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NO.520                Ryo Onishi              4/30/2006   

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雑貨屋のひとり言

ゴールデンウィークに入りましたね。みなさんどう過ごされるのでしょうか?
私はこれから一週間、曜日を気にしない気楽な生活ができます。いつものようにのんびり過ごしたいと思います。近所にリニューアルされた大きなショッピングセンターがオープンしたので行って来ました。連休はじめに併せてオープンしたのでたくさんの人でにぎわっていました。この周辺は大きなショッピングセンターがたくさんあり激戦区なので、いつまでこのにぎわいが続くかなあと思っています。(R.O.)

人間到るところ青山あり(その2)

 前回(Zakkaya Weekly 519号)に掲載された私の駄文『人間到るところ青山あり』はこの欄を含めて、他にも日米のシニア・グループにも発信しました。それに対し何人かの方々からコメントをいただきました。ありがとうございました。
 以下、いただいたコメントの一部をご紹介させていただきます。

(1)・・人間到るところ青山あり。若い頃からこの言葉を肝に銘じていたのに結果から見れば一歩も踏み出せずに晩年を向かえてしまいました。海外で活躍している方々は何歩も踏み込んで生活しているわけで、尊敬しております。メールのお陰で皆さんの活躍を少し覗けるのでありがたいです。

(2)・・私のように「あいのこ」の孫を3人も持つと国籍や民族などと拘っていられません。
「世界は一つ」とならんなんて、夢みたいな理想に酔ってしまいます。…甘いですね……でも、夢は夢…(略)
私は、米国で往生する予定です。骨灰などどこに蒔こうと拘りなしです。 葬式仏教、先祖伝来の墓、戒名など不要と思っています。地球の大地に還れれば本望です。
 子孫の「こころ」に、私が思い出として残っていればそれで、満足、感謝の極みです。
    それも孫で消えてしまうでしょう?
墓石を作るなら「自分史(後世へのメッセージをいれて)」を本かフロッピーに残すほうが良いと思っています。(略)
貴兄が今際の水は、母国、日本のどこかで…と決めるのは、それはそれで結構ですが、意識朦朧としてからでは遅いですから(他人や身内に迷惑がかかる)墳墓の地と、あの世の旅立ちの段取りは、僭越ですが、迷っていないで早いほど良いと思います。

(3)我々も避けられない事として、今こちらでは葬儀のあり方が話題に成っています。理由は寺も含めて現代人の思考とマッチしないためでしょう。具体的には、通夜なし、告別式なし、火葬だけ・・・これを称して直葬と呼ばれ、東京では3割近く、もっとおおいかも?と新聞に載っていました。
 これも一つのビジネスと捉え、故人の偲び方プランなるものを用意して、今は介護等に費用がかかり、従来型のようには出来ない人達に対応して居るとのことです。
 放送作家で有名な永六輔の本に、戒名が30万円だ50万円だと言われて、しかも訳の分からない法名を付けられると、誰だか分からないし、永家は法名なしで仏の弟子を意味する「釈 何々」で何々は名前を入れているそうです。 私も親の時に経験がありますが、あの金額は全く意味不明です。
ついでに思い出しますが、かつての知日家ライシャワー氏の散骨です。たしか太平洋でした。
その後も石原裕次郎は相模湾、それで寂しいのであれば、骨を埋めてそこへ木を一本植えて、みんなで木になろうと言っている人がいました。
 しかし私に以上のことが、出来るかは兄妹6人の長男のてまえ不可能でしょう。やはりまだ古い日本人です。

(4)・・本当に誰しも、一度は、なんかの折にふと考えることですね。
叉この世に生をうけたものは、必ず迎えることですもの。(略)今は、地球規模で墓地のことも、叉孫が、どんな民族の人と国際結婚しようが、日本だけにこだわらず、世界規模で考えるより仕方なく、未来は、それで良いと、親のほうが一つも二つも考えを、飛躍して今は、それこそ人間至る所青山有りで、親子でも遠く違った国に、永遠に骨を埋める
ことになった今は、それに、こだわらない心境になっています。
でも、寂しくないといえば、うそにはなりますが。

(5)骨をどこに埋めるかの迷いは私達には大切な問題ですね。いや、具体的に骨を埋めるのは、どこでもいいのですが、要は人生の最終章をどこで迎えるかということです。
個人個人で随分違うとは思いますが、子供や孫がどちらに住んでいるのかによって決まるような気がします。子供や孫がアメリカに住んでいるのに、老夫婦だけが日本に骨を埋めようと帰国してしまったのでは、アメリカにタネを蒔いたのは何だったの?と聞かれそうです。
またゆくゆくは日本で、などと思っていても、死は突然に訪れるものですから、結果的にはアメリカになるのではないでしょうか。ここ数年不運にも他界した知人や友人達は結果的にはアメリカに骨を埋めました。ならば、いまのうちに決めておいた方がよろしいのでは。河合さん、それは永遠の銘などというものでなく、身近な問題ですよ。

 皆さん真剣にお考えのようで、いろいろ貴重な、そして示唆に富んだコメントをいただき、感激すると同時に、私自身、深く考えさせられているところです。                     河合 将介(skawai@earthlink.net)

さくらの独り言「 こんにちは・・・」

”こんにちは“を”こんにちわ“と書く人が多い。かつては小学校1年生の国語の教科書、その最初のページに登場していた挨拶ことばであるにもかかわらず。この”Wa“の”は“を、”わ“と書いた人が親しい人の場合、私は決まってこう言うことにしている。「こんにちはの”Wa“は、わたしの”わ“ではなく、春の”は“で〜す。わたしの”わ“は、名詞以外に文頭にくることはないのだ」と。そして続けて言う「”こんにちは“って、とても綺麗な日本語だよなぁ〜」と。

日本語の日常挨拶言葉である、「あはようございます」、「こんにちは」そして「こんばんは」。 “は”で終わっている二つは、「今日(今晩)は、ごきげんいかがですか(お元気ですか・どうですか)?」が省略されたものと云われている。省略言葉の多い現代生活や若者言葉に戸惑いと覚える毎日だが、こんな日常の挨拶言葉も、もともとは短縮・省略言葉なのだと滑稽に思う。考えてみると、一日の中で最も使う時間帯が長いのが、この「こんにちは」。陽が明るい間なら、この一言で一日を通すことだってできる。「どうも」に並ぶ便利な日本語ともいえるかも。現に外国人が最初に覚える言葉は、「どうも」と「こんにちは」。「ありがとう」は美しい日本語でありながら、なかなか外国人が覚えたり発音したりするには容易ではないらしいし。また、「こんにちは」は、挨拶言葉としてのみならず、世界的なイベントのテーマソングとして知られるものも少なくない。

ところで、「こんにちは」が登場する歌で、1960年生まれの私が知っている(歌える・記憶にある)ものは、二つ。梓みちよが歌う「こんにちは赤ちゃん」と三波春夫が歌う「世界の国からこんにちは」だ。前者はともかくも後者は、オリンピックや万博などグローバルイベント開催時には今も歌われる。昨年、愛知県で開催された『愛・地球博』でも歌われたとか。改めてこの歌を歌ったり、聞いたり、読んだりすると、この「こんにちは」が世界中の人々に愛されることも良くわかる。ここに歌詞を紹介する。
「世界の国からこんにちは」(作詞:島田陽子、作曲:中村八大)
「こんにちは こんにちは 西のくにから
こんにちは こんにちは 東のくにから
こんにちは こんにちは 世界のひとが
こんにちは こんにちは さくらの国で
1970年の こんにちは
こんにちは こんにちは 握手をしよう

こんにちは こんにちは 笑顔あふれる
こんにちは こんにちは 心のそこから
こんにちは こんにちは 世界をむすぶ
こんにちは こんにちは 日本の国で
1970年の こんにちは
こんにちは こんにちは 握手をしよう
こんにちは こんにちは 握手をしよう」
この歌を歌いながら、世界の国で「こんにちは」とはどういうものかと調べてみたら、面白いサイトを発見、URLをご紹介してみる。http://www.hamajima.co.jp/hello/main.shtml

さて、大阪万博で最初に歌われたこの「世界の国からこんにちは」の頃、小学校児童だった私にとってそれは、「演歌のおっちゃんが、また変な歌を歌ってる」程度のものだった。あれから、35年、いい歌だな、そして「こんにちは」っていい言葉だな、と思うようになった。それは、教科書で学んだ「こんにちは」という挨拶言葉を、生きるという年輪の中での祈りや感謝だと知り始めているのだろう。さくらの国日本、世界の人々の平和を願う日本、心の底から、こんにちは・・・っと呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

背丈子に目方女房に追い越され

また何かねだる気らしい娘の笑窪

ハイレグの我が娘の脚に目を逸らし

ケータイがみんな知ってる娘の秘密

閉め出した娘に開けておく勝手口

( ニュースやぶにらみ )

「千葉7区補選敗退」
最初はグー 最後はパー −自民党

「小菅拘置所」
がっちり出来ているな −姉歯元設計士、木村建設社長

「堀江被告保釈」
8人が入ってきて狭いので ―小菅拘置所

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

 イスラエル紀行( 1 )
   バッグに形見の時計を入れて
 
 ウィドウになって、私は教会へ行き始めた。
信仰を求めたのではない。教会関係の人には申し訳ないが、暇つぶしと好奇心であった。
 癌で逝った夫が、まだ健康なころ、日曜日がくると私たちはドライブに出かけていた。トーマス・ビンセント橋を渡り海沿いの道を南下しニューポート・ビーチまで行く。時にはラグナニゲェール辺りへ足をのばす。気に入ったら一途な性格夫は、五、六年の間、同じコースを走った。
 一人残された私は、辛い日曜日になった。
 夫の介護を手伝ってくれた友人が教会に通っていた。クリスチャンではないが、
「気持ちが落ち着くのよ。ただ、それだけ」
 と肩肘張らない友人に好感をもった。夫に先立たれたウィドウ同士だ。
 それに、三十年前、勤め先の韓国女性にもらった聖書が、読まれることもなく書棚に収まったままだ。何が書いてあるのだろう。痩せほそった身体を十字架に打ち付けられたイエスの磔刑はグロテスクとしか私には映らない。好きになれないが、キリスト教とは何を信じよと説いているのか、知りたいと思った。
 バイブル・クラスに出席し礼拝を終えると日曜の半日が埋まった。
 教会へ行き始めて半年過ぎたころだ。キリスト教の伝道テレビ番組「ハーベスト・タイム」が十日間のイスラエル旅行を計画していた。旅好きだった夫の遺言もある。
「オレが死んだら、旅行しろよ。子供に金を残す必要はない。チャンスがあったら、次と思わず、行け。旅はいいぞ!」
「そうだ、行こう。絶対に行こう!」
 と、思った。
旅行の説明会にいった。
「行きま〜す!」
 勢い良く私は返事をした。
 ところがである。日本の姉に電話すると、
「よりによってこんな時に! 止しなさいよ。死ぬ気で突っ込んでくるテロリストの攻撃は防ぎようがないわ。神のために死ぬ殉教は、天国のパスポートだと信じて疑わない組織があるのよ。『イスラム過激派』や『ハマス』とやらいう。巻き添えくったら死に損よ。おまけに冬で雨季だっていうじゃない」
 姉の夫が商社にいたころ、中東へ出張していたから知っているといって、反対した。
「姉ちゃん、大丈夫か」
弟は訝った。 
 ハーベスト・タイム側は、イスラエルと常に情報交換をしているから、危険と判断した場合はキャンセルしますという。だが、決心がぐらついた。迷っているとイスラエル政府観光局から旅行に参加する人を通じて「行く、行かないは別にして、昼食会にいらっしゃい」と、誘いを受けた。
 メインのラザーニャも悪くないが、野菜サラダが格別美味しかった。昼食後、
「最初のトラベラーは、モーゼの……」
 観光局の人が話し始めた。
 えっ、海が割れて大勢の人が渡ったあのモーゼの時代のこと! 映画「十戒」のワンシーンが頭をよぎる。話は続いた。
「モーゼはカナンの地を探らせようと十二人の人を送り出した。(中略)内二人は、一ふさのぶどうの枝を切り取り、棒で担ぎ持ちかえったと『出エジプト記』にあります。その人たちが世界最初のトラベラーです。皆さんの手元にあるパンフレットをご覧下さい」
 何千年前のことを話題にする人たちがいる。不思議だ。どんな背景を背負っているのか知りたい。
旅を計画している「ハーベスト・タイム」から旅行を打診してきた。昼食で、外堀を埋められたような気分がしていた。私は迷った。友人を誘うと「行ってもいいわ」という。
 旅費を納める期限がきた。
「支払いに行こうよ」
 友人にせかされ、やっと私は腹をくくった。
 テロ事件に巻き込まれたら、不運だと思って諦めよう。ハイジャックに遭ったら、その時はその時だ。人間いつかは死ぬ。一人娘は良き伴侶と自立している。「リビング・トラスト」は作成済みだ。その他の書類関係は整理をし、娘に説明してある。惑うことはない。
 あるとすれば、私の生への未練。しかし、六十歳で逝った夫のことを考えると、一つ姉さん女房だった私は二年ほど長生きだ。欲をいえば限りがない。よし、としょう。
 旅程は、テル・アビブ空港に朝到着。エルサレム泊、翌日は死海へ。ヨルダン渓谷を北上してガリラヤへ二泊。地中海側のカイザリヤへ寄り再びエルサレムに戻る旅である。
 遠藤周作の「死海のほとり」を読み返した。聖書も少し勉強した。一九四七年、ベドウィンの羊飼いによって発見されたクムラン洞窟の「死海文書」のビデオをも観た。
 イエスの足跡を追うことによって私の心が信仰に傾くのか、どうか、試す気持ちもあった。出発間近になって自爆テロ事件が報じられたが、私の心に揺るぎはなかった。
 もし、夫が生きていたら「おい、行こうぜ!」と、いうに違いない。
 旅行に持参するバックパックに夫の形見である時計を入れた。
               つづく

 

編集後記

金曜日、今年初めて甲子園に行きました。熱狂的な応援のアルプススタンドで観戦しましたが、残念ながら阪神タイガースはヤクルトに負けました。土日はいい試合で勝ちましたけど。
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Zakkaya Weekly No.520

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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