☆ 山中 鹿之助 (谷口 廻瀾作)
大義は山の如く 身は毛に似たり
誰か成敗をもって 英豪を品する
清光一片 初三の月
忠魂を照映して 万古に高し
山陰の戦国時代の武将、尼子十勇士の一人であった山中鹿之助(山中幸盛)は主家、尼子氏再興のため苦難をかえりみず戦い、生き、そして死んだ悲劇のヒーローとして有名です。
彼が「願わくば
われに七難八苦をあたえたまえ」と三日月に祈ったという逸話は講談などでよく知られています。山中鹿之助の生涯は決して成功物語ではありません。日本人はなぜかこのような悲話に感銘する傾向があるようです。
映画通を自認する私の友人の言によると、アメリカの西部劇が世界中で受け入れられる理由の一つは、西部劇の筋には一定のパターンがあり、それは(1)悪が街にのさばる、(2)ヒーローが現れ悪と戦い、(3)街が守られる、といったことなのだそうです。この場合、映画は移住白人の立場で描かれるので先住民(アメリカ・インデアン)は悪のほうに分類されてしまいます。
要するにアメリカ西部劇映画は「勧善懲悪(善事を勧め、悪事を懲らすこと。=ハッピーエンド)」が原則なのです。これなら単純明快であり、映画を見終わって“考えさせられる”こともない、よかったよかったと安心していられるわけです。また勧善懲悪なら世界中に通じる普遍性もあります。往年の西部劇名画「シェーン」などその典型です。
映画で一定のパターンといえば、かつて日本で大ヒットした寅さん映画(渥美
清さん主演の「男はつらいよ」シリーズ)もそうでした。この映画は私も大好きでシリーズ(全48作)のほとんどを観ました。
「男はつらいよ」ではテキヤ稼業の主役(フーテン寅=渥美清さん)が柴又の“とら屋”を飛び出し、旅先で出会ったマドンナに淡い恋をし、恋に破れて再び旅に出る、というのがおおよそ毎回の筋書きです。一定のパターンで筋書きが進むので観客側は安心していられるわけです。
このように最近は日本でも「男はつらいよ」式のストーリー展開も受け入れられていますが、でもやはり日本人にとって山中鹿之助式悲話や“考えさせられる”式の筋書きのほうが心を打つのではないかと私は思います。
日本の4月は新入学、新入社の季節です。40年以上前、私は学卒後はじめての就職試験を受けました。その際、作文試験がありました。テーマは確か「社会人への覚悟」といった類のものだったと思います。
私は学校生活から一社会人として、また企業人として世の中へ羽ばたく意気込みと覚悟を綿々と書き込み、そして最後にこう締めくくったのを今でも鮮明に記憶しています。
――― 「かの悲運の驍将、山中鹿之助は三日月に向って『願わくば
われに七難八苦をあたえ給え』と祈ったという。私もこれからの会社生活において、いかなる困難に直面しても回避せず、社会、企業、そして自分自身のため成長するよう努力し・・」
こんな幼稚な作文でよく就職試験をパスできたものだと今でも恥じ入っています。 河合 将介(skawai@earthlink.net)
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