けっして博学でもなく、ましてや辛酸を嘗め尽くした人生の達人でもない私に、どういうわけか、いろんな相談事を持ちこんでくれる友人が多い。進学のこと、就職・転職のこと、おまけに、経験不十分の(というより未熟と思っている)恋愛に至る様々なこと・・・そして最近、ある友人から、ちょっと異質で唐突な相談を受けた。「北方領土返還啓発活動(キャンペーン)について」である。はて、さて、「北方領土問題」というのは、遠い昔、教科書で習ったような微かな記憶があるだけで、私のこの40数年の生活の中には、一度として身近に感じるテーマではなかった。そのことを理由に友人に断ると、彼いわく、「『北方領土問題を知らない人や興味関心のない人を対象に、何を訴えたらいいか、どういう手段を用いたらいいか』が、今回のキャンペーンの最大目的。あなたのような無関心派のアイディアこそが、世論喚起の起爆剤になる」とおだてられ、またまた“お人よし”に乗じられるハメとなった。
いくら“無関心派”であったにせよ、アイディアを考える以上は多少の知識(情報)は必要である。依頼主から提供された資料のほかに、自分でもインターネットのくもの巣をさぐる。北方四島(歯舞・色丹・国後・択捉)は、日本固有の領土であることは歴史が証明するところだ。150年前、「日露修好条約」、太平洋戦争中「日露不可侵条約」が締結されていたにもかかわらず、戦争終結時(1945年8月)、旧ソ連軍の不法侵攻により旧島民(当時、約18,000人の日本人)は追い出され、今もなお不法占拠が続いていること、当時から居住してきたロシア人はすでに3世代になっていること、そして返還運動の歴史もまた60年に亘っていること、などを知るに至った。中でも、私の心を痛めたのは、だんだんと少なくなっていく旧島民(現在、約8,000人)の燃え滾るような望郷の念、それと、ロシア(旧ソ連)沿岸警備隊に拿捕され、サハリンに拘留された多くの漁民とその家族の悲惨さである。「古来、日本の領土である北方四島に不法侵攻し、国際法にも違反する不法占拠をしたあげく、旧島民の土地と生活権、漁民の生活権、ひいては人権、そして生命までも脅かす不当不法が許されていいものだろうか」と調べていくうちに、次第に私のナショナリズムが疼き出した。そんな私の性分を友人は見抜いていて、こんな無知な私に“相談”を持ちかけたとしたらいささか悔しいが、まあ、乗りかかった船、いち国民・市民的視点でいくつかのアイディアを考えることにした。
ところで私には、四島の顔がまったく見えない。顔を見るには「友好交流」という名の自由渡航が一番だと思う。北方領土問題対策協会という独立法人が主催して小規模の青年交流事業をやってはいるようだが、国民的には、その情報はあまり伝わってこない。先ごろ、『小泉首相が“北方領土視察”と銘打って船上から双眼鏡で島を見た』程度のニュースが流れたが、マスメディア自体の北方領土に関する報道は、極めて少ない。なぜか、ニュースのないところにニュースはないから。ならば、ニュースをつくればいいのでは、と思うのは余りにも大胆・無謀といわれるだろうか。島国日本の最北の島が北方領土(四島)なら、最南端の島は沖縄。沖縄も米国から返還された占領下経験を有する島である。ここで、元来「響き合い」という言葉が好きな私は、ふと考えた。日露の人的文化交流は『四島(しま)と島との響き合い』から始まる、と。「北方領土を返せ」と大声を張り上げてばかりいては、このあと60年経っても返還の実をあげることは難しいのではあるまいか。ならば、「相互の伝統文化(民謡・舞踊・民族衣装・手工芸・郷土料理)など民間レベルの交流を通して、日本の歴史、文化への理解を求め、友好的平和的返還への足がかりを模索する気長な運動が肝要ではないか」と、私は友人に告げた。後日、『四島(しま)と島との響き合い』そのままのタイトルで、中長期啓発活動のメイン・プログラムの一つに加えられたことを友人から知らされ、同時に感謝してもらった。しかし、その友人の私への感謝の思い以上に、私の四島への想いが熱くなったことことを、日本国民として、逆に友人にお礼を言いたい。
“きっかけ“とは不思議なもので、「北方領土問題」を機に、この頃「ロシア料理」や「ロシア民謡」などに興味をもつようになった。そういえば、くだんの友人から「君の顔はロシア系だよ」と云われている。ではその気になって、赤いサラファン(女性用伝統衣装の一つ)を身にまとい、ウオッカでも片手に、「カチューシャ」や「黒い瞳」を踊って歌ってみようかなっ・・・と呟く、さくらの独り言。
(kukimi@ff.iij4u.or.jp) |