男兒立志出郷關(男児志を立てて郷関を出ず)
學若無成不復(学若し成る無くんば復還らず)
埋骨何期墳墓地(骨を埋むる何ぞ期せん墳墓の地)
人間到處有山(人間到る処 青山有り)
幕末の勤皇僧であった 釈 月性
が詠んだ漢詩で、私の好きな詩のひとつです。(資料によっては「學若無成不復、埋骨何期墳墓地」が「學若無成死不還、埋骨豈惟墳墓地」となっています)
『将(まさ)に東遊せんとして壁に題す』と題されたこの詩は、学問の為、故郷を後にして、上京する青年の志を詠じたものといわれています。
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男子たるもの、ひとたび志を立てて故郷を出たからには、学業が成るまではたとえ死んでも決して帰らない決心である。骨を埋めるにどうして故郷の墓地に執着しょうか。
広い世間には、どこへ行っても骨を埋めるところ(墓地)があるではないか。――― |
私の知る限り、例えば中国人や韓国人がそれぞれ祖国を離れ異国で生活する場合、移住地に定着してしまう割合が多いと感じます。現に地球上のあらゆる国に華僑(Overseas
Chinese)と称する中国系の人々が定着しており、世界中の華僑の総人口は2千万人とも3千万人とも言われています。
華僑の「華」は中国を意味し、「僑」は“仮住まい”の意なのだそうですが、現実は“仮住まい”ではなく永住者が多いのではないでしょうか。彼らはまさに「人間到る処
青山有り」を実践しています。これだけの華僑人口が世界中にいるということは、それぞれの地で政治的、経済的影響力すら行使することも出来ます。
それに対し、一般論として日本人は海外に限らず郷関を離れても移住地に骨を埋める覚悟の人は相対的に低いようで、最後にはまた祖国、故郷に戻りたいという意識(潜在・顕在の違いがあるも)があるといえましょう。“故郷に錦を飾る”という言葉があるほどです。
私自身も郷関(生まれ故郷)を遠く離れ海外の地で(一応)頑張っていますが、果たしてここ米国で骨を埋める覚悟までしているかといわれると、気概はともかく、恥ずかしながら“否”といわざるをえません。足腰と口が達者なうちは米国も住み心地は良いのですが、個人主義で競争社会の米国では心身の老化は最大の敵(ハンデ)であり、青山を米国に求めるか迷います。
「広い人間(じんかん=世間)どこへ行っても骨を埋めるところがあるではないか」――― 壁に題し詠じた釈
月性の心意気は“言うは易く、行うは難し”ですが、また、それだからこそ迷いの多い私自身にとって永遠の銘であるといえます。
河合 将介(skawai@earthlink.net)
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