連載 こんな身体で温泉旅行(最終回)
朝星が出ていた。外は真っ暗である。
私が運転をするというのに、体調のすぐれない夫は「大丈夫、オレがする」といってきかない。早朝五時半、車をスタートさせた。ポートランドから走れるだけ走って、今日はどの辺りまで行けるのだろう。ともかく、一刻でも早くロサンゼルスに帰らなければならない。夫の身体のこともあるが、昨夜、家の世話を頼んできた友人に電話をいれると、
「大雨が降って裏庭の池の水が溢れそうだったのよ。どうしょうか思ったわ」
という。
アメリカ西海岸を縦断しているフリーウエィ五号線に入った。たまに早出の車が行き交う。稜線がしだいに赤味をおびてきた。それは見る間に闇を溶かすような真っ赤な朝焼けになった。朝焼けはオレンジ色になり黄金色へと色彩を変えていく。素晴らしい夜明けだ。と、薄墨の空に無数の黒点が現れた。何だろうと思ったら、小鳥の群だった。坦々たる平野の一本道を夫の運転する真っ赤なスポーツ・タイプのプローブは澄みきった空気を吸い込んで快調に走る。冬枯れの木立が車窓をながれ草原が車のうしろへ消えていく。
運転交代のために、田舎街ローズブルグで小休止。
「ブルグ」というからには、この辺りはドイツ移民が多いのだろう。レンガ色の屋根がドイツを思い出させる。いつだったか、古城ホテルに泊まりながらドイツの田舎をドライブ旅行したことがある。うねるように重なり合う耕作地のなかに突如として玉ねぎ型の教会の高い塔があらわれる。レンガ色の屋根の民家が教会に寄りそうように集まっている。そんなドイツの田園風景が大好きだと夫がいう。私は、中部イタリアのトスカーナをゆっくり旅してみたい。
「いつか行こうな」
「うん。いつかね」
などと言い合っているうちに、行く手に雪の帽子をかぶったようなマウント・アシュランドが見えてきた。あれを越えればカリフォルニヤである。
サンフランシスコに着くころには、遅い秋の夕焼けが空を染め上げていた。
ホテル日航に泊まった翌朝七時に出発。街中を抜けると、丘陵を覆い尽くしているおびただしい風力発電機に目を奪われる。朝の陽を真正面に受けてまぶしい。やがてカリフォルニヤの穀倉地帯になった。
「この辺りはな、ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』の舞台になったんだ」
ここを通る度に夫に聞かされている。知ってる知ってる、何度も聞いたわ、とはいわず「ふーん、そうなの」
とそっけない返事をする。私は読んではいないが夫にとっては忘れられない本なのであろう。
夫の一人喋りがつづいた。ロサンゼルス空港が近くなった。もう帰ったも同然だ。
無事に我が家へ着いた二日後、夫は腸の検査をした。
「ガンです。内視鏡が腫瘍に引っかかって奥へはいりません」
アメリカ人の医者は英語に疎い私に、わかりやすく絵を描いて説明した。
「腸の内側にできたガンです。手術しかありません」
ああ、これが日本で問題になっているガン告知か。よくいわれるように目の前が真っ暗になったり、頭がまっしろになったりはしなかった。心のどこかに、大丈夫、死にはしないという予感のようなものがあったので、自分でも不思議なほど動揺はなかった。
夫はベッドにのせられたまま病室へ運ばれ、翌日、S結腸を三インチ切った。
あれよ、あれよという間の出来事だった。
なにもこんな身体で、しかも、冬にはいる十一月末に温泉旅行をしなくてもよかったのに、なにかに追われているような旅だった。
「こんどはイエロー・ストーンからカナダへ行こう。縁があって結婚をしたんだ。できる限りふたりの時間を愉しもう。な、人生は短い」
そして、病床の夫はこういったのである。
「河盛好蔵は『若いときに旅をいたさねば年寄っての物語がない』といっている」 おわり
森田のりえ noriem@JoiMail.com
|