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No.478          Ryo Onishi               7/10/2005   

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雑貨屋のひとり言

7月7日、第6回関西加州会が開催されました。久しぶりにメンバーと再会し、楽しい時間を過ごせました。ロスから北岡さんも参加されてロスの近況を報告していただきました。今回、会場となったのは大阪の道修町(どしょうまち)にある「味の花菱」で、集まった20名が親睦を深めるにはちょうどいい大きさのお店でした。前回の関西加州会後からメンバーの皆さんに雑貨屋ニュースレターを配信していたのですが、結構読んでいただいていることがわかりうれしくなりました。(R.O.)

クラシック・パンツ

私の日本滞在中(5月‐6月)、友人から面白い話を聞きました。今、日本では男性の間で「クラシック・パンツ」が大人気なのだというのです。「クラシック・パンツ? ナニそれ?」――― それは要するに男子用の越中褌(ふんどし)のことなのだそうです。

そういえば、昨年は申(猿)年で、申年には「赤色の肌着」を身に付けると幸運に恵まれるということで「真っ赤なパンツ」がよく売れ、一時シニア世代の“三種の神器”として巷間に『ダンス・きみまろ・赤パンツ』という言葉まで生まれたと聞きました。

6月19日(日)は父の日でしたが、若い娘たちが父親への贈り物として購入するケースがかなりあり、その場合店頭で「ふんどしをください」とは言いづらいのでこの名前(クラシック・パンツ)としたようです。東京・銀座の大手デパートでは商品をこの名前に変えたとたん急速に売れ行きが伸び、今では堂々紳士用肌着売り場の主役の座を占めているのだそうです。ただし、残念ながら私自身でデパート現場を確認したわけではありません。

先週、当地ロサンゼルスで発行されている日本語新聞にもこの話題が掲載されていました。私は改めてインターネットで「クラシックパンツ」と検索してみました。「クラシックパンツ友の会」というホームページがありました。

このホームページによると『クラシックパンツを薦める5つの理由』とは次の通りなのだそうです。

(1) 日本の伝統だから(クラシックパンツは民族衣装だ!)
(2) 風通しが良くて蒸れない(インキン予防に!)
(3) 生地が薄いので洗濯してもすぐ乾く!
(4) ゴムアレルギーを起こさない!
(5) 腹が出ても大きなサイズにする必要がない

 なるほど、なるほど、「腹が出ても大きなサイズにする必要がない」とは便利ですね。そしてこのホームページにはさらに愉快なページがありました。それはこの「クラシックパンツ」の本来の目的以外に使える「便利な使い方」というページです。

(1) ケガをしたときは三角巾に
(2) ハンカチ代わりに
(3) 頑張るときに(鉢巻き代わりに頭に巻く)
(4) お食事に(首から掛ける)
(5) お料理のエプロンに
(6) 敵が攻めてきたときに(白旗代わりに掲げる)

 褌(ふんどし)というイメージからはこのような発想は到底出ません。でもクラシック・パンツと置き換えればこんな発想も出るのですね。

「不謹慎だ!」と目くじらを立てず、ユーモア、ジョークとして受け取っても良いのではないでしょうか。

 私のような自称「前向き発想人間」に言わせれば、この際、商品名も「クラシック・パンツ」などという“古いイメージ”とせず、「フリーダム・パンツ」なんて名前にしたら良いのではないかと思いますけれど、いかがでしょうか?そしてついでにこの「フリーダム・パンツ」の前垂れ部分に刺繍を入れ、文字や図柄を描くなんてしたら楽しいでしょうね。
                                             河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言「 ご・え・ん

最近、出張で名古屋へ出かけることが比較的多い。通常は、新幹線で名古屋駅に到着後、他の交通機関を乗り継ぎ、クライアント先へ直行する。時に、時間調整や社内ミーティングが必要な場合は、駅前にある弊社の名古屋オフィスへ立ち寄る。先日、そのオフィスが入居しているビルディング1階の総合玄関の自動ドアが開いた瞬間、ドア近くのフロアの真ん中に、何かが光った。それは1枚の5円玉だった。ビルへ出入りしている私の前を歩く人たちにも、見えないわけはない。しかし、誰も拾わない。私はちょっと恥ずかしい思いで躊躇したが、「エイヤッ」っと、思い切って拾った。「名古屋にごえんがありますよう」と呟きながら、そして手のひらにしっかりと握り締めた。

一枚の、拾った5円玉を手の中に握り締めながらエレベーターに乗った私は、色々なことを思い巡らした。「これが500円か5000円だったら、人は足を止めて拾っただろうに」とか、「5円も積もれば山になる」とか、「たった5円でもお金に違いない」とか、「5円足らなくて買い物ができないこともあるだろうに」とか、「名古屋には、本当に縁があるなあ、いやもっとご縁があるかも」など等。そして、1988年に渡米した際、穴あきコインは珍しがられ、且つ“五円”と“御縁”をひっ掛けたユニークな話題が作れるからと、沢山の五円玉を持って行ったことを思い出した。この拾ったたった一枚の5円玉はその日一日、過去や未来への思いも豊かに私をニンマリさせ、出張疲れを忘れさせてくれた。帰京する新幹線の中で、目を閉じ、5円玉のデザインを描けるかどうか試してみたが、なかなか難しい。そして思った、日常何気なく使っている5円玉をまじまじと見る、そんな日があってもいいなと。

ところで、その5円玉を新幹線内で観察していたら突然、今から25年も前、私が小学校5年生担任だった時に作ったアジェンダを思い出した。“なんと、5円玉で日本の産業構造を知ることができるぞ!”だった。5円玉の絵柄をよく見ると、3本の稲穂の茎があり、その真ん中の茎がのびて27粒の穂がある。これは農業を表している。真ん中の孔の周りには、カム・歯車模様があり、そのギザギザは16個。これは機械、つまり工業を表している。さらに円の下の方にある12本の線、これは川、海、水の意味で水産業を表している。それぞれの27、16、12の数が何を象徴しているか、これはもう忘れてしまった。日本銀行金融研究所貨幣博物館のHPによると、どの紙幣にも“裏”と“表”という言い方はないが、年銘のある方が裏、その反対側が表という区別をしているという。5円玉だと、絵がある方が表となり、その裏には年銘と2枚の若葉がある。これは草木を育てるということで林業を表す。情報システム産業の盛んな昨今、5円玉模様にも変化が起こるのだろうかと、私は愚問を投げかけてみる。

2004年春、千円、五千円、一万円と、新紙幣が発行された。20年ぶりだった。当初は、「まるで子供銀行券みたい」と非常に不評だったが、今では違和感を訴える人も少なくなり、「みんなで使えば怖くない」と、私自身も慣れてしまった。貨幣といえば、私は500円玉が大嫌いだった。理由は簡単、使えない自動販売機(特に地下鉄切符販売)が多かったからだ。だから“500円玉をもらわないように、もしくはもらうと使うように”工夫していた。ある日、この行動パターンだと、なんとなく無駄なものまで買ってしまう結果になっていることに気付いた。そして、“500円玉をもらうように、もらったら使わないように”と、発想と行動の変革、つまり、500円玉貯金を始めた(2005年2月13日発行の雑貨屋457号のさくらの独り言「貯金本」にて紹介:『1円を笑う者は1円に泣く』をもじって、『500円玉を弄ぶ者は500円玉に葬られる』と呟いた)。今、その貯金本は、足の上に落としたら怪我をするだろうほどの重さになった。そんなこんなを考えながら、拾った一枚の5円玉を眺め、「5円をご縁にしたい」ものだ、っと呟く、さくらの独り言。
kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

前略で諸刃の剣を裏返す

後略のそこにまさかの隠し球

飛ばし読みして反論のハイトーン

勿体をつけて以下同文をくれ

円周率3 ニッポンのいびつな輪


( ニュースやぶにらみ )

「安保理改革案」
5票差でもいい通したい −小泉首相

「ロンドン五輪では野球除外」
パパでの金は絶対北京で −谷佳知選手

「都議選投票率44%」
44%なら立派 −都議公約実現率

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

善意の一億円 一億円の善意              
  友人のK子は、臓器移植のために日本からくる患者や家族のボランティヤをしている。通訳や車の送迎、買い物、ホテルやアパート、レンタカーの手配、銀行口座の開設、時には、不安な時間を過ごす家族の話に耳を傾ける。十三人のボランティヤが自分のできる範囲のことを受け持っている。
「いまならFWYが空いているから、ちょっと行ってくるわ」
 K子の家から交通渋滞時を外せば四〇分かかるUCLAメディカルセンターまで、彼女は気軽に出かけていく。
 アメリカの心臓移植者は年間約二〇〇〇例あり、全臓器提供者数の五%枠を設け、海外からの患者を受け入れている。昨年、UCLA(米カリフォルニヤ大学ロサンゼルス校)メディカルセンターで心臓移植のためにきた日本人は、幼児二人と十八歳のTくんの三人であった。
 昨年の八月、Tくんは補助人工心臓を装着し医師や看護婦、機械メーカーの技術者に付き添われ、家族そろってやってきた。
「わたしと同じ和歌山の人だからサ」
 K子は同郷のよしみだといって、Tくんの家族をたびたび訪れていた。

 Tくんが重い心臓病だとわかったのは高校入学後の健康診断であった。レントゲンに写っている肥大した心臓、水がたまった肺、異常を示す心電図。診断は心筋炎。和歌山日赤病院や京都大学付属病院、国立循環器病センターなどで治療したが効果がなく、病状は悪化する一方。医師はTくんのお母さんに告げた。
「特発性拡張型心筋症で、二十歳くらいまでしか生きられないでしょう。心臓移植という外科的治療以外に助かる道はありません」
 日本で脳死を死と認めた臓器移植法が成立したのは一九九七年である。ちなみに、十五歳未満の脳死は認められていない。日本の移植医療は可能で技術的にすぐれ態勢も整っている。だが、ドナーが少ない。脳死患者からの移植はこれまで二十例余り。Tくんのお母さんは、UCLAメディカルセンターで心臓移植をした子供たちが何人も元気になっているのを知り渡米を決意。問題は渡航移植に必要な莫大な費用である。
 和歌山県庁記者クラブで最初の記者会見をして募金活動を始めた。目標額は九千万円。やりかたも分からず、お金も集まらない。何より人々に関心をもってもらうことが大変だった。救う会が結成され大阪駅で街頭募金をする。一日中立って十万円から二十万円。コンクリートの照り返しの厳しい時期で、気分が悪くなったとTくんのお母さんは述懐した。
 TくんがUCLAメディカルセンターへ到着した時点でボランティアのコーディネーターから、患者の情報が十三人のボランティアにEメールで送られてくる。
「現在UCLAの大人の移植待機者はTくんだけです。移植者リストに載れば早くドナーが現れるでしょう。積極的に病院へお見舞い行ってください。通訳も必要です。都合のつく人は病院へ行ける日時を連絡してください。重複しないように調節します」
 患者だけでなく、悲しみのどん底で落ち込んでいる家族の話し相手になるのも重要である。半年以上になる滞在に必要な生活用品などを持ち寄ったりもする。
 Tくんは予約金五十万ドルを支払いUNOS(全米臓器移植配分ネットワーク)待機者リストに載せられた。移植コーディネーターは、患者の重度、血液型と心臓・肺の大きさ、性別、年齢など細かく分類し、UNOSからのドナー情報をいち早くキャッチし医師に伝える。医師は臓器が患者に適合するかどうかを検証し、家族に知らせる。ドナーの心臓は4時間以内に患者に移植されるのである。
 Tくんにドナーが現れたのは渡米一ヶ月半後。若い女性の心臓であった。
 経過は良好。現在、Tくんはお母さんとふたりUCLA近くのアパートで、五月末の帰国を待っている。
 
 今年はカリフォルニヤポピーが近年まれな「あたり年」だ。K子は、Tくん親子と一緒に見に行こうと私を誘ってくれたのである。
「日本では見られない風景だから、ぜひ見せてあげたいのよ」
 三十年前、私はポピーを見に行ったことがある。あの時は場所を間違えたかと思うほど咲いていなかった。私たちはお弁当持参で出かけた。平原に入りポピーの群生が見え始めると「きいれだねぇ、すごいねぇ」というTくんやお母さんの感嘆の声を聞くと、私まで嬉しくなった。そして、K子のやさしい心根を思った。
 鮮やかなオレンジ色のポピーの花が丘陵を染めあげている。Tくんは、丘陵のトレイルを蝶のように飛びまわり、写真を撮っていた。
「T、生きていてよかったなぁ」
 お母さんの一言が、私の心の奥底に響いた。
 普通に生活ができることを喜び、幸せを感じる。私には、窺うことのできない心境であった。
                              おわり
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 

 

編集後記

英国式の足マッサージを初めて体験しました。想像していた飛び上がるほどの痛みはなく、心地よい痛みで眠ってしまいました。
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Zakkaya Weekly No.478

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com