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NO.527                Ryo Onishi              6/18/2006   

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河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
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雑貨屋のひとり言

プロ野球交流戦はもうすぐ終わります。面白いゲームがたくさんありました。あれほど強かったジャイアンツがずいぶん苦しんで、セリーグも混戦になってきましたし、負け続けていた楽天が粘り強いチームになってきました。マリナーズ、イチロー、出足は良くなかったのに、いつの間にか驚異的な打率になっていて、彼は天才だとつくづく思います。いいことばかりは続かないし、悪いことばかりも続かない・・・ワールドサッカーもなにが起こるかわからないので楽しみですね。(R.O.)

国 家 の 品 格 (3)

 私は5月15日から日本行きのため、ロサンゼルスを留守しましたが、約四週間ぶりに戻ってきました。日本滞在中、多くの友人たちと再会し、またメール仲間とのオフミーティングに参加させていただき有意義な時を過ごしました。行く先々で「雑貨屋ウイークリー」の内容が話題の中心になることも多く、「雑貨屋ウイークリー」が多くの皆さんに読んでいただいていることに改めて感動しました。前回までの私の駄文「国家の品格(1)、(2)」についても直接のコメントも多く、ありがたく拝聴いたしました。
 また、私は今回の日本滞在中、諏訪、軽井沢、北海道、東京、神奈川などをまわり、新緑と
花など自然も満喫してきました。

 ――― 前号よりの続き ―――
この本(藤原正彦著、「国家の品格」)の第四章以降で著者は論理の重要性を充分認めながらも、情緒(懐かしさとか、もののあわれといった、教育によって培われるもの)や形(武士道精神からくる行動基準)の大切さを述べ、なぜそれらが大切かを説いています。

 日本人が持つ自然に対する繊細な感受性、日常の行為を茶道・華道・香道などにまで昇華させうる能力はたしかに素晴らしいことです。

 「閑(しずか)さや 岩にしみいる 蝉の声」(松尾芭蕉:奥の細道)――― 私たち日本人は、わずか十七文字のこの句の奥に広がる無限の宇宙を感じることが出来る民族なのです。

この句をみて“蝉が鳴いているのになぜ閑(しず)かなの?”“堅い岩にどうして染み込むの?”“蝉は何匹?”“だからそれが何なの”など、論理的に詰めていくと疑問と矛盾だらけです。

でも殆どの日本人はこの句を何の疑問や矛盾も感じることなくすんなりと受け入れるのが普通ではないでしょうか。いわゆる日本的発想とは、欧米的な理詰めで分析・細分化していくのではなく、むしろその逆で見えない又は表に現れていないものも含めて、全体を心とか感性で捉えようとする発想といえると思います。

多くを語らなくとも理解し、察しあえるという素晴らしい日本古来の美点は大切にしたいものです。尤も、一旦 海外に出ると、今度はそれが大変な誤解の根源になり、「あの日本人は何を考えているのだ」と言われたり、ひどい時は「完全無視」され泣きたい思いの経験をすることもありますが・・。

この本の第五章(「武士道精神」の復活を)の中で著者はこんなエピソードを記しています。***************************

私にとって幸運だったのは、ことあるごとにこの「武士道精神」をたたき込んでくれた父がいたことでした。父からはいつも、「弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱い者を助けろ」と言われていました。父は「弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりをするのは卑怯だ」と言うのです。私にとって「卑怯だ」と言われることは「お前は生きている価値がない」というのと同じです。・・(略)・・私は「卑怯を憎む心」をきちんと育てないといけないと思っています。法律のどこを見たって「卑怯なことはいけない」なんて書いてありません。・・(略)・・人間が利害得失にこだわるということは、もう仕方のないことです。人間には生存本能というものがあって、利害得失で動くよう遺伝子レベルで組み込まれているのですから。しかし、残りの1%を何で埋めるか、これが非常に重要なのです。
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先日、インサイダー容疑で逮捕された村上氏が逮捕前日に行った記者会見で記者から「法令違反さえしなければ金儲けをしても良いと思うか?」との質問に対し、「金儲けとはそんなに悪いことなのでしょか?法律が認める範囲内でお金儲けをして何が悪いのでしょうか?」答えていました。

この質疑だけに限って言えば、いかにも日本的な質問だったと言えるのではないでしょうか。ルールが優先するアメリカではこんな質問自体がナンセンスといえましょう。でも日本の文化の下ではルール以前の問題として「情緒」、「武士道精神」的発想があることをこの質問が如実に語っているような気がしました。                 河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 薬膳鍋(やくぜんなべ) 」

“読む薬”と題する家庭医学書や経営哲学書なるものを目にする。それらの多くは、心身の調和や活性、企業経営の成長原理原則や知恵について、それぞれの専門家がエッセイ風にもしくはQ&A式でその分野を実践的にまとめている。薬は飲むものという概念をユニークに使ったものだ。韓国ドラマ『チャングムの誓い』の影響もあってか、書店へ足を運ぶと宮廷料理や韓医薬に関する書物が目に着く。ここにもうひとつ、“読む薬”はなく“食べる薬”がある。“薬膳鍋”、今、私はこれにはまっている。

そもそもお鍋という料理は、どの種類であれ、独り分の調理というのが面倒だし、難しい、とされている。仮に外食でも、そこそこの人数でなければ、滅多に注文できない。こうなると、独身者にとってお鍋料理を食べられることそのものの貴重度合いは高い。そんな中、独身部下のお疲れ様会を兼ねて、月に1度出かけるのが、お鍋、しかも台湾薬膳鍋料理。心身の疲れを癒すばかりでなく、身体の抵抗力を増加、風邪などの予防や滋養強壮、さらに美容にも効果があると信じる我ら独身女性群、本当にお肌がツルツルになるのではと、ひそかな期待をもって、薬膳鍋月例会を維持している。確かに、この薬膳鍋料理を食べた翌日は、なんだか自分の身体にいいことをしてあげた気分になるから不思議だ。美味しい日本食や自分で作る家庭料理もいいけれど、たまには“食べる薬”もいいものだ。

ところで、私たちがよく行くこの台湾薬膳鍋レストランは、日本橋、赤坂、東銀座に店舗を構える台湾薬膳鍋『天香回味』。ここで出される薬膳鍋の元祖は、モンゴルのチンギスハンが「天下を取るには強靭な体こそが必須。それには飲食による充分な栄養補給が最も簡単かつ有効な方法である」といって考案したものだという。約60数種類もの自然植物エキスを抽出したスープ2種類を、それぞれそのままで、もしくは混ぜあわせて、3種の味で楽しめ、そのスープに食材を入れて煮るだけで味がついていてそのまま食べられる。タレや調味料は一切不要。食べ過ぎても、胃もたれや胸やけがしない不思議な鍋料理。このスープに含まれる植物効能といえば、『@当帰(とうき)、精油、クマリン、糖、ビタミンを含む産婦人科の重要な漢方薬で、貧血、腹痛、生理不順に効き目を表す。A当参 果糖を主とした特殊な化合物が主要成分で、胃と脾臓の虚弱、食欲不振、下痢、だるさ、精神の不安定、疲労感、咳、イライラ、喉の渇きなどに治療効果がある。B枸杞(くこ) ビタミンC、B、B2、カロチンを含み、肝臓や腎臓を守る強壮剤として虚弱体質の改善や、疲労感、足腰の痛み、脱力感、めまい、頭痛に効く。C決明子(けつめいし)強壮剤また利尿薬で、降圧剤としての作用もある。花椒 精油を含む香辛料で、胃の強化、消炎、利尿、虫下しの作用があり、また胃腸を刺激して新陳代謝を促し、胃拡張や胃下垂の治療効果がある。D大茴香(だいういきょう)八角アネトールを主成分とする精油を含み、胃の強化をもたらす興奮剤としての効果を持ち、消化不良や嘔吐、また脚気を治療する。E大棗(たいそう)ナツメ粘液質、リンゴ酸、酒石酸を含有し、緩和作用、また利尿、鎮静作用を持ち、筋肉の緊張によって起こる痛みや咳、過敏症や腹痛に効果を発揮する。F白荳(はくずく)精油を成分とし、芳香によって胃を保護する驅風剤で、胃痛、消化不良、腹の膨張、嘔吐などを治療する。』といった具合に、台湾訛りの日本語で親切丁寧に説明してくれる店員さん。何度行っても“へぇ〜”度数が高得点。ちなみに、店舗やテーブル担当の店員さんによって、点数はまちまち。ここに薬膳エキスに加えて、クライアントサービスエキスも垣間見る。これって、コンサルタントという職業病だなと、苦笑しながら鍋をつつく。

食べる薬こと、薬膳鍋を食するたびに実感する七不思議がある。まずスープを一口飲んだ時点で、その時の自分の健康状態、疲れ具合がわかる。どんなにおなか一杯のスープを飲んでも、喉が渇いたりおなかが張ったりしない。代わり映えしない限られた食材なのに、食べ飽きない。香り高いスープでも、身体や衣服ににおいが残らない。ワイガヤで鍋をつつくというよりは、じっくり味わうという気分なのに、翌日は身体の底力、自分の生命力を感じる。そして、鍋料理独特の一体感が十分味あえる。不思議な鍋だ。古代モンゴル民族の知恵のエキス、ミネラルの力かもしれ
ない。食べる薬・・・これこそ、楽しい草の効き目だな、っと呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

金の鱗一枚剥いだ保釈金

政治化の詭弁は恥を恥とせず

景気回復まだですうちの貯金箱

格差社会庶民の愚痴が吹き溜まる

金と暇どちらも無くて恙無い

( ニュースやぶにらみ )

「村上フアンドに拠出金」
プロ中のプロがミスった −福井日銀総裁

「天下り後の監視機関を設置」
天下り先が一つ増えた −官僚

「梅雨明け宣言?」
さああつくなるぞ ―自民党

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 イスラエル紀行( 8 ) 夕映えのガリラヤ湖
   森田のりえ
 二月二日土曜日、安息日であるはずなのにガリラヤ湖に面した屋外レストランは、どこも人出で賑わっていた。昼食は、セントピーターズフィシュという魚だ。イエスが弟子のペテロに魚を釣らせたところ、銀貨を一枚口にくわえた魚が釣れた。ペテロの英語読みはピーター。聖ペテロゆかりの魚というわけだ。
 黒鯛のような魚の空揚げが一匹、大きな皿にのって出てきた。レモンを絞って食べる。肉厚のある白身魚であっさりして美味しい。半身だけで満腹になった。ポテトフライがどっさり出たが食指がのびない。
 午後からゴラン高原を目指した。
 私は何年か前に観たテレビのドキュメンタリー番組を思い出した。金網を張り巡らした国境に兵士、その傍らに板を打ち付けた粗末な小屋に住む難民。それがシリヤ側かレバノン側だったのか分からない。ともかく赤茶けた土地だったことは覚えている。
 バスはアスファルト道を登っていく。両脇は牧草に覆われた丘だが大樹はなく灌木が所々生えている。蒼い空だ。アーモンドの白い花の塊が早春の野を彩っていた。
 この辺りはヨーロッパからアフリカへ向かう渡り鳥の休憩地で、春がくるとコウノトリやペリカンが湿原で翼を休めるそうだ。
「三千羽くらいのペリカンが上空を飛ぶのを見ました。あのときは感動しましたねぇ」
 イスラエルを訪れるのは、今回で三十数回目だという日本人ガイドがいった。
 丘陵に囲まれたガリラヤ湖が見下ろせる場所にきた。
「きれいだねぇ」
「まるで絵に描いたようだ」
 あちこちから感嘆の声があがった。
 しかし、見晴らし台には、シリヤ軍の錆びた砲台があり廃屋が散らばっている。いやがおうでも戦いの残酷さを思い起こさせる。
 地図をみると、ゴラン高原はイスラエル北東部地域で広さは東京都の約半分で、レバノンとシリヤの国境に面している。元々はシリヤの領土であった。イスラエル建国をこころよく思わないシリヤは、丘に砲台を据え、昼となく夜となくイスラエル人の住む湖畔の村へ砲弾を浴びせた。村人は安眠できなかった。丘の上から見下ろすと、人がはっきりと見える。これなら百発百中だろう。
 一九四八年のイスラエル建国以来、四次にわたる中東戦争を経て続いていたイスラエルとシリヤの紛争が、一九七四年に両国間で停戦ラインが引かれた。現在の地図にはゴラン高原はイスラエル領土となっている。
 第三次中東戦争中の話である。
 陽を遮るものがない暑い高原に座っているシリヤ兵を見て、ある人が提案した。
「ユーカリを植えたらどうだろう」
 やがてユーカリが何本も植えられ木陰ができ、シリヤ兵は木の下で身を休めるようになつた。それを見たイスラエル軍はユーカリを集中攻撃した。提案した人はイスラエル側のスパイだったそうである。
 シリヤは元の国境線のガリラヤ湖畔まで返還するように求めている。しかし、イスラエルにとってゴラン高原は戦略的に非常に重要な地域だということが、現地を見るとよく分かる。返還問題は、周辺諸国との相互間の譲り合いだとか平和的共存というけれども、それほど簡単ではないことがよく理解できた。
 ゴラン高原の後はヨルダン川で友人が洗礼をうける予定になっていた。因みに、イエスはこのヨルダン川で、バプテスマのヨハネによって洗礼を受けた由緒ある所である。友の一人が、その川で洗礼を受けたいといっていたが、ゴラン高原からの帰りが遅くなり、ヨルダン川に設けられた洗礼所が閉まってしまった。洗礼は急遽、変更になった。
「食堂の前の水道で洗礼をするの? 」
洗礼をうける友人が泣きそうな声でいった。
「ホテルに戻ったらすぐ食堂の前に集まってください。『ホテルの前のガリラヤ湖で、浅いけれど寝ころがってもいいからやりましょう』と聞いたけど、あなたの聞き間違いだと思うわよ」で、事なきを得た。
食事が終った後、一行はガラリヤ湖畔に集まった。太陽が沈み、西の空が薄いオレンジ色に染まった。水草の茂みで蛙が鳴いている。
 白い洗礼服の牧師と白いシャツを着た友人が湖岸に向かい合って立った。岸辺にさざ波が引いては寄せてくる。
「♪わが君イエスよ罪の身は、暗き旅路に
  まよいしを、くまなく照らす……」
 集まった人たちが賛美歌を唄った。
「あなたは、主イエス・キリストの救いであるバプテスマを心から願いますか」
 牧師と友人は夕日の映える湖水に静かに入っていった。波紋が拡がる。夕映えに二人のシルエットだけが浮かんだ。
「……なんじの罪ゆるされたし……」
 牧師が友人の頭を水に浸けた。 
 再び賛美歌がひびく。
 クリスチャンとなった友人を、私は、心から祝福したい思いに満たされた。
 気がつくと、対岸のティベリヤの街は宝石をいっぱいつけた夜会服に着替えたように、きらきらと輝きだしていた。
               つづく               

 

編集後記

楽しく歩くためにウォーキングシューズを買いました。機能的で外見も格好良くなった靴がいっぱいあって選ぶのに困りました。
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Zakkaya Weekly No.527

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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