの弔辞の代読など、心つまり言葉も途切れがちとなり、拙く慣れない司会でしたがなんとか無事務めました。弔辞の中でお孫さんが愛する祖母に語りかけた最後の言葉には参列者一同涙を禁じえない思いでした。
Mrs.は詩吟(漢詩吟詠)だけでなく漢詩を作るほうの才もあり、Mr.とともに米国奥汲漢詩研究会を主宰し、自ら及び生徒の作品集である「飛翔」を日英二カ国語で出版もされました。またご自身が作った漢詩が本場中国のコンクールで入賞までしたほどの才能の持ち主でした。
人間、いつなんどきどんな運命が待っているかわかりません。葬儀、告別式で目にした亡きMrs.の安らかなお顔がいまだに脳裏から離れません。
河合 将介(skawai@earthlink.net)
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