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No.462          Ryo Onishi               3/20/2005   

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雑貨屋のひとり言

九州北部の地震は結構大きかったようですが、みなさんやご家族の方はだいじょうぶだったでしょうか?相次ぐ地震で日本はどこでも、いつでも地震を覚悟しなければいけないことをあらためて知らされた気がします。
今週から、液晶ディスプレイ2台を使って雑貨屋ニュースの編集をやっています。片方のディスプレイに原稿を、もう一つのディスプレイに編集画面を表示させておこないます。これで編集ミスがない?ようにしたいと思います。これ以外にも便利な使い方があると思うので、面白い使い方が見つかったら紹介します。(R.O.)

誤 字・脱 字 は 文 化?

 プロの文筆家でも誤字・脱字なしで完璧な文章を書くのは至難の技なのだと聞いたことがあります。いわんや私ごとき素人が文章を書くとき、誤字や脱字は当然ありうることです。

特に最近は文章をコンピュータ画面上で作るためか、とんでもない間違いを犯していながら気づかずに相手に発信してしまうケースがしばしばです。

それでも私は、文章上の誤字・脱字は恥ずかしいことであり、出来たら無しで済ませたいと思っているし、それが世間の常識だと私は認識しています。

ところが、いまどきの若ものにはその常識が通用しないという話を先日友人から聞かされました。

若い世代の一部では「誤字・脱字も文化」だとして、文字の乱れなどまったく気にせず自分たちの仲間内だけに通用する文章を作って楽しむのが流行しているのだそうです。

たしかに若者間のインターネット上のチャットなどを覗くと誤字・脱字が氾濫し、ときには意識的な当て字も多いのに気づきます。中には「誤字・脱字は文化ですから・・」と、堂々宣言している画面まであるのには驚かされます。

誤字・脱字は恥ずかしいとするネガティブ(否定的)発想をポジティブ(肯定的)発想に転換して楽しんでいるのです。

このような考え方はいつの時代でも若ものの特権であり、ポジティブ発想自体を悪と決めつけることは出来ないかもしれないし、また誤りを犯すのが人間である以上、誤字・脱字をおそれていたら一行の文章も書けないことも確かです。

ただ、それを文化とみなし肯定するいまどきの一部若者の「前向き・怖いものなし発想」もここまでくると立派だと言いたいところですが、若干の危惧を覚えざるを得ないのは私だけでしょうか。

現代は価値観の多様化時代といわれています。これまでの常識が非常識になる時代です。ぼろぼろの薄汚れたジーンズにへそ出しルックが格好よく、感動的な美しい場面に「ヤバイ!」と叫ぶ時代なのです。

校正おそるに及ばず(?)、誤字・脱字、乱筆乱文を得意とする私など最も現代に適した人間であり、若者文化に近いのかも・・。
                                                               河合将介( skawai@earthlink.net

さくらの独り言「無

時は移り変われども、世に引き継がれる人の常なるものがある。例えば、「今の若者は・・・」と、どの時代でも今を行く若者を「新人類」視して、その特徴を言葉に表す。そういえば、
今はほとんど死語化しているが、“無関心”、“無気力”、“無感動”を「三無主義」といい、その時代の若者を象徴する言葉が流行したことがあった。実はこの「三無主義」、これまでの私の人生には全く無縁だった。しかし最近、この「三無主義」がふと頭に浮かび出で、「無」について思いをめぐらす、さくらつぼみの、春うらら・・・。

私自身の「新人類」時代は、“無関心”どころか、あらゆるもの(事象)に興味関心を示し、“無気力”どころか“無茶”といわれながらも何かに挑戦し、“無理”をしてでも何かをし続け、“無感動”どころか、五感に響く何にでも感動を味わったものだ。そしていつも、“無駄”使いをしては両親に怒られた。確かに、時には辛い思いや出来事に遭遇し、いったい自分は何をしているのだろう、と、違った意味での“無駄”を嘆き、自己嫌悪に苦悩することもあった。しかし、若い頃はそれが逆に、力やバネになってもいたのだと、今思う。それもまた生きていることの証だと言える今の自分は、歳をとったのだなとうなずいてみる。『少ないようで多いのが無駄』とはどこかで聞いた言葉だが、あらためて思う、人生には“無駄”なものなんて何もないのではないかと。たとえ第三者から“無駄”を指摘されても、その時、当事者が“無駄”を意識せず、あるいは“無駄”を承知していてなお事を成そうとするのは、それはそれで、理屈では定義できない真実がそこにはある。そして、後にその“無駄”を有効活用させられたら、それは”無駄“どころか、強力なネクスト・エナジーとなる。そんなこんなを考えていると、”無駄“もそうだが、いつの間にか「無」というものの魅力に引き込まれてしまう自分を見る。

『心、無に至れば、おのずから天の命(さだめ)を知り、地の力を得る』・・・すなわち、真剣の立ち合いに際し、全ての欲望を捨て去り、勝敗の懸念を抱かず、己が心身は天の命ずる処に在るを悟れば、おのずから地力(自力)を得るに到る・・・いにしえの剣聖たちは、一様に“無我・無心”の極致を求め過酷な修行に励んだ。時は流れ、今は真剣の立ち合いで命のやりとりをすることはないが、どんな業界でもそしてまた家庭・家族の世界でも、真剣勝負の時代は続いている。全ての欲望を捨て去るわけにはいかず、勝敗の懸念を抱き続けなければならない今の世で、わが身を天命だけにゆだねることはできない。
池波正太郎の『剣の天地』によると、柳生新陰流の祖といわれる柳生宗厳の師は、戦国小大名、もと大胡(群馬県大胡市)の城主・上泉伊勢守であったという。伊勢守は武将より剣の道を選び、鹿島(神宮)の秘伝の流れを汲む陰流から出て、ついにみずから新陰流を創始するに至った人物。柳生宗厳に新陰流免許を皆伝し、みずからは野に下って「無」の極致を追い求めながら波乱の生涯を終えた。晩年の伊勢守が常々口にした 「季節がうつろうが如く、また、川底に水が流れるが如く、全ての事象に対し、あくまでも自然に寄り添って行きたい」の言葉が実に印象深い。むろん、私たち現代人は、伊勢守のように剣の修行を積もうと考えたところで、それこそ”無駄”である。が、少なくとも伊勢守が剣の天地に到達しようと努力した真似ぐらいは、私たちもそれぞれの世界で活かされるのではないだろうか。

「人事を尽くして天命を俟つ」という諺や、西郷隆盛の遺訓「天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべきなり」にもあるように、今、自分がやりたいこと、やらねばならないこと、やれるだけのことを、向かい合う人や出来事に、精一杯の自分を尽くし、結果を待ちたい。それが、たとえ“無駄”と言われるようなことであっても。そんな状況に至った時、私ははじめて「無」に近づけるような気がする。それは、剣聖たちの“無我・無心“とはまったく異質のものではあるが、”無我夢中“になれたあとの、なんと清々しいことか。その時々ではわからなかった「無」の力が、数年経って何かを創出し、人生の円熟という時へのいざないを知るのだと思う。なんて、これさくら流「無の境地」かもしれない、っと呟く、さくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

童謡の中で泳いでいるメダカ

メダカの子孵り小川が嬉しそう

ディズニーランド 浅蜊に遠い日の挽歌

コースターの悲鳴 青空宙返る

電飾の童話が回る遊園地

( ニュースやぶにらみ )

「ミス続発で役員6人が退任、降格」
乱気流が地上でも ―日本航空

「マジック番組盛況」
株マジックまでとは −フジテレビ

「牛丼外交」
来日目的は牛肉 −‘ライス’国務長官

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

連載  こんな身体で温泉旅行(最終回)
 
 朝星が出ていた。外は真っ暗である。
 私が運転をするというのに、体調のすぐれない夫は「大丈夫、オレがする」といってきかない。早朝五時半、車をスタートさせた。ポートランドから走れるだけ走って、今日はどの辺りまで行けるのだろう。ともかく、一刻でも早くロサンゼルスに帰らなければならない。夫の身体のこともあるが、昨夜、家の世話を頼んできた友人に電話をいれると、
「大雨が降って裏庭の池の水が溢れそうだったのよ。どうしょうか思ったわ」
 という。
 アメリカ西海岸を縦断しているフリーウエィ五号線に入った。たまに早出の車が行き交う。稜線がしだいに赤味をおびてきた。それは見る間に闇を溶かすような真っ赤な朝焼けになった。朝焼けはオレンジ色になり黄金色へと色彩を変えていく。素晴らしい夜明けだ。と、薄墨の空に無数の黒点が現れた。何だろうと思ったら、小鳥の群だった。坦々たる平野の一本道を夫の運転する真っ赤なスポーツ・タイプのプローブは澄みきった空気を吸い込んで快調に走る。冬枯れの木立が車窓をながれ草原が車のうしろへ消えていく。
 運転交代のために、田舎街ローズブルグで小休止。
 「ブルグ」というからには、この辺りはドイツ移民が多いのだろう。レンガ色の屋根がドイツを思い出させる。いつだったか、古城ホテルに泊まりながらドイツの田舎をドライブ旅行したことがある。うねるように重なり合う耕作地のなかに突如として玉ねぎ型の教会の高い塔があらわれる。レンガ色の屋根の民家が教会に寄りそうように集まっている。そんなドイツの田園風景が大好きだと夫がいう。私は、中部イタリアのトスカーナをゆっくり旅してみたい。
「いつか行こうな」
「うん。いつかね」
 などと言い合っているうちに、行く手に雪の帽子をかぶったようなマウント・アシュランドが見えてきた。あれを越えればカリフォルニヤである。
 サンフランシスコに着くころには、遅い秋の夕焼けが空を染め上げていた。
 ホテル日航に泊まった翌朝七時に出発。街中を抜けると、丘陵を覆い尽くしているおびただしい風力発電機に目を奪われる。朝の陽を真正面に受けてまぶしい。やがてカリフォルニヤの穀倉地帯になった。
「この辺りはな、ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』の舞台になったんだ」
 ここを通る度に夫に聞かされている。知ってる知ってる、何度も聞いたわ、とはいわず「ふーん、そうなの」
 とそっけない返事をする。私は読んではいないが夫にとっては忘れられない本なのであろう。
 夫の一人喋りがつづいた。ロサンゼルス空港が近くなった。もう帰ったも同然だ。 
 無事に我が家へ着いた二日後、夫は腸の検査をした。
「ガンです。内視鏡が腫瘍に引っかかって奥へはいりません」
 アメリカ人の医者は英語に疎い私に、わかりやすく絵を描いて説明した。
「腸の内側にできたガンです。手術しかありません」
 ああ、これが日本で問題になっているガン告知か。よくいわれるように目の前が真っ暗になったり、頭がまっしろになったりはしなかった。心のどこかに、大丈夫、死にはしないという予感のようなものがあったので、自分でも不思議なほど動揺はなかった。
 夫はベッドにのせられたまま病室へ運ばれ、翌日、S結腸を三インチ切った。
 あれよ、あれよという間の出来事だった。
 なにもこんな身体で、しかも、冬にはいる十一月末に温泉旅行をしなくてもよかったのに、なにかに追われているような旅だった。
「こんどはイエロー・ストーンからカナダへ行こう。縁があって結婚をしたんだ。できる限りふたりの時間を愉しもう。な、人生は短い」
 そして、病床の夫はこういったのである。
「河盛好蔵は『若いときに旅をいたさねば年寄っての物語がない』といっている」                                           おわり
  森田のりえ  noriem@JoiMail.com

 

 


編集後記

だんだんと暖かくなってきたので、散歩しようと出かけるのですが、途中で目が痒くなるわ、くしゃみが出るわで、つらいものがあります。
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Zakkaya Weekly No.462

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              tenshu@zakkayanews.com