☆ 児島高徳 (榛葉 竹庭作)
独り 鸞輿を遂いて 火坑に入る
秉忠憂国 烈夫の情
胸懐 一に託す 荒庭の樹
十字 万世の名を留むるに堪えたり
天 勾践を空しゅうする莫れ
時に 范螽 無きにしも非ず
太平記で有名な南朝方の忠臣・児島高徳は元弘の乱の際、北条方に敗れた後醍醐天皇が隠岐に流される時、天皇の奪還を試みるものゝ成功せず、庭木の幹を削って『天莫空勾践 時非無范螽』(天勾践〈こうせん〉を空〈むな〉しゅうする無かれ、時に范螽〈はんれい〉無きにしも非ず)と書きつけて立ち去ったという話はよく知られています。
因みに勾践は中国古代春秋時代の越の国王で、ライバルの呉王闔閭を破ったものゝその息子の夫差に敗れてしまった。―――
雌伏する勾践に仕え、後に夫差(呉王)を討って「会稽の恥」をすすがせた忠臣が范螽というわけです。児島高徳は自分を范螽になぞらえて、自分の気持ちを後醍醐天皇に伝えようとしたと言う逸話です。
後醍醐天皇は良い忠臣を持っていたものです。児島高徳は仕える天皇の不遇に際しても変心することなく忠誠心を貫きました。
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ほぼ1年前のことです。私は引退者仲間(日本人)で作る「シニアネット・クラブ」の数人と近くのカラオケ・ボックスへ行きました。このメンバーは既にビジネスの第一線から引退し、思い思いに第二の人生を過ごす仲間達ですので、時々ウイークデイの昼間からこのような時間を過ごす幸せを享受しています。
カラオケ・ボックスではF氏がまず歌う曲を機械に登録しました。彼が選んだ曲は古い小学唱歌から「児島高徳」という歌でした。
♪ 船坂山や杉坂と 御あと慕いて 院の庄
微衷をいかで 聞えんと 桜の幹に 十字の詩
「天勾践を空しゅうする莫れ 時范螽無きにしも非ず」♪
いまどきのカラオケ・ボックスは通信カラオケになっているためか、こんな歌まで歌えるのには驚きでした。朗々と(ということに一応しておきましょう)歌い終わって感動に浸っているF氏に対し、思わず「古いですねえ!」と言ってしまった私でしたが、幸いF氏は気を悪くする様子もなく「いや、この歌には深い想いがあるのですよ」と一言だけ、そして歌は次の人へと続いていました。
後日のある日、私がたまたまF氏の自宅へ招かれ食事をご馳走になった時のことです。食後リビングルームでの雑談中、彼は棚の上の置物を手にし、私に見せながら言いました。
「この間、私がカラオケで歌った『児島高徳』ねえ、あの歌には私の想いがあると言ったでしょう?実はこれなんですよ」
見せられたのは高さ15センチ、直径5センチほどの丸い木の株でした。手にとって良くみると表面に文字が刻んでありました。その文字とは『天莫空勾践 時非無范螽』の十文字でした。
彼はビジネス現役時代、日本の郷里近くの企業に勤めていたそうです。この企業は典型的な同族企業であり、その上経営者一族間の醜い派閥争いが絶えず、彼は営業課長時代に図らずもこの争いに巻き込まれ、さらに辺鄙な地方に飛ばされたことがあったそうです。
送別会の席上、部下だった営業の全員(といってもたった6名でしたが)が記念品として贈ってくれたのがこの置物(木の株)だったのだそうです。
古風なF氏と木の株の置物、そしてそこに刻まれた十文字(天莫空勾践 時非無范螽)、いかにも彼らしいエピソードだと思わず私も感動しました。因みに彼はその後一年ほどで実績を買われ本社に戻ったそうです。
そのF氏が先月突然病に倒れ亡くなりました。葬儀は身内だけの密葬だったそうで私たち仲間内にも連絡がありませんでした。
数日前ご家族が落ち着いた頃を見計らってF氏宅を訪れ仏前にお参りさせていただきました。彼の真新しい位牌が安置された仏壇の脇に十文字の置物が置かれていたのが印象的でした。
【注】歴史によると呉越の戦いで越王勾践のため尽くした范蠡もその後、越を離れてしまいました。越を離れるとき彼は勾践を批判して「飛鳥尽きて良弓蔵され、狡兎死して走狗烹らる」(飛ぶ鳥がいなくなれば良い弓は仕舞われ、うさぎが死ぬと、猟犬も不要になり煮て食われる。敵国が滅びたあとは、軍事に尽くした功臣も不要とされて殺されることのたとえ)と言ったそうです。私はこの逸話についての見解をF氏に聞くのを忘れてしまい今でも残念です。 河合 将介(skawai@earthlink.net)
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