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NO.550                Ryo Onishi              11/26/2006   

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雑貨屋のひとり言

雑貨屋ウィークリーが550号を迎えました。時々PCやサーバーのトラブルに見舞われながらも毎週、なんとか発行できていることをうれしく思います。
送られてくる原稿を編集し、雑貨屋ホームページに掲載し、発行する・・・という作業がもう10年以上続いていることになります。私は編集するだけなのでもたいしたことはないのですが、毎週、原稿を書いてくださっている執筆者の皆さんは大変だと思います。雑貨屋のひとり言を書くだけでもなかなか書けず時間がかかることもあるのに執筆者のみなさんは毎週、毎週、週末までに原稿を送ってくださいます。本当に感謝です。雑貨屋ウィークリーはこの執筆者の熱意と読者の皆様のおかげで成り立っています。これからもよろしくお願いします。よろしかったら読者の皆さんの近況もお知らせください。(R.O.)

『逝く人を送る』

追悼の詞  安達漢城作

人生夢の如く 亦(また)烟(けむり)の若(ごと)し
君逝いて茫々 転(うたた)暗然
髣髴たる温容 呼べども答えず
大空漠々(ばくばく) 恨み綿々(めんめん)

 私の詩吟の先生(師範)が急逝されました。私の所属する詩吟の会(流派)は南カリフォルニアにいくつかのクラスを開いており、何人かの師範が分担して会員の指導をするシステムになっています。

私は週一回、月曜日に主任師範のご自宅のクラスへ通っています。主任師範はMrs.も師範であるので、私の場合は毎回ご夫妻から詩吟を指導してもらっていました。そのMrs.のほうが11月5日(日曜日)の夕方、突然脳溢血で倒れ翌日帰らぬ人となったのでした。まだ75歳でした。

 私は趣味のデジカメで年一度自分のクラスの授業風景を撮影することにしており、今年の撮影日はたまたまMrs.急逝日の一週間前でした。

先生ご夫妻を中心に授業が進行する様子をカメラに収め、自宅に戻ってから編集、クラス全員分をプリントしておき、翌週のクラスのときに皆さんに渡そうと用意していたのでした。

先生ご夫妻に並んでいただきカメラを向けた時、Mrs.が「今朝は朝早くからこのひと(Mr.)と喧嘩したので私たち笑って写れるかしらね」などと冗談っぽく言いながらもお二人は私のカメラの前に座ってくださいましたが、ご夫妻とも見事な笑顔で写っていました。

先生ご夫妻は昨年金婚式を迎えられたおしどり夫婦で、私たちも詩吟授業終了後のお茶の時間に50年前の微笑ましい話やアメリカ移住後の苦労についてMrs.から伺ったものでした。

毎年春秋に開催される会全員による吟詠大会では先生ご夫妻は連吟(一つの吟題を二人で吟ずる)を常とされていました。連吟はお互いのすべてが一致しなければ吟詠は不可能です。先生ご夫妻の仲の良さは会員一同認めるところでした。

 葬儀は当地ロサンゼルスの西本願寺(羅府別院)で週末に執り行われたでした。私は現在この詩吟の会の理事長を務めている関係で葬儀の司会役を仰せつかりました。

式の進行、故人の経歴の紹介、日本からの弔辞の代読など、心つまり言葉も途切れがちとなり、拙く慣れない司会でしたがなんとか無事務めました。弔辞の中でお孫さんが愛する祖母に語りかけた最後の言葉には参列者一同涙を禁じえない思いでした。

 Mrs.は詩吟(漢詩吟詠)だけでなく漢詩を作るほうの才もあり、Mr.とともに米国奥汲漢詩研究会を主宰し、自ら及び生徒の作品集である「飛翔」を日英二カ国語で出版もされました。またご自身が作った漢詩が本場中国のコンクールで入賞までしたほどの才能の持ち主でした。

 人間、いつなんどきどんな運命が待っているかわかりません。葬儀、告別式で目にした亡きMrs.の安らかなお顔がいまだに脳裏から離れません。

      河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 だんご三兄弟 」

日本で流行のTV番組や歌謡曲などは全く無縁だったインディアナ在住時代、既に日本へ帰国・在住だった兄貴分、玉三郎こと中條さんが、当時日本で大流行したCDを送ってくれたことがある、『だんご三兄弟』だった。海のはるか向こうの異国でどっぷりと生活する私にとって、何故そんなにもこの『だんご三兄弟』が流行するのか、正直分からなかった。そして日本にどっぷり生活する今、もっともっと理解(許すことが)できないもの、それは“談合”。

♪景気良くても談合 だんごう 悪くなっても談合 だんごう 日本の伝統 談合 だんごう 談合三兄弟♪、最近耳にした『だんごう三兄弟』。10年以上も前に大流行したあの『だんご三兄弟』の替え歌だといい、別には『残業三兄弟』もあるという。よく出来ているこの替え歌に感心はするが、数年前にできた官製談合防止法や改正独占禁止法の出来ばえの悪さにはあきれるばかり。今から20年ほど前になるだろうか、私の家族ぐるみでお付き合いのあった某市長の談合・汚職事件が発覚し、町中が大騒ぎになったことがある。「ねぇ、どうして市長さんが“おしょくじけん”をもらったらつかまるの?」とは、今はもう嫁に行ってしまった姪の有紀、当時小学校一年生の質問だった。それを聞いた私たちは大笑いしたものだが、談合・汚職で騒がれている大のおとなの認識は、この小学校一年生の理解と同等、それ以下だと思う。これも、官や業者の常識や認識もさることながら、談合・汚職のうまみを怖れるほどの罰則がないこともおかなしなことだ。人の命を奪う飲酒運転罰則が強化される今日、同様に、市民の信頼する行政を裏切る談合・汚職に対する罰則が強化されることを期待するのは、小さな有権者の空しい叫びだろうか。

ところで、長く私が愛用している二つの国語辞典(講談社・三省堂)によると“談合”は、いずれも「話し合うこと。相談。話し合い」と記されている。しかし、今流行のインターネットの検索辞書、インフォシーク楽天マルチ辞書(三省堂)は、前述に加え、「競争入札の際に、複数の入札参加者が前もって相談し、入札価格や落札者などを協定しておくこと」と列記している。私の手垢で薄黒くになった辞書には記されていない談合の意味が、使っても、使っても手垢で黒くならないインターネット辞書の中に、真っ黒い談合の意味が明記されていることに苦笑い。もともと談合はご相談し合うもの、決して黒い影の言葉ではなかったはずだと信じたいが、「談合しましょう」とは、決して使わないのも事実だな。団子も談合も日本文化だと片付けてしまう人もいるが、はたしていかなるものか。

さて、こどもの頃遊んだもののひとつに、誰もが知っている『はないちもんめ』がある。2グループに別れ、じゃんけんで相手チームのメンバーを取り合うもの。♪勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ、あのこが欲しい、この子が欲しい、あの子じゃわからん、この子じゃわからん、ま〜るくなってき〜めよっ♪と歌い、相手グループから誰を貰うかコソコソと相談し決め、♪**ちゃんが欲しい♪と歌いながら、じゃんけんで勝負。勝ったグループはみごと相談して決めたあの子かこの子をいただけることになる。こどもの遊びにも登場したこの相談、立派な談合だ。こどもでさえ、じゃんけんでどうどうと勝負をし、取引を決めた。おとなになって官や政治の門をくぐると、じゃんけんさえも忘れてしまうものなのかもしれない。そんな兄弟が集まってしまうと、串にささっただんごの様に、ねばねばとくっついて離れられないのかもしれない。談合でおいしい思いをするよりは、団子のおいしさがわかる人になってほしいもの、花より団子っていうからさ・・・っと、呟く、さくらの独り言。

 

週間五日坊主(東京・成近)


( 川 柳 )

ストレスを溜めカラッとの石の見栄

庭石が見た三代の浮き沈み

庭石になれずダイヤになおなれず

川底の石それぞれが抱くドラマ

靖国の石が踏み絵に敷かれてる


( ニュースやぶにらみ )

「“近未来通信”で損害」
現実が見えていなかった −投資家

「造反議員の復党問題」
青票を手にしている −一年生議員

「優勝、年間最多勝」
朝青龍を目指します −松坂投手

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 連載 チベット紀行(4) 

 墨染めの衣に袈裟をかけたお坊さんが、どこかにいるはずだ。私は名古屋空港の出発ロビーをくまなく見渡したが、それらしき人は見当たらない。約束の時間だ。お坊さんの服装だからすぐ分りますという話だったのに。
 七月十四日午後一時発で上海へ飛び、一泊してチベットへ行く。私はお坊さんを探しながら中国東方航空のカウンターへ行った。が、いない。と、その時だった。空港内のアナウンスが聞こえた。
「ロサンゼルスの森田のりえさま出発ロビー中央口までお出でください」
 そこでチベット旅行の一行と会った。私と娘にとって全員初対面である。リーダーである本山修験宗別格寺・倶利賀加羅不動寺の住職を紹介された。
「森下永敏」
 この旅行を私に持ちかけてきた友人から聞いていたのは、住職はチベット仏教ゲルク派で世界始の女性ラマ僧になった人だというだけであった。さぞや、人を威圧するような強い精神力を相手に印象づける尼僧かと想像していた。だが、違っていた。実に円満で温かいものを感じさせる小母サン風で、服装も黒い作務衣である。
 仏教徒でもなく仏教に関心があったのでもない。チベットってどんな所だろう、という漠然とした好奇心で旅に参加した私だったが、道中、あれこれと見聞きしているうちに住職自身の生き方に興味がわいてきた。
 寺に生まれたのでも嫁いだのでもない。まして宗教に入ろうとか人助けをしようという気持ちもなかったごく普通の家庭の主婦が、なぜ寺を構え、神仏に身をゆだねる生活をするようになったのか。私は旅の終わりに住職から直接に訊いたのである。それは、これまでに出会ったどんな人とも異なり、不思議な魅力があった。その魅力はしだいに私の心に根をはっていった。
 住職は二十六歳で結婚し、まもなく身ごもった子供が流産した。そのために血圧が下がり全身がロウのように真っ白になり生死の淵をさ迷う日々が続いた。が、どうにか持ち直し、命だけは取りとめた。だが、身体の不調で半年間寝込んでしまった。そんな時、寝床から這って行き仏壇や神棚の前で手を合わせ、
「どうか、私を助けてください。生きる力を与えてください」
 と唱えると身体が楽になった。数ヶ月たつと、頭痛や心臓の動悸が落ち着いてきた。そのころ、神仏の力が人間の運命すら変えるなどとは思ってもいなかったそうだ。ところがある日、実家で出されたワカメを食べ過ぎ苦しんでいた。その時に呼ばれてきたのが、医者ではなく山伏だった。山伏がご加持をすると今までの苦痛が嘘のように治ってしまったというのである。
「ほんまに神さんはあるな」
 この体験が神仏に縁づく決定的な機縁になり、修験を学び、修行をするようになったという。縁とは不思議なものである。
「縁」といえば、子供のころ、父が夕飯時になるとよくこんな話しをしていた。
 宿命とか運命は前もって決まっているのではない。触れ合う「縁」によって変わる。
 良い友だちを持て、という教訓だったのかもしれない。だが私は、抹香臭い話ばかりする父が好きになれなかった。
 話を元に戻す。ちなみに修験とは修行の体験によって徳を顕すことで、理論よりも実践が中心。全国に散在する修験道の峯々をまわり、自然の声を経典として仏心をさぐり、身体を練り、霊験を得るために法を修する。元祖開山は飛鳥時代の役小角(六三四~七〇一)で、天台宗の偉い僧である。
 修行の一つに「奥駈」がある。これが難行苦行で命を落とす人、けがをする人も多く、深い山林道を「懺悔、懺悔、六根清浄」と唱えながら険しい岩場を登る。七十五箇所の拝所をめぐりながら踏破する修行で、住職は何度もそんな修行に出かけたそうだ。また、江戸中期以降絶えていた一週間の石室断食行を女性として始めて満行した。石室の広さは、人一人がようやく座れる半畳、座ると頭の上にこぶしが一つ入る高さ。口にできるものは水一升。小さな空気穴だけが外界とつながり、暗黒の状態で一週間の断食修行である。主人も亡くなり子供もいない。いざとなれば自分で命を絶つ覚悟で短刀を持って入ったという。 
 石室に入って二日目に胃けいれん、三日目に心臓発作、息も絶え絶えになり四日目になると心身が落ち着き、聴覚や臭覚が敏感になり神経が研ぎすまされてきた。石室のなかは異臭が立ち込めている。しだいに自分を見失っていくのがよくわかった。切れ切れの意識のなかで、必死に懺悔をしていると突然、
「よくわかった! 生かされていることを感謝しなさい。――中略――もう一度自分を見つめ直し、しっかり生きるがいい」
 と、耳元でややさく声を聞いたという。
 そんなことは露知らず、穏やかで親近感を感じさせる住職とその一行に混じって、私と娘はチベットへと飛び立ったのである。
 この世に偶然はひとつもないというから、これも何かの縁に違いない。       
              つづく

               

 

編集後記

約2ヶ月前から毎日一万歩を目指しウォーキングにチャレンジしています。毎日の平均歩数を計算すると10800歩でした。雨の日は少なくなります。休みの日は意外と歩いてないこともわかります。一日一万歩は結構意識しないと難しい数字だと思いました。歩きながら街路樹の葉の色の変化や落ち葉を観察しながら季節が移り変わって行くのを感じられるのでいいですね。

《今週お薦めのジャズ》
数あるジャズの中から紹介するのはとても難しいです。ブックマークしているアルバムのひとつにRichie Beirach Trio の“Romantic Rhapsody”があります。ゆったりとしたテンポで華麗な演奏が心を落ち着かせてくれます。

 


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Zakkaya Weekly No.550

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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