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NO.537                Ryo Onishi              8/27/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

夕食後、一時間程度歩いています。日中に比べると涼しいのですが、結構汗をかきます。この運動の効果?で体脂肪、内臓脂肪が減ってきました。(体重計についている測定器で測定した結果です。)昨年の夏に比べるとだいぶ健康的な暮らしをしているように思います。歩いているとちょっと前まで蝉の声がうるさかったのに今は秋の虫の声が聞こえてきます。日中の暑さは依然きびしいものがありますが、夏も終わりに近づいてきているのですね。(R.O.)

トラフィック・スクール体験記

 自慢げに書くことではありませんが、先日の日曜日トラフィック・スクール(Traffic Violator School、交通違反者講習学校)に参加してきました。

当地では交通違反をした場合、人身事故などの重罪でなく、また異議の申し立てをしなければ反則金(罰金)を課せられたうえに一定の違反点数がDMV (Department of Motor Vehicle)の記録という処置を受けます。

ただしこの違反点数はトラフィック・スクールでの講習に参加することにより免れ、更に自動車保険への影響(保険料の上昇)も防ぐことが出来ることになっています。尤も講習を受けてから18ヶ月間に再び違反を犯した場合はスクールに行く資格を失い、違反点数が課せられてしまいます。

交通裁判所で渡された資料によると、当地ロサンゼルス・カウンティには400を超えるスクールが登録されており、この中に日本語で行うクラスがあったので私はそこに登録しました。

講習会は朝9時から午後5時までの8時間が指定された義務コースであり、午前は講義、昼食時間をはさんで午後は講義とビデオでの交通規則、運転マナー、事故防止留意点の解説等がその主な内容でした。

講師の話によると現在カリフォルニア州では2,700名の警官が交通安全のために配備され、違反切符は年間96万枚発行しているのだそうです。(そして違反切符の内8万3千枚は飲酒運転関係とのこと) 違反者のためのトラフィック・スクール一がこんなに多く存在している現実がよく理解できます。

全米では一日平均約120名が交通事故により死亡(年間約4万人強)とのこと、ただカリフォルニア州は相対的に死者数が減少しており、その理由のひとつがこの州がシートベルト着装を厳しく規定しているからなのだそうです。シートベルトの着装はやはり重要のようですね。

運転者の基本として(1)停止または発信時には周囲の動いている人・車などの物体に気をつける。(2)運転中に曲がる時は直行して来る車の運転を脅(おびや)かしてはいけない。(3)遅く走る車は早く走っている車を脅(おびや)かしてはいけない。――― これが講師による運転マナーに関する最初の指摘でしたが、毎日ハンドルを握っている私にとってこんな基本的な事柄も新鮮に聞こえてきました。普段いかに安全運転の意識をおろそかにしていたか知らされた思いでした。

交通違反の有無に関係なく時々はこの種の講義に参加し、安全運転の誓いを新たにすることも必要なのかもしれません。

交通違反者に対するトラフィック・スクールの受講制度をどう評価するかは受講者により違うでしょうが、小さな違反を真面目に反省することにより大きな違反や過ちを未然に防げるのであれば、この種の時間の無駄は決して無意味にはならないと私は思っている次第です。

とは言いながら、折角の日曜日に8時間も拘束されて不本意(?)な講習を受けさせられる受講生たちのストレスが大きいことも確かであり、講師もこれを配慮して時折は話の内容を本題から脱線させて受講生の気を引く心遣いもみせていました。

スクール側としてもお客様である受講生の評価を気にせざるを得ず、スクール・ビジネスの生存をかけた厳しい側面もみせていたのが印象的でした。

サイバー時代の昨今ですので、当地でもインターネットによる講習コースもあり、自宅のパソコンを通じて受講することも可能ですが、私にとってはパソコンの画面より生きた人間(講師)の講義の方が意義と効果が大きいように思いました。
      河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 青春サークル 」

「青年たちは判断するよりも発明すること、評議するよりも実行すること、決まった仕事をするよりも新しい企てに適している」といったのは、「知は力なり」の名言でも有名なイギリスの哲学者、フランシス・ベーコン(1561〜1626年)。この言葉に出会ったのは、“青春”期に突入したばかりの高校1年生、まさにそれからの青年期をこの言葉を座右の銘として突っ走ったものだ。その青年時代を懐かしむ暇もなく生きている今の自分に、“青春”の言葉が飛び込んできた、「青春サークル」、いつかドラマの台本にしたい内容だった。

九州に住む新聞記者の兄、俊ちゃんが出張で上京し、仕事が終わったこの週末を我が家で過ごした。兄の高校時代の親友で、彼らの高校時代から私も交流のあるYさんと3人で宴を持ち、私たち共通のこと、変わりゆく故郷、燃えた高校生活、全てが青い春なんてものを話題に花が咲いた。中でも彼らの高校時代に話が遡ると、3人とも興奮を隠せない。特に、俊ちゃんがリーダーでYさんもメンバーとして活動した部活、「青春サークル」のこととなると、まるで青春ドラマを観ているみたい。「人生であの頃が一番、本当に楽しかった!」と連発するYさん、いつかドラマに書き下ろしたいと言っていた。それは遠き過去を単に懐かしむという空虚なものではなく、彼ら自身が青年期に青年として生きた事実があって現実の今があるという、人の成長や成熟になくてはならない時代の足跡なのだ。まさに、冒頭に紹介したフランシス・ベーコンの青年を生きたから。そして、故郷や母校が形を変えても、色あせない想い出と友情の絆、24時間テレビにも負けない“青春讃歌”が続く。
ところで、青春を語る多くの名言から、今回はサミエル・ウルマンの『青春』をここに紹介したい。「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意思、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。」(蔵版 青春の会・邦訳 岡田義夫)
さて、昨日から日本テレビでは、「絆」をテーマに24時間テレビが放映中。アンガールズの二人が100キロマラソン完走に挑んでいる。彼らの年齢も仕事暦もまさに青年期、一歩一歩がひとつのドラマだ。兄やYさんが高校の授業より没頭した「青春サークル」では、阿蘇草千里から母校済々黄まで徹夜で歩いたことがある。大学受験に必要な強靭な精神力をつけるとこじつけて。あの時代のそんなこんながこの100キロマラソンとも重なってしまい、心が熱くなった。久しぶりに兄と過ごした週末は、「青春サークル」を今も生きられることを学んだ。そして、いつか兄が「青春サークル」を書き下ろしてくれることを期待している。その兄にエネルギーをもらって、さあ、これから“青春”っと呟く、さくらの独り言

週間五日坊主(東京・成近)


( 川 柳 )

知恵の輪に愚直な汗を笑われる

かといってハイドになれるわけでなし

あっけらかんと貧乏神を飼っている

賞罰はなしです僕の固い椅子

関節はまだ錆びてないマイペース

( ニュースやぶにらみ )

「同一ラウンドで2度のホールインワン」
藍よりも青し −宮里優作のグリーン

「格下げ」
冥王星よお前も定年か −おやじ

「無資格で助産行為」
無事生まれたらおめでとう −堀病院

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 連載 ウィドウ(6)

カレー・パーティをした。
ジャガイモと玉葱をどっさり入れると美味しくなると聞いた私は、レシピー通りに作ったのに、どうしたものか固形カレーを入れるとペースト状になった。時間がない。カレー粉を湯で溶き、手作りヨーグルトを加えると、絶妙な味になった。その夜、夕食後のウィドウ仲間のおしゃべりは深夜にまで及んだ。  
 翌日、仲間の澄江からEメールがきた。
「美味しかったわ。抜群の味付け。子供のころからカレーが大好きで、私のために母がよく作ってくれたのよ。父は海軍中佐だったから戦時中はお肉でも何でも手に入ったけれど、戦後は食料難でさ。私が逗子の火薬庫で働いていた時に上司のエルマーと知り合い、結婚して渡米。最初に身を寄せたのは主人の実家があるミネソタ。大き農家でさ、毎日食卓に出てくるのはポテトとお肉、いくら好きだといってもさすが飽きてきたわ」
 澄江が渡米したのは一九五五年。すでに六ヶ月の身重。その時の苦労話が始まると、澄江の口は止まらず独壇場になる。
 ミネソタの実家に行った当時、雑誌「ライフ」に日本人特集記事が載っていた。それを読んだ義母がこういった。日本には芸者という職業があって、芸も売るが身も売る。彼女らは妊娠をしないよう熱い湯のお風呂にはいる。アメリカ兵を相手にし云々……。
 義母は、息子の結婚相手はそんな類の女性ではないと信じていたから、それはいい。だが、アメリカに娼婦は絶対にいないと言い切る義母に、腹の虫がおさまらない澄江は反論したくても英語力がない。悔しくて悔しくて、地団駄踏んだという。
 ドイツ人移民の多い田舎だったから、差別や蔑視は感じなかった。丁重な態度で接してくれたような気がする。だが、見渡すかぎり耕作地で、隣の家は数キロも離れている。横須賀の山の手育ちの澄江は寂寥感が募った。
 おまけに、ここに暮らす人たちは日本人など見たこともない田舎者。日本とアメリカが戦争したことさえ知らない人がいた。
「ガキ大将のエルマーが日本から嫁っこをつれて帰ったんだべぇ」
 とばかり、来る日も来る日も親戚はじめ村じゅうの人がきて、夜遅くまで話す。旅の疲れと理解できない言葉、黙って聞いているのが辛かったと澄江は述懐する。
 さらに、生活様式の違いに戸惑った。
「夫婦の寝室のドアを私が閉めると、義母が『空気の通りが悪い』といって開ける。ドアといっても、両親のベッド、妹夫婦のベッド、私たちのベッドが並び、簡単な間仕切りがあるだけ。主人は平気なのよ。だけど、私は恥ずかしくてサ」
 トイレは屋外の小屋。夜になると外は真っ暗闇。寝室にバケツを備えてくれたけれど、使えない。トイレは一段の上にお尻が下ろせるほどの丸い穴が二つ開いているだけ。男性の小水用はなかった。
「最初、妊娠を気遣って義妹がトイレについて入るのよ。親切のつもりらしいけれど、これには参ったわ」
 ポンプで汲む井戸水は硬水で薄茶色。ミネラルを含んで身体にいいといわれても、最初は飲めなかった。洗濯は貯めた雨水。風呂はバスタブに沸かした湯を二〇センチ程入れ、石鹸の泡を立てた中に家族が順番に入る。洗い場はない。泡をタオルでふき取るだけ。
 二ヶ月過ぎたころ、主人の休暇が終わり次の配属地コロラドへ一人で行ってしまった。
「主人は、自分の実家でお産をするのだから安心だと思ったらしいけれど、私は心細くて。あの時だけは主人を恨んだわ。何の相談もなかったのよ。それが悔しいのよ」
 日本の親に「幸せです」と、泣きながら手紙を書いた。父や海軍士官学校出の兄の猛反対を押し切って結婚した手前、泣き言は禁物。おまけに許嫁がいたのに、周囲の反対を押し切ってアメリカ人と結婚した経緯がある。
 渡米してから十五年後に澄江は始めて横須賀の実家へ里帰りをした。その時、母親はこういったそうだ。
「いつも『幸せ』と書いているけど、苦労していると思ったわ。字が滲んでいたもの」
 望郷の想いに星を眺めては涙した気持ちは、異国に生涯を終えようとする者同士が共感できる世界である。 
 車は仕事用を含めて三台、大きな冷凍庫と冷蔵庫、洗濯機もあり、煮炊きはガスを使った。小型飛行機で種を蒔き、トラクター二台で畑を耕していたから、その規模の大きさに澄江はド肝を抜かれた。
 考えてみると、そのころ私は中学生。
町工場を持っていた兄が中古のバタンコを買った。ダイハツが出していたオート三輪車である。エンジンはオートバイと同じベタルを踏んでかけ、運転席に屋根もなく前面にガラスもない。バタンコに乗せてもらえるのが嬉しくて仕方なかった。広島市郊外に上下水道のあろうはずがなく井戸の水を汲んでは五右衛門風呂に入れる。それが子供たちの仕事だった。煮炊きは薪だった。
 さて、澄江は、生後十日目の乳児を抱いて義妹夫婦の車でご主人の配属地であるコロラド州を目指した。忘れもしない七月二十四日。華氏一〇三度。エヤコンなし。窓を開けると熱風が吹き込む長距離ドライブは死にそうだったと、澄江は昨日の出来事のように熱っぽく話した。夜がふけるのも忘れて・・・。
               つづく

 

編集後記

歩くときにもジャズを聴いています。おすすめはEddie Higgins Trioの “If dreams come true”です。軽快なピアノは元気にさせてくれます。
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Zakkaya Weekly No.537

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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