7月21日から、公立小中学校は夏休みに入った。東京も梅雨が明け、本格的な夏を迎えようとしている。この季節、燦燦と照りつく太陽の下で鳴きはじめる蝉の声に、幾つかの忘れられないことがある。2年前の7月30日、52歳で旅立った兄、純ちゃんの看病。兄妹の熱い想いと人の命のはかなさを想い出す。今朝、マンションの中庭の池には、小さな蓮の華が浮かんでいた。高層マンションの谷間の水上に、仏の住む清らかさを感じるような想いになった。台風の影響で心なしか涼しい今日、この蓮の華に思いをよせてみた。
今年6月初旬、年に一度の里帰り(帰国)をなさったロス在住、雑貨屋・主筆でもある河合さんと玉兄イこと中條氏らと、東京・上野で会った。不忍池の近くで待ち合わせだったこともあり、みんなで不忍池に立ち寄った。開花にはちょっと早すぎたので、華は見られなかったが、そこはまるで水面を覆い尽くす蓮の葉っぱの絨毯。あれから一ヶ月あまり後の7月某日、仕事で上野方面へ行った帰り、不忍池を再訪した。『湖水浪しづかにして、紅白の蓮玉を吐きて旭をむかへ、華は水面を覆ひて、ただ芝生の如し』(「江戸砂子」)と記されているように、周囲1.7kmに及ぶ広大な池一面に紅白の蓮花が咲き競い、中央の弁天様が一段と恭しく思えた。またつい先日、所用で逗子へ行った時、何年ぶりかで鶴岡八幡宮の源平池に立ち寄った。大鳥居をくぐると、東に源氏池、西に平家池の蓮池がある。東西合わせて「源平池」と呼ぶ。この池は、北條政子が夫・頼朝の必勝を祈願して造らせたといわれ、源氏池には“産”(繁栄)の願いを込めた三つの島が、そして平家池には“死”(滅亡)を表す四つの島がそれぞれ浮かべられている。時はちょうどNHK大河ドラマ「義経」が少しずつ視聴率を上げているこの頃、今まさに源平池の紅白の蓮花が800年前の“源平合戦”を彷彿させるかのように向かい合って咲き競い、大勢の観光客の目を楽しませている。そういえば、1年前、北信州・木島平へ女3人旅をした時に訪れた稲泉寺(別名・蓮寺)の蓮池(雑貨屋第429号:2004年8月1日「自然劇場その2」で紹介)がある。約1,800坪の蓮池が寺の四方を取り囲み、見事な大賀蓮を咲かせていた。場所柄(お寺の敷地内)だけに、蓮の華一輪に浄土(仏の住む清らかな世界)を見る思いがしたものだった。大賀蓮とは、古代蓮のこと。東京近郊で有名なのが埼玉県行田市、熊谷市、羽生市などにある「古代蓮の里」。残念ながら、まだ一度も行ったことはないが、近い将来、是非にも行ってみたい場所ではある。
さて、お釈迦様に代表される仏様の台座に“蓮華座(れんげざ)”というのがあるが、蓮華とは、もちろん蓮の華のこと。蓮がインド原産というのが、いかにも当たり前のように思える。蓮の華にまつわる仏教・法華経の教えには、なかなか面白いものがある。蓮の種は「忍耐」のシンボルといい、前述した大賀蓮のごとく、土の中で何千年間も恵みの水を待っていられる種らしい。また、蓮の華は、華が咲いた時、同時に果実(種)が実るという。さらにこの蓮の華の種中にはすでに、青い芽があるというから、本当に神秘的である。しかしまた、この蓮の花は3日しか咲かない、なんともはかない華ではある。第一日目に三分、二日目に七分、そして三日目に満開で、終わってしまう。こんなことからも「一華(いちげ)五葉を開き、結果自然(じねん)になる」と禅宗の句があるのだろう。
幼少の頃親しんだわらべ歌に、「♪ひ〜らいた ひ〜らいた な〜んのは〜なが ひ〜らいた れんげのは〜ながひ〜らいた♪」というのがある。たしか、香山(こうやま)美子さん(童話・童謡作家)の詩だったと記憶している。幼い頃、その歌の「れんげのはな」というのは、春先になると田んぼや畑に咲く、あのレンゲソウだと勘違いしていたものだ。田畑に咲くあのレンゲソウではないこの蓮が、汚い泥水の中から伸びだして、美しい神秘的な華を咲かせると知ったのは、人生の折り返し地点を過ぎてからだったと思う。蓮の華に思いをよせ、今は亡き兄の純ちゃんを想いつつ、そしてはやり、美しく咲くことを願う初夏・・・っと呟く、さくらの独り言。
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