前回(Zakkaya Weekly
519号)に掲載された私の駄文『人間到るところ青山あり』はこの欄を含めて、他にも日米のシニア・グループにも発信しました。それに対し何人かの方々からコメントをいただきました。ありがとうございました。
以下、いただいたコメントの一部をご紹介させていただきます。
(1)・・人間到るところ青山あり。若い頃からこの言葉を肝に銘じていたのに結果から見れば一歩も踏み出せずに晩年を向かえてしまいました。海外で活躍している方々は何歩も踏み込んで生活しているわけで、尊敬しております。メールのお陰で皆さんの活躍を少し覗けるのでありがたいです。
(2)・・私のように「あいのこ」の孫を3人も持つと国籍や民族などと拘っていられません。
「世界は一つ」とならんなんて、夢みたいな理想に酔ってしまいます。…甘いですね……でも、夢は夢…(略)
私は、米国で往生する予定です。骨灰などどこに蒔こうと拘りなしです。 葬式仏教、先祖伝来の墓、戒名など不要と思っています。地球の大地に還れれば本望です。
子孫の「こころ」に、私が思い出として残っていればそれで、満足、感謝の極みです。
それも孫で消えてしまうでしょう?
墓石を作るなら「自分史(後世へのメッセージをいれて)」を本かフロッピーに残すほうが良いと思っています。(略)
貴兄が今際の水は、母国、日本のどこかで…と決めるのは、それはそれで結構ですが、意識朦朧としてからでは遅いですから(他人や身内に迷惑がかかる)墳墓の地と、あの世の旅立ちの段取りは、僭越ですが、迷っていないで早いほど良いと思います。
(3)我々も避けられない事として、今こちらでは葬儀のあり方が話題に成っています。理由は寺も含めて現代人の思考とマッチしないためでしょう。具体的には、通夜なし、告別式なし、火葬だけ・・・これを称して直葬と呼ばれ、東京では3割近く、もっとおおいかも?と新聞に載っていました。
これも一つのビジネスと捉え、故人の偲び方プランなるものを用意して、今は介護等に費用がかかり、従来型のようには出来ない人達に対応して居るとのことです。
放送作家で有名な永六輔の本に、戒名が30万円だ50万円だと言われて、しかも訳の分からない法名を付けられると、誰だか分からないし、永家は法名なしで仏の弟子を意味する「釈 何々」で何々は名前を入れているそうです。 私も親の時に経験がありますが、あの金額は全く意味不明です。
ついでに思い出しますが、かつての知日家ライシャワー氏の散骨です。たしか太平洋でした。
その後も石原裕次郎は相模湾、それで寂しいのであれば、骨を埋めてそこへ木を一本植えて、みんなで木になろうと言っている人がいました。
しかし私に以上のことが、出来るかは兄妹6人の長男のてまえ不可能でしょう。やはりまだ古い日本人です。
(4)・・本当に誰しも、一度は、なんかの折にふと考えることですね。
叉この世に生をうけたものは、必ず迎えることですもの。(略)今は、地球規模で墓地のことも、叉孫が、どんな民族の人と国際結婚しようが、日本だけにこだわらず、世界規模で考えるより仕方なく、未来は、それで良いと、親のほうが一つも二つも考えを、飛躍して今は、それこそ人間至る所青山有りで、親子でも遠く違った国に、永遠に骨を埋める
ことになった今は、それに、こだわらない心境になっています。
でも、寂しくないといえば、うそにはなりますが。
(5)骨をどこに埋めるかの迷いは私達には大切な問題ですね。いや、具体的に骨を埋めるのは、どこでもいいのですが、要は人生の最終章をどこで迎えるかということです。
個人個人で随分違うとは思いますが、子供や孫がどちらに住んでいるのかによって決まるような気がします。子供や孫がアメリカに住んでいるのに、老夫婦だけが日本に骨を埋めようと帰国してしまったのでは、アメリカにタネを蒔いたのは何だったの?と聞かれそうです。
またゆくゆくは日本で、などと思っていても、死は突然に訪れるものですから、結果的にはアメリカになるのではないでしょうか。ここ数年不運にも他界した知人や友人達は結果的にはアメリカに骨を埋めました。ならば、いまのうちに決めておいた方がよろしいのでは。河合さん、それは永遠の銘などというものでなく、身近な問題ですよ。 |
皆さん真剣にお考えのようで、いろいろ貴重な、そして示唆に富んだコメントをいただき、感激すると同時に、私自身、深く考えさせられているところです。 河合 将介(skawai@earthlink.net)
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