「さくらさん、祖母の手作りです、貰ってください。私の祖母は扇子職人なのです」といって差し出された一本の扇子。開いてみると、淡いブルーの和紙にさくらの花びら模様が広がる。薄い和紙の中骨、細いが柔らか味を感じる。扇いでみると、清楚なかほりの風が心地よい。閉じると、私の手の平に優しく納まり愛らしい。これぞ、手作り扇子の醍醐味だと頷き、ニンマリ。初めての自分の扇子、私の傍でどんな風を作ってくれるやら。
扇は飾るか舞うか、扇子は夏のオジサンか、うちわは祭りか寿司ご飯の冷ましか、という認識と偏見が固定していた私。日本を離れた在米時、夏冬か春の顔を持つ京扇を年中壁に飾り、遠き日本の四季を偲んで私の心が舞った。私は舞踊に縁がないが、扇が舞踊や能・狂言、落語といった古典芸能には切り離せないことは知っている。また一般に扇子は扇と同じだが、私の中では違うイメージ、扇子は夏のもの、しかも中年以上の男女が使う。だから扇子を取り出して扇ぐと“もう、オジサン”。そしてうちわは、いうまでもなく夏祭りにかかせないひとつだが、これがまた年中重宝されるひとつでもある。寝入った赤子に涼風を送り爽やかな夢を誘う夏、七輪で秋刀魚を焼く秋、炊き立てのご飯に酢を混ぜる折々、うちわはここぞとばかり株を上げる。そんな固まったイメージからの脱皮がこの夏、手作り扇子を頂いてから。蝉が脱皮をする前に、扇や扇子について学習してみた。
扇子とうちわでは、うちわの成立の方がはるかに早く、紀元前の中国で用いられたという記録があるそうだ。また、古代エジプトの壁画にも、王の脇に巨大な羽根うちわを掲げた従者が侍(はべ)っている図も残されている。このように、うちわは文明発祥時から存在する古(いにしえ)の道具であり、日本へは、7世紀頃に伝来した。うちわを折りたたんで携帯に便利な扇子にするというアイデアは、ずっと時代が下り、8世紀頃、何と日本で発明されたという。平安時代の頃から、扇子(扇)は、あおぐという役割だけでなく、儀礼や贈答、コミュニケーションの道具としても用いられた。具体的には、和歌を書いて贈ったり、花を乗せて贈ったりしたことが、源氏物語など多くの文学作品や歴史書に記されている。日本で発明された扇子は、コンパクトに折りたためるという利点が高く評価され、大航海時代には中国を経由して西洋にまで輸出されて、それぞれの国で独自の発展を遂げた。17世紀のパリでは、扇子を扱う店が150軒を数え、上流階級のパリジェンヌには欠かせないコミュニケーションの道具として大流行したと伝えられている。
さて、自分の扇子というものを持つのも、使うのも、初めての夏。真新しい私の扇子、開くも閉じるも、私の動作はまだまだぎこちない。でも、友人の祖母の手作の扇子を自分が持っていること、その扇子を使う愉しみを知っていること、それがなんだか、誇らしかったり、心地よかったりする。扇子を使うことが不釣合いではない歳になったということかもしれないが。浴衣が若者や女性の間で大流行の昨今、そのうち彼らが扇子のしゃれた使い方の風を吹かしてくれればと思う。その扇子流行の到来を待たずに、一足お先に私は今年、じっくりと扇子の趣きを味わうつもり。いただいた手作りの扇子と共に、私なりのセンスのある夏の暮らしを愉しもう、っと呟くさくらの独り言。 |