連載 こんな身体で温泉旅行(
8 )
「生老病死」は自然の摂理である。
だが、いざ自分がそのことに直面するとおたおたして、当たり前などと悠長なことはいっておれない。スノー・タイヤもスノー・チェーンもつけないで雪のロッキー山脈を越えようというのである。めちゃくちゃな話に、私の気持ちは動転の極にたっしていた。にもかかわらず、夫は私の言うことを聞くわけがない。そう思った途端、ふいに昔のことを思い出した。娘が五歳の十一月末のことだった。
長さ二十二フィートのモーター・ホームにトヨタのカローラを引っ張ってワシントン州まで行ったことがある。目的は、日本船が寄港する西海岸の港町に船員相手の土産店の支店を出すための市場調査だった。夫は、モーター・ホームで寝泊まりすれば経費節減になると屁理屈をつけた。
ロサンゼルスの我が家を出発したのは感謝際の翌日であった。途中、キャンピング・グラウンドへ泊まりながらカリフォルニヤを北上した。オレゴン州へ入ってすぐのことだった。アシュランド峠を走っていると、小雪がちらつきはじめた。
「マミー、スノー!」
娘は窓から手を出し、生まれてはじめて見る雪に小躍りしていた。
見る間に雪は積もっていった。走っている車は止りスノー・チェーンをつけている。夫もモーター・ホームの前輪にチェーンを巻いた。
下り坂になった。右手は深い谷。左側は反対車線を区切るガードレール。そろりそろりと下っていると、突然、モーター・ホームが大きく揺れた。
「ダーディ!」
娘が怯えた声で叫ぶ。
あっと叫んで、私は息を呑んだ。目前に深い谷が見えた。
車から下りて見ると、道幅いっぱいにモーター・ホームが斜めに横たわり、三十センチ先は谷の斜面だ。後に引っ張っているカローラが滑ってガードレールにぶち当り、その反動でモーター・ホームが振られたのである。くの字になったのだ。スピードを出していれば箱型のモーター・ホームが横倒しになっていたかもしれない。
雪道での恐ろしい体験だった。
無防備で雪のロッキー山脈を越えようという夫に、私は呆れるより、腹が立ってどうしようもなかった。夫は「うんぷてんぷ」と脳天気なことをいっているが、あの時の怖さを忘れたのだろうか。
子供のころ、信篤の仏教徒だった祖母が口癖のようにいっていた。
「人間はいずれ死ぬ。そのとき慌てないように、仏法を聴いておかんといけんよ」
「死ぬのは当たり前」と、私は鼻先で笑っていた。
しかし、祖母はなにをいいたかったのだろう。
だが、いまそんなことを思い出してもなんの慰めにもならない。
いずれは死んでいく。その死に方はいろいろあって、病気で死ぬか、事故で死ぬか。谷底へ落ちて命を落とすなら、それが私たちの運命だ。娘も大学生だし、なんとか生きていくだろう。
開き直ると気が楽になった。
ガス・ステーションを出るとすぐフリーウェイに入った。能役者のようなすり足である。助手席の私は、仁王様のような形相で両足をつっぱり取っ手をにぎった。小型乗用車や屋根にスキー用具を積んだジープ、大型トラックもみなスノー・タイヤをつけている。どの車ものろのろ運転の私たちの車を尻目に追い越していった。 つづく
森田のりえ noriem@JoiMail.com
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