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NO.539                Ryo Onishi              9/10/2006   

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雑貨屋のひとり言

ちょっと前のことですが、エレベーターに乗ってきた親子連れ、お母さんは愛想がないので困ったなあーと思っていたら、小さな女の子がこちらに向かって「イナバウアー!」といってポーズをとりました。それでその場は救われました。もっとこんな場面がたくさんあってほしいです。(R.O.)

細 川 瑤 子 を 詠 ず

☆細川瑤子を詠ず 源八岳(木村岳風)作

群雄(ぐんゆう)覇(は)を争う戦国の季(すえ)
人心(じんしん)頽廃(たいはい)して 節義なし
この時敢然(かんぜん) 信仰に生き
殉節(じゅんせつ)の血は染む 浪花(なにわ)の地
権威に屈せず 利に惑わず
完(まっと)うし得たり 日本婦道の粋(すい)

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上記の詩は細川ガラシャ夫人として世に知られている細川瑤子(玉、玉子、玉姫)を詠んだものとして知られています。

人心が荒れ、礼節が失われた戦国末期に瑶子はあらゆる逆境に対しても決してひるまず、信仰に生き、いかなる権威にも負けず、利にも惑わされず、遂には戦国の世の犠牲となって死んださまに日本女性の鑑としての美を作者は詠んでいるようです。

父の明智光秀は主君であった織田信長に対し謀反を起こし、光秀自身も滅びたため「逆臣の娘」となってしまった細川忠興の妻瑤子がその後、幾多の苦難を重ねながらも洗礼を受けてカソリックに改宗、ガラシャとして信仰に生きることになります。

1600年の関が原合戦にあたり、西軍の人質になることを拒絶しながらも自身がキリスト教徒なるがゆえに自害を選ばず、家老に胸を突かせ命を絶ったといわれています。彼女は辞世の句として、
《散りぬべき 時知りてこそ世の中の 花も花なれ 人も人なれ》

と詠んだといわれています。

 平和と民主主義の現在ではこの細川瑤子(ガラシャ夫人)の生き様について評価をすることは困難であり、これが本当に日本女性の鑑であるのかどうかは何ともいえませんが、少なくとも戦国の世であれば武家に生を受け、名のある家に嫁いだ以上このような壮絶な生き方を強いられた女性は多かったのではないでしょうか。

尤も400年以上も前の戦国時代に遡らなくても私の体験の中で、わずか60年少し前の先の大戦もある意味で「戦国時代」と同じでした。

この戦時中は老若男女にかかわらず、日本国民はすべて一億玉砕を命じられ、そして戦後は屈辱と命がけの苦難を強いられました。

幼かった私にとって当時はまだ実感がありませんでしたが、後になってあの頃がいかに厳しい時代であり、私たちの親の世代にとってはまさに命がけの毎日であったことを知らされました。

 この「細川瑤子を詠ず」は日本女性の鑑としてもガラシャ夫人をたたえる詩ではありますが、私にとっては戦国の悲劇の詩として心に残ります。
 
ところで、9月10日(日)に「オレンジ郡詩吟同好会15周年記念大会」がオレンジ郡仏教会で開催され、私も参加することになりました。私は瑤子の辞世の和歌も入れて「細川瑤子を詠ず(並びに和歌)」を吟じることにしました。
      河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 秋 」

テレビの天気予報を観ていたら、「9月8日ごろは白露(はくろ)」だといっていた。大気が冷え、朝方の草の葉に溜った露が白玉のように輝き、秋の気配が深まる時期、という意味だそうだ。百人一首・秋の歌の中に『しら露に 風のふきしく秋ののは つらぬきとめぬ たまそ散ける』(文屋朝康)というのがある。しかし、残暑厳しい今日の東京では、“白い露”と言われても、なかなかピンとこない。とはいえ、暦の上で9月は秋、しかも“くれのあき”(晩秋)、だって1ヶ月前の8月7日が立秋だったのだ。9月は旧暦で「長月(ながつき)」、“夜長月(よながづき)”や“長雨(ながめつき)”からきている(雑貨屋486号・さくらの独り言「長い月」)。そういえば、9月に入った途端、雨も多くなり、陽が短くなった気がする。秋の夜長、白露(鹿児島の焼酎)を友に、「秋」に想いを馳せてみるとするか・・・

千葉に住む従姉妹の話によると、もう稲刈りが終わっているという。この後すぐに二毛作の準備に入る。二毛作とは稲刈りを終えた同じ田んぼに、麦など他種の穀物を栽培することだが、このテンポだと二期作(同じ穀物を同じ田んぼで2度作ること)だって可能かもしれない。8月下旬に稲刈りが終わっていたとは、驚きだ。実りの秋、収穫の秋は、私の感覚では10月、11月だ。日本では、11月23日は『新嘗祭(にいなめさい)』と言って秋の収穫を祝い、新穀を神に供えて感謝する稲作儀式が行なわれていたし、アメリカでも収穫感謝祭はこの時期に重なる。現在の気象(大気の現象)だと、この文化慣習や神事など、2ヶ月も早めなければならない様子である。

これからは、いよいよ全国的に収穫を祝う秋祭りのシーズン。福岡では、毎年9月12日〜18日に博多三大祭の一つ、筥崎八幡宮(はこざきはちまんぐう)の『放生会(ほうじょうや)大祭』が催される。期間中は100万人の人手で賑わう。放生会とは、もともと“万物の生命を慈しみ、殺生を戒める神事”で、1000年以上の昔から続いているが、近代では収穫の感謝と冬の無事を祈願する意味も含まれるようになった。同じ放生会を起源とする熊本の藤崎八幡宮例大祭(9月11日〜15日)がある。豊臣秀吉の重臣・加藤清正が朝鮮出兵から無事帰国し、兵を連れて藤崎八幡宮へお礼詣でに行ったことに由来する“随兵(武者)行列”や、神幸行列の中で“陽陰(ひのかげ)”と呼ばれる飾りをつけた馬を、ドラや太鼓を打ち鳴らして追いまくる“馬追い祭り”が勇壮だ。熊本と福岡の秋祭り、どちらも私が15歳から29歳までを過ごした土地の秋、今ではとても懐かしい。

さて、この9月、過去の惨事に心を痛め、祈りを捧げる月でもある。9.11(米国同時多発テロ)、ニューオリンズのハリケーン・カトリーナ、戦火が収まらないイラクなどなど、心が重くもなる。『しみじみと 人の命の儚さを 秋訪れて思ふ夕暮れ』(西行)を噛み締める。もうすぐ本格的な秋がやってくる。もみじ、いちょう、はぜなど色鮮やかに染まる木々の葉。野山も都会の街路樹も、いっせいに衣替えを始める風景、その秋の訪れは、心を澄まし清い祈りを深めてくれることだろう。今年の秋、小さな秋に何を見つけられるだろう、っと呟く、さくらの独り言。

週間五日坊主(東京・成近)


( 川 柳 )

ただいまの鼻がカレーと知る夕餉

キッチンにますます四季のない野菜

先ずは目で食べさせているシェフの腕

素うどんにグルメの果ての贅のダシ

青汁で酔えとカルテが無理を言う

( ニュースやぶにらみ )

「親王様誕生」
嬉しいニュースが入ってホッとしています −今年の十大ニュース

「三者共同記者会見」
目線の先は次の次 −麻生太郎、谷垣禎一

「食欲の秋」
でも冷や飯はいやだ −阿倍支持議員

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 連載 ウィドウ (8)
  
 ひょぃとキッキンの壁を見た。黒い小さなモノが動いている。近寄って見るとトカゲだ。思わず、私は亡夫の名前を呼んでいた。
「きて! トシ!」
 呼んだ後、そうだ、夫は亡くなり、私は今一人で住んでいるのだ。
 寂しい、と思った。
 爬虫類がまったくダメな私は、テレビ映像に蛇が映っていようものなら、絶対に正視できないタチである。そんな私を見て、夫はよく笑っていった。
「オマエのメンタリティはおかしいぞ」
 田舎の古い家に育ったから、子供のころ、夏になると青大将が家の中を這っていた。棒の先に青大将を紐のように引っかけて川へ捨てに行っていた。通学路に長々と横たわっていることも度々だった。石垣にトグロを巻いていた。指さすと指が腐ると握り拳で友だちに居場所を教えたりしていた。それが大人になってまったく受け付けなくなった。
 娘が中学生の時、家族でバンコック旅行をした。見学に行った「ワット・アルン」辺りで、観光客に錦蛇を首に巻かせて写真を撮っている業者がいた。
「わたしも記念に首に巻く」
 娘の言葉に私の心臓は止まりそうになった。
 だが、私の目の前にいるトカゲは足がある。しかも子トカゲだ。怖くない、と自分に言い聞かせながら、誰か助けてと思ったが、ガーディナーもくる日ではない。犬散歩のジャックじいさん、隣家のユルブリンナーおじさんなど咄嗟に浮かんだが、おいそれと間に合わない。自分がやるしかない。私は意を決してペーパータオルを水で濡らし、トカゲが床に移った瞬間をねらってパッと被せた。うまくいった。逃げないように濡れ雑巾で回りを固め半日過ぎた。さすがのトカゲも窒息したにちがいないと、捨てようとしたら生きていた。あっという間に壁の隙間に入ってしまった。壁の中にトカゲの死骸があるようで、どうも落ち着かない。
 この話を幸子にした。
「そうなのよ。オトコはいらないけどサ、オトコ『手』は欲しいわねぇ」
 ウィドウの哀しさを嘆き合った。
 先日、我が家の便器が詰まった。生前夫がスネイクを通していたのを思い出し、やってみた。出来た。夫は庭仕事やペンキ塗りなどなんでも私に手伝わさせた。甘やかされなかったお陰で自立は早かった。一人で生きていく方法を身につけたのである。
 だが、ウィドウになった当座は気分が高揚していた。郵送される英語の手紙には神経を使った。必要な書類をゴミ箱に捨てはしないか、辞書で調べ、それでも不明な郵便物は友だちに見てもらったりした。
 二年前の初夏だった。独り者の隣家のユルブリンナーが庭先に咲いている梔子の花を手折って持ってきた。心強い助っ人がいると思ったが、彼の英語は早口で聞き取りにくい。
「ベィゴーは好きか」
「イエス」
「たくさんあるから、後で持ってくるよ」
 そういったような気がしたので私は外出もせず待っていた。ところが、一向にベィゴーが届かない。夕方になって、ふと窓外を見ると、彼女と二人で散歩をしていた。
 出かけようとしたら、車内灯を付けっぱなしていたらしくバッテリーが上がったことがある。運よくユルブリンナーが前庭で水を撒いていたので頼むと、二つ返事で新車のベンツを持ってきて、充電してくれた。ついでにグラージ・ドアの開閉がスムーズになるようレールに油を注いだあと「困ったことがあったらいつでもいってくれ」という。やはり心強い隣人ではある。
 近所のジャックじいさんは八〇歳。プードルと暮らしている。娘婿さんが日系二世だから親近感を感じるのか、私を見ると話しかけてくる。私が旅に出るときは、ジャックに植木鉢の水やりを頼む。ある時、そのお礼にお鮨をご馳走した。ジャックじいさん、鮨をつまみながらとんでもないことをいいだした。
「I am sleepy」
 一瞬、えっ、そんなつもりじゃないのにとよく聞いてみると、夜の八時にはベッドへ入るのだという。深い意味はなかったみたい。
 年に二.三度、ジャックじいさんは娘婿さんとマンザナ収容所跡近くまで、鱒釣りに出かける。帰ると、鱒の到来物がある。
 私はウィドウ仲間の幸子や澄江に声をかけ、鱒パーティをする。
 お互い「自分の行動には責任をもつ」という大前提があるから、忠告したり、助言したりはしない。
 ベランダの軒先にスズメが巣をつくって卵を抱いているとか、小雀が巣立ったの、庭木のブーゲンベリヤを切って腕が傷だらけになっただの、心映えのよき人に出会って心が弾んだなどと、たわいない話を愉しんでいる。
 最後は、喜色満面な顔をした澄江が、こういって締めくくるのである。
「私って、なんて幸せなのでしょう。日本語を使って、日本食を食べるのが三十年間の夢だったのよ。モンタナでこんな日がくるのを待ち望んでいたの、あなたたち考えられる?」
               つづく

 

編集後記

今週は、TSUTAYA三宮店まで遠征してきました。尼崎店にはないアルバムやアーティストのCDがいっぱいあってうれしくなりました。気が付いたらバスケットにいっぱいCDが・・・これから楽しんで聴きます。

今週お薦めのジャズ
Harry Allenの“Dreamer”、テナーサックス、大人のジャズって感じです。
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Zakkaya Weekly No.539

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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