weekly
 

No.496          Ryo Onishi               11/13/2005   

 weekly

 

河合さんの さくらの独り言 川柳 & コント 森田さんから ホームページ
成岡流お酒 雑貨屋のひとり言 LA観光スポット 編集後記 バックナンバー
 .
雑貨屋のひとり言

先週も書きましたが、アルコール量を減らし、適量の食事にするといいことがあります。体重が減り、苦しかったジーンズも楽にはけるようになります。酒屋通いもなくなり小遣いに余裕ができます。飲酒の後、テレビの前で眠ってしまうこともなくなります。これに適度な運動を加え、万全?と行きたいものです。(R.O.)

迷 惑 電 話・ファックス

 ここ二回にわたってこの欄で「迷惑メール(E‐メール)」について書き、何人かの方から意見と共感のE-メールをいただきました。文明の利器、ハイテク機器もこうしたネガティブな側面がどうしてもついてまわるようです。

尤も「迷惑」だけのうちは“ご愛嬌”で済みますが、これがウイルス付きとなると「迷惑・ご愛嬌」の域を脱し、大被害を蒙ることになるわけで本当に困ったものです。

 今回の話題に関連し、ある友人いわく「迷惑E-メールも困ったものだが、迷惑電話・ファックスにも手を焼いているんだよね」

 たしかに私も一部同感です。我が家の電話とファックスもこちらの都合に関係なく、私にとって無関係、無関心な受信が最近多くなりました。これらは確かに迷惑です。

迷惑の内容はほゞ全部が商品、ビジネス広告で公序良俗に反するものがないのが E-メールとは違っていると言えるかと思います。

 我が家への迷惑電話とファックスについては統計をとっていないので正確には把握していませんが、電話は最低一日6、7回、ファックスは一日2,3枚程度です。

 不動産や株式投資案内、旅行案内、各種商品の売り込みなどが中心です。以前は携帯電話のセールスが多いこともありました。

殆どの場合、私はこの種の電話に対しては一言“No interest ,No thank you!” と断ることにしていますが、相手のトークにこちらもつい乗ってしまい断るタイミングに困る時もあったりし後で反省したりしています。

また、時には居留守を使って Voice Message(留守番電話)モードにしてみたり――― 尤もこういう時に限って重要な電話だったりして、あわてて受話器をとって「ア!、すいません。今チョット電話機から離れていたものですから」などと狼狽がちに取り繕ったりして・・。

 迷惑ファックスについては受信数こそ少ないですが、それでもこんなことに紙とカーボン紙(我が家の機械はロール・カーボン紙使用タイプ)を無駄に使ってしまうのが惜しい気がしています。

 我が家も最近はファックスを使用する情報交換は殆どなく、迷惑ファックス受信のために機械を設置しているようなものですからファックス機械を外してしまおうかとも思うのですが、それでも時々私にとって必要な受信もあり、外せずに困っています。

 これらの電話とファックスに関しては、発信者サイドの立場に立てばその殆どが正当なビジネス活動であり、立派な営業行為です。その真摯で熱心な態度には時には敬意さえ感じます(中には録音テープを一方的に聞かされる場合もありますが)

これらセールス・トークや情報を受信者側である私が勝手に「迷惑」扱いをすることに多少は申し訳なく思わないでもありません。

電話とファックスの向こう側の皆さん、お仕事本当にご苦労様です。「迷惑・・」などと言ってごめんなさい。
                                             河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言 紅(くれない)の秋

暖冬を予報される程訪れの遅かった東京の秋も、日に日に深まりをみせている。また、日光の山々では、雪化粧と紅葉が冬と秋の二つの季節を映し出し、紅葉狩りのピークを迎えているという。そんな、美しい秋の日光へ足を運んでみたいと思いつつ、小春日和の今朝、バルコニーから隅田川上流を眺めていた。その時、この隅田川から日光へ旅をした松尾芭蕉を思い出し、日光の紅(くれない)ならずとも、芭蕉かほりを訪ねてみようかと、先週に引き続き“気ままな散歩”へ飛び出した。数年前に訪れたことのある芭蕉記念館へのかすかな記憶をたどって・・・

おにぎりを2個、お茶、そしてキャンディと熊本みかんをリュックに背負い、ジーンズ姿に帽子をかぶって佃の我が家を出発。先週と同じように中央大橋を渡り、足は隅田川に沿って川上へ。わずか1週間しか経っていないのに沿岸の桜並木が赤味を帯び始めている。ここにも“くれないの秋”を感じながら先週初めて渡った永代橋を、今日は親しみを感じながら渡る。永代橋を渡り終え、さっきとは反対側の隅田川に沿って、またまた川上へ。そして清澄橋の土手を上がり、万年橋を渡る。そこに松尾芭蕉の旅の始まりと伝えられる芭蕉庵跡があり、隅田川を見下ろすように芭蕉像が建立されている。さらにそこから100メートル上流の川沿いに芭蕉記念館がある。実はこの芭蕉記念館、玉兄貴こと中條さんご夫妻に案内して頂いたことがある。まだ、私が米国滞在中の日本出張で東京を訪れた時のこと、今から6、7年程前になるだろうか、東京の右も左も知らない頃のことである。今、その記念館に再来、あらためて芭蕉文学に触れる。

記念館入り口・庭園内の句碑に刻まれた、おなじみの句が目を引く。
『草の戸も 住み替る代ぞ ひなの家』
  『古池や 蛙飛こむ 水の音』
館内の展示室は、延宝8年(1680年)吟の「枯枝に」句短冊、元禄4年(1691年)正月3日付句空宛「芭蕉書簡」、与謝蕪村筆の芭蕉坐像図や俳諧資料などが展示されている。句短冊(ほとんどが複製)の流れるような筆運びの文字を正確に読み解る人が、今時、何人いるのだろうか、と思っていたら、参観者の一人のお年寄りが連れの若者に解説していた。よほど造詣のある人物だろうが、もっと一般の人に(特に若い人に)理解してもらうような口語体の解説があってもいいのでは、という不満が残る。が、それはさておき、芭蕉といえば、「月日は百代の過客にして行かふ年もまた旅人なり」で始まる『奥の細道』。芭蕉46歳の元禄2年(1689年)3月、弟子の曽良を伴い、ここ深川を出発。主な地名を列記すると千住、草加、日光、那須、白河、福島、仙台、松島、石巻、平泉、尾花沢、最上川、出羽三山、酒田、越中、金沢、小松、大垣(終着)、全長2400キロを150日間で歩いたという。これは1日平均16キロ(4里)歩いたことになる。当時の46歳といえば、相当の高齢者、芭蕉もお供の曽良もかなりの健脚だった、ということになる。芭蕉の生まれが伊賀の国とあって、“芭蕉は伊賀忍者だった”という巷説もまことしやかに思える。さくら、45歳というのも、いとおかし。

ともあれ、ここ記念館でたっぷりと“芭蕉文学”に浸ることが出来た。記念館の裏側に出ると隅田川沿いに「奥の細道レリーフ」があり、歩いた諸処での代表句が刻まれている。
帰路はやはり隅田川。この沿岸で“くれないの秋”を見るにはまだまだ数日を要するが、
『川上と この川下や 月の友』(芭蕉)
をもじって、「川上と、この川下や 紅(べに)の友」っと呟く、さくらの独り言。

 

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

定年の庭がスズメと仲がいい

ベランダの実りも小鳥ちゃんと知り

喧騒の渋谷 ハチ公眠れない

セールスをペットの蛇と出迎える

手品師の鳩 人間を馬鹿にする

( ニュースやぶにらみ )

「各地で暴動」
フランスも反日? −中国

「 フジモリ氏への助言」
カイカクを叫びつづけることです −小泉首相

「前進」
平行線上を −6ヶ国協議

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載「夫と私 」  
            ひと筋の光り( 6 )

 「キモセラピーを受ける前にこの本を読んでください」
 癌の専門医G医師の問診を終えると、入れ替わりに看護婦が小冊子を三冊持ってきた。
 国立癌協会の出版物で癌療養中の食事のヒントと注意事項が書かれいる本であった。キモセラピーは、体内に浮遊している癌因子を叩くのが目的であるけれども、当然、正常な組織も破壊される。その副作用として、吐き気、嘔吐、食欲不振、痺れ、下痢などの症状が現れる。髪も抜ける。だが、治療が終わると回復するというようなことが載っていた。
 十年ほど前だった。親しくしている友人が末期の胃癌で、キモセラピーを受けた帰りに気晴らしに我が家へきたことがある。たしか、抗癌剤を体内に埋めこみ、なおかつ四週間に一度のキモセラピーを受けていた。
「こんな辛い療法を受けるくらいなら、死んだほうがましだと思うことがあるわ。だって、四週間のうち普通の気分でいられるのは数日だけなのよ。かったるくて、生きた心地がしないの、ただ延命だけなのに……」
 友人は副作用の辛さを嘆いた。
 彼女は耐えきれなくなって、とうとうキモセラピーを止めて、間もなく逝ってしまった。勿論、十年の間に抗癌剤も改良されていると思う。しかし、そんなことを思い出し、夫も私も落ち込んだ。
 三月三十日、第一回目のキモセラピーを受けた。
 一週間前までうどんが食べられた夫は、いまや、ベビー・フードや絹越し豆腐、具のない茶碗蒸し、山芋とろろ、お粥のようなペースト状の食物しか喉を通らなくなった。しかも、小匙半分を舐めるようにして時間をかけて流し込む。ときには、
「あっ、喉がビタッと蓋をしたように閉まった」
 という。そうなると水一滴も飲めない。
「あっ、開いた」
 そんなことの繰り返しだった。
 夫はみるまに衰弱し、背中が痛い、身体がだるいと訴えるようになった。心配していたキモセラピーの副作用は思ったよりも少ない。だが、気弱になった。
「頼む、オレを独りぽっちにしないでくれ」
 こんなことをいう人ではなかったのに、弱音を吐く。
「これからはオマエが責任をもってやってくれよ」
 といって、夫がしていた家計や銀行の重要書類などを私にひき継がせた。税金や車のメインテナンス、家周りのこと、はては金魚の水槽の手入れまで私に教えた。ニメートル幅の水槽が一つ、一メートル幅のが一つ、手入れは骨が折れた。遺言書の「リビング・トラスト」は昨年の九月に作成している。一人娘はサンフランシスコで独立し結婚相手もいるから心配はない。
「心残りはただ一つ」
 と、夫はいった。
「オマエ、一人で生きていけるかな、オレくらい英語力があったらなんとかやっていけるけど、大丈夫かなぁ。……しかし、残された者は意外にしぶとく生きていくかもしれん。ということは、オレの『生』への未練だけか」
 そして、独り言でもいうように、
「なぁ、人間にとって一番大事なものって何だろう。残された日々をどう過ごすのがベストなのだろうか。オマエ、どう思う?」
 と訊かれても、私も困る。一日一日を一瞬でもいい、感謝の気持ちを持つことだと思ったが自分にできないキレイ事なので黙っていた。
 そんな折り、知人のI氏から電話があった。彼は3年前、食道の中ほどに癌ができた。手術をしキモセラピーを受け、いまでは仕事に復帰し元気で働いている。
「森田君も治る。ガンバレ、大丈夫 !」
 できた場所や症状は違うけれど、同じ食道癌を患い克服したI氏の言葉に、絶望の淵でもがいてた夫は、一筋の光を見出していた。
                               つづく

 

 

 

編集後記

いつもクルマで通り過ぎるところを歩いてみると、運転中には気づかなかった街の小さな変化がわかります。歩いてもそんなに汗をかかず気もちがいいですね。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.496

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com