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No.495          Ryo Onishi               11/6/2005   

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雑貨屋のひとり言

入院がきっかけで、アルコールの摂取量を減らし、食べる量も、腹八分くらいにするように心がけるようになりました。お陰で体重が2キログラムくらい減りました。飲みすぎ、食べ過ぎの生活習慣を変えることができて喜んでいます。(R.O.)

迷 惑 メ ー ル(その2)

 前回のこの欄に「3日間で私が受信した迷惑メールの総数は218通で、一日平均72通もありました」という趣旨のことを書きましたが、これを読んだ私の友人が昨年11月19日付の読売新聞ネット版の記事を送ってくれました。そこには下記の通りの記事が掲載されていました。

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☆タイトル:ビル・ゲイツ氏への迷惑メール、毎日400万通にも 
 米マイクロソフトのバルマー最高経営責任者(CEO)は18日、訪問先のシンガポールで講演し、ゲイツ会長が毎日400万通に上る迷惑メールを受け取っていることを明らかにした。 同会長は世界一の大富豪だが、迷惑メール受信数でも世界トップ級なのは確実だ。

 バルマーCEOはゲイツ会長が大量の迷惑メールを受け取る理由を、「会長が(世界的に有名な)ビル・ゲイツだから」と説明した。同会長はこれまで、商品広告のための大量に送りつけられる迷惑メールの撲滅に取り組むと繰り返し強調しているが、断固とした姿勢の背景には、迷惑メールに悩まされる実体験があったようだ。

 ただ、社内のメール検閲システムと、従業員による選別のおかげで、ゲイツ会長が実際に読むメールはごく一部だけ。また、公表されている業務用アドレスのほか、複数の個人用アドレスも使用しているという。(時事)(Yomiuri ネット版 Nov.19,2004)

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 迷惑メールだけで一日400万通とはさすが世界のビル・ゲイツ氏です。一日平均72通程度で大騒ぎしている私なんぞビル・ゲイツ社長に比べれば“月とすっぽん”どころか、“宇宙とすっぽん”くらいの差がありそうです。

 ウイルス・メールは甚だ困り者ですが、通常の迷惑メール程度ならあまり目くじらを立てずに根気よく削除するのも日課のひとつと考えれば良いのかも知れません。私はビル・ゲイツでなくてよかったナ!! 
                                             河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言 モンナカ

秋の夜長、久しぶりにバルコニーに出て、大川(隅田川)を見下ろす。眼下にホワイトカラーでライトアップされた中央大橋、その川上にブルーの永代橋。この二つの明かりが周りに聳え立つ高層ビルのこぼれ灯と相まって、隅田の川面に揺れる。時折、左右に赤提灯をぶら下げた屋形船が行き交う。すると、隅田川の水が、大きく波を打ち、水面の明かりが万華鏡のごとく流れる。米国から帰国して5年、同じ風景を幾度となく眺めてきたが、今夜見る二つの橋は一段と輝き、隅田川を浮き彫りにして美しい。闇と明かり、そして白と青の相生が、時を超え、大川の流れと融合しているように感じる。

月に2〜3度、私は独りで隅田川周辺の“気ままな散歩”を愉しむ。季節の風に誘われ自由にプラプラと、気の向くまま足の向くまま、その時や場所を自分の五感で感じて昂じながら歩くもの。あいにくこのひと月は、新規プロジェクトの立ち上げや出張などの連続で心身の疲労が重なり、散歩の機会を失っていた。っが、穏やかな小春日和に誘われた今日(11月5日)の午後、久しぶりに“気ままな散歩”に出た。中央大橋を渡り、足は隅田川に沿って川上へ。いつもはここでUターンするのだが、今日は初めて永代橋を渡る。その昔、江戸時代の初期、大川(隅田川)には千住大橋以外に橋はなく、火事が起こると川辺の人々は逃げ場を失い、多くの死傷者が出たという。1657年(明暦3年)の江戸大火をきっかけに、まず両国橋(大橋)が架けられ、その下流に新大橋、そして1698年(元禄11年)に永代橋が架けられた。この永代橋は、幾つかの歴史的事件に登場するが、なんといっても有名なのが1702年(元禄15年)12月15日、赤穂浪士(四十七士)が本所松坂町の吉良邸に討ち入り上野介の首を掲げこの永代橋を渡り、品川・泉岳寺に向かった、という話である。永代橋を渡り切った左側の路地に『忠臣蔵・赤穂浪士休息の地』の碑が建てられている。

この道(永代通り)を真っ直ぐ行くと、門前仲町だ。江戸時代、町中には茶屋が建ち並び“辰巳芸者”が待ち受け、それを目当てに川向こうから男たちが遊びに来た“深川の岡場所”である。今はその面影はなく、深川不動や富岡八幡宮の参拝客で賑わう下町に生まれ変わっている。この門前仲町から電車で一駅、それこそ目と鼻の先である佃に5年も住んでいるのに、この町を初めて歩いた私だった。江戸文化と下町のかほりに、自分がどの時代のどこに居るのか、不思議に感じさせる風情だ。町のほぼ中心部に、赤い大門がある。一見、鳥居のようだが右の柱に深川不動堂、左の柱に成田山新勝寺東京別院とある。不動堂までの参道(約150m)は「人情深川ご利益通り」と呼ばれ、毎月1・15・28の縁日には露天と参拝客でごった返すそうだ。参道の左右には団子、深川餅、海苔巻き・稲荷寿司、揚げ饅頭、煎餅などの老舗が建ち並ぶ。不動堂の境内をふらついたあと、すぐ隣りの富岡八幡宮へ向かう。この神社が行う深川祭りは360年の歴史を誇り、神田祭、山王祭と並んで江戸三大祭りに数えられている。境内の一角に神輿の展示倉がある。ガラス越しに見ると「高さ4.4メートル,重さ4.5トンの日本最大の神輿」と説明看板に記されている通りその巨大さに圧倒される。随所に純金・宝石がちりばめてあるとか。よくよく見ると2頭の狛犬の目にはダイヤモンドが異様な光を放っている。元禄時代、豪商・紀伊国屋文左衛門が3基の神輿を寄進したが、関東大震災で消失、この豪華神輿は今様豪商の某宅配便会社会長の寄進だそうだ。それと知って、いささか興ざめしたさくら、いそいそとその場を離れ、『横綱力士碑』へ向かう。富岡八幡宮では両国(回向院)の勧進相撲より100年も前(1684年)から奉納相撲が行われ、明治時代まで続いたという。『横綱力士碑』には歴代の横綱の名が刻まれ、昭和からの名横綱・双葉山、栃錦、若乃花、大鵬、北の富士、貴乃花らの名も刻まれている。さらに境内の裏手に日本地図測量を成し遂げた『伊能忠敬像』がある。千葉で商人として暮らしていた忠敬がこの地に引っ越し、天文学や数学を学び始めたのが51歳の時。人生50年の時代であったから、かなり遅い再出発である。中高年リストラクチャが横行する現代にあって、伊能忠敬のこの大転身に勇気づけられる人も多いのではと、周りを見渡す。なんとそこには、七五三参りの着飾った元気のいい幼児たちを囲む若い夫婦づれがいっぱい、これもまた不思議な光景とニンマリする。

秋の日、なかなか面白い“モンナカ散策”であった。今夜、バルコニーから眺める永代橋のブルーライトが江戸の歴史を照らし出しているように感じ、隅田の川面に映る橋やビルの灯りがまるで走馬灯のように見えるのは、ちょっとひとりよがりすぎるだろうか。とはいえ、明日また陽が昇れば、橋も川面も表情を変える。そんな秋の夜長、「水よ風よ、橋よ明かりよ、明日のあなたたちは、私にまた何を感じさせてくれるのだろう」っと呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

ニーハオと松茸飯が言っている

松茸はともかく秋刀魚旬の味

天高く秋刀魚煙が出ていない

ショートケーキの上で季節のない苺

沢庵も本懐 百才に噛まれ

( ニュースやぶにらみ )

「デュークインパクト三冠」
刺客も使わずに? −小泉首相

「選考規準」
イエスの発音がいいこと −小泉改造内閣

「東証機能麻痺」
ヤッター! ー我が家の気まぐれパソコン

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載「夫と私 」  
            健康保険( 5 )

 「えっ、この医療費の高いアメリカで健康保険に入っていない? また、どうして? ヘタをすると財産をなくしますよ」
 夫が癌になり、健康保険がないので治療費は現金で払うしかないと愚痴をこぼすと、かかり付けの歯医者は、私の歯の治療をしながらいった。
 たしかに莫大なお金がかかる。友人のご主人は、腸癌からはじまって肝臓から肺へ転移して手術を三回、それに抗がん剤投与キモセラピーを二回ほど受けた。かかった総額は100万ドル以上、日本金では一億円を超えた。けれど幸い健康保険が払ってくれたので自己負担額はわずかだった。
「でやきゃ、家なんかとっくにないわよ」
 と、友人は話していたことがある。
 実は七年前まで、自営業だった夫はブルークロス社の保険に家族で入っていた。ところが夫が眼の手術をして掛け金が跳ねあがった。おまけに医者の請求額と保険会社の査定額の差は放っておいても問題はないと保険屋がいったのでその通りにした。すると弁護士から不払い金の取りたて請求がきた。話が違う。夫は腹を立ち紛れに保険料を滞納した。すると、保険を打ちきられてしまったのである。
 アメリカ連邦政府医療保険制度「メディケヤー」は、六十五才歳以上の人と身体障害者向けのプログラムがあり、条件付きながら医療費の八十%は国が負担してくれる。夫は五十九歳なので当てはまらない。身体障害者でもない。昨年の夏ごろ、なんらかの健康保険に入らなくてはと思い、保険の仕事をしている友人からパンフレットを取り寄せて検討していた。調べてみると、六年前に腸癌を手術しているので月々の掛け金が安くない。
「メディケヤーまであと六年間、その間の保険金を溜めるといくらになると思う?」
 健康保険に不信を抱いている夫は、計算をした。
 腸癌を患って六年過ぎた。コレストロールも血糖値も血圧もすべて正常だった。もう大丈夫と思ったのも保険に入ることをためらわせた。まさか、食道癌になろうとは思いもかけないことであった。
 私たちに健康保険がないことを知った看護婦は、気の毒に思ったらしく耳寄りな話を教えてくれた。ソーシャル・セキュリティ事務所へ行って「パーマネント・ディサビリティ・リポート」を提出すれば、医療費の六十%〜八十%を負担してくれるという。
「すぐ行きなさい」
 看護婦はいった。
「助かった !」
 と、私は思った。
 なんとかしてできるかぎりの治療を受けるしかないと覚悟をしていた私には、朗報である。すぐさま必要な書類をあつめて弁護士に手続きを頼んだ。だが、徒労に終わった。理由は、五十二歳からリタイヤ生活に入っている夫は、資格がなかったのだ。
 キモセラピーを受ける前日、私と夫は連れ立って「CCA」事務所へ行き経理担当者に会った。第一回目の治療費は約五千ドルである。現金払いの患者は二十%引きで前払い。その内訳のほとんどが『カーポプラチン』という肺癌用抗がん剤と『タキシドール』という食道癌用の薬代。週一度のキモセラピーを七回受けなければならない。それ以後の治療費は必ず払うと約束して「CCA」を後にした。
 病院はビジネスだということを、当たり前であるが、骨身に感じた。
                               つづく

 

 

 

編集後記

さわやかな気候で、おしゃれを楽しめる季節になりました。でもあっという間に、今度は寒い冬がやってくるんですね。
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Zakkaya Weekly No.495

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
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