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No.433            Ryo Onishi                   8/29/2004   

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雑貨屋のひとり言

アテネオリンピックでの日本選手の活躍は本当にすばらしかったですね。それぞれの競技で勇気と感動を与えてくれたのではないでしょうか?日本人も世界の舞台で堂々と戦えるので、大したものだなと思いました。
次から次に台風がきます。ローマオリンピックの開催年、1960年には日本近辺の天気図上に5つの台風が来て五輪台風と呼ばれたらしいですが、そういうものは勘弁願いたいですね。(R.O.) 

旅 へ の 想 い

ビジネス出張は別ですが、日常生活を一時中断してどこかへ出かけることは気分転換になり、時としては人生、または人生観が変わる契機になることすらあります。私たちはこれを「旅に出る」、または「旅行をする」などと言っています。

 ところで、「旅」と「旅行」では意味に違いがあるのでしょうか? 手許の国語辞典(広辞苑、第二版)で「旅」、「旅行」とそれぞれひいてみました。それによると、
  

☆たび(旅):自宅を出て、一時他の場所へ行くこと。旅行。

☆りょこう(旅行):徒歩または交通機関他の地方に行くこと。旅をすること。たび。

となっており、「旅をすること=旅行」ということのようで、基本的には「旅」も「旅行」同じ意味のようです。ただ、私の心の内では、両者の意味は微妙に違うと感じています。

 私は自分の独断と偏見で勝手に「旅」と「旅行」を次のように区別しています。

☆たび(旅):行き先、目的、スケジュールなど事前に明確にせず、変更自由な外出。気ままな外出。

☆りょこう(旅行):行き先、目的、スケジュールなどが殆ど確定しており、決められたとおり行動するもの。

上記による私独自の勝手な区別による、「旅行」の典型例は、旅行社主催のパックツアーです。

また、パックツアーでなくとも、人によっては事前に行き先、日程をすべて予約し確定しないと気が済まない几帳面な性格から寸部の隙もない計画のもとに出かける場合もあるでしょう。これはこれで旅行社一任、または、すべてが予約済、納得済みなのですから安心ですし楽しいことです。

しかし、私の場合は性格がルーズなためか、出かける前にすべて決めて・・ というのは苦手です。

また、旅先での予想外のハプニングも楽しみのひとつと思っているので、フリーハンドの方がわくわくします。だから私は私流の意味での「旅」のほうにひかれます。

数年前、私たち夫婦は米大陸西部の国立公園めぐりをしました。ロサンゼルスからデンヴァー(コロラド州)までは飛行機で行き、そこでからはレンタカーで「ロッキー山脈国立公園」をかわきりに、コロラド、ワイオミング、サウスダコタ、ネブラスカの各州に点在する4つの国立公園、2つのナショナル・モニュメントをドライブしながら巡ってきました。

この旅では初日のロサンゼルス − デンヴァー間の航空券とレンタカーは事前予約しましたが、宿の手配その他(日程、行程ほか)は何もなしの気ままなドライブでした。

米国の場合、どこへ行ってもモーテルのシステムが完備しており、贅沢さえ言わなければ宿については殆ど心配ないので助かります。

この時、訪れた国立公園の一つが、往年の西部劇名画「シェーン」の舞台として有名な「グランド・ティトン国立公園」でした。

ここは米大陸でも有数な山の美しいところで、映画「シェーン」でも見事な山並みをバックに流れ者の主人公(シェーン)が街の悪(ならずもの)と対決し、ラストシーンでは、ジョイ(坊や)が「シェーン・カムバック!シェーン!!」と叫ぶ場面が印象的です。

私たちがこの公園を訪れた日はあいにくの曇り空で、肝心の山並みはまったく見えませんでした。

そこで滞在を延長して天気を待ち、翌日は雲ひとつない快晴のもと思う存分山岳の眺めを堪能しました。フリーハンドの旅(日程)だから可能だったのです。そしてその感動を胸に次の「イエローストーン国立公園」へと車を進めました。

別の機会に決行した米国大陸横断ドライブでは、初日のロサンゼルス(西海岸)から アトランタ(東海岸ジョージア州)までの航空券とアトランタでのレンタカー手配のみが事前の予約で、あとは気ままなドライブでした。(レンタカーの事前手配は特別割引き制度利用のため)

結果として、アトランタからロサンゼルスまで、寄り道しながら10日間、3,000マイル(5,000km)のドライブで、周囲の景色だけでなく、人々の話す言葉から人情までが日々変化するのを実感しました。

私にとって「旅」とは人生と同じ、何があるかわからない、前途に何かを求め前へ進む ――― そんな魅力がたまらないから「旅」に出るのだと勝手に納得しています。
                                                 河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言「初秋に想う」

 高層マンションの合間から昇る陽の光が、ゆっくりと辺りを染める。みなぎっていたその陽の力がなんとなく、柔らかく薄くなってきたことをカーテン越しに感じる。気がつくとこんではいつのまにか、蝉の声は若鈴虫の産声に変わっていた。窓を開けると風は、秋のかほりを運んでいる。花の季からまもなく実のなる季を迎えるのだなぁと思いながら、中学時代に読んだ詩「青春とは、単なる花盛場だけでなく、来るべき結実への秋への準備の季節である」を口ずさみ、とりとめもなく思いめぐらしている、実のなる木について。

この夏を一斉風靡した高校野球やオリンピックの勝者の形容詞として使われた言葉に、「有言実行」がある。成し遂げることを前もって公言し、それを見事にやってのける。まさに、言葉の成就である。一方、同じこの夏、スポーツ界の根本的な在り方を問う事件も勃発した。「不正」である。選手の採用にまつわる不明瞭な手段、競技者の薬物使用や審判の偏ったジャッジメントなどである。これは、時とともに人々の話題から忘れ去られても、その当人にとっては、死ぬまでぬぐい捨てられぬ染み、恥となる。もちろん、その当人がスポーツマンシップにのっとり正々堂々と戦うことを、人と神に宣誓する者であるという前提だが。こんな両極面の現象に触れて気が付く共通の言葉は、「誠実」ということではないかと思い至るのである。これこそ、言葉が成る実と書いて誠実、実のなる木(気)、初秋に相応しい自己テーマではなかろうか。

私が育った時代の学校教育や地域のスポーツ競技では、技(テクニック)やルールより先に教え込まれた根本がある。それは徹頭徹尾、「誠実であること」だったように思う。例えば戦う(戦った)相手を尊重すること、反則やファールを犯したら自ら手を挙げて自主申告すること、そして勝負というものは自己創造そのものであるということ、言い換えれば勝負は、他者との競技でありながら実は自分自身の内なる世界の戦いそのもの、その結果・結実を問われるということだ。時代の流れとともに、私の就学時代に挑んだ各種スポーツのルールや形態も多少変化した。しかし、スポーツを通して教えられた「誠実である」ことは、生きるということにおいて、人としても会社人としても、変わらず存在する高貴な意識である。

さて、オリンピックでメダルを獲得した人たちの形容詞「有言実行」説は、不思議と私を震わせた。男尊女卑の激しい九州片田舎で生まれた女子の私は、「無言実行」と育てられたからだ。その影響・反動でか、親の期待に反して、私はムクチな女性になってしまった。無口ではなく、六口の方だが(笑い)。天高く馬肥ゆる秋、それは読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋だろうが、なんといっても実りの秋、無口ではなく六口で有言実行となれば、これまた実り多き秋になるのだろうか。何事も、言葉が成就するという意味でも、誠実な結実を誇れる秋にしたいものだ。初秋、ものを想うにはいい季節だな、っと呟くさくらの独り言。

kukimi@ff.iij4u.or.jp

川柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

セミ7日俺の怠惰を叱咤する

万の値が付きクワガタの不幸せ

エアコンに慣れゴキブリに四季がない

職退いた庭にミミズの出る畠

心臓はノミ象さんという渾名

( ニュースやぶにらみ )

「2回連続、3回連続金メダル」
プレッシャーごと投げ飛ばした −谷選手、野村選手

「野球は銅メダル」
北京へは背番号1で行きたい −長嶋監督

「イチロー選手200本安打」
4年続けてとはすごい −4年目の小泉首相

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

姑を看とる( 2 )
  夫の使う松葉杖の音が廊下にひびく。病室の前にくると義兄はノブをぐっと握った。夫が病室に転がりこんだ。義母は骨と皮だけになった腕に点滴の針を刺しこまれ、入歯をはずした口をあけて荒い息をしながら眠っていた。
「お母さん、帰ってきたで!」
 夫が大きな声で揺り起こす。
 眼を物憂げあけた義母は、覗き込んでいる息子をじっーと見つめていた。と、
「おお、トシか。待っとんたんやでぇ、うれしい! うれしい!」
 落ちくぼんだ眼に涙があふれ、おお、よう帰った、よう帰ったと身体をふるわせ息子にしがみつこうとした。義母に会うのは二年ぶりである。あまりにも痩せ衰え変わり果てた姿に、私は何もいえず、体格のいい義兄のうしろで突っ立っていた。
「のりえさんは?」
 と、義母は室内を探すように眼をはわせた。
「ここですよ。いっしょに帰ってきました」
 私が看てあげますからね、安心して下さいという思いをこめていった。義母が手をのばした。静脈の青くふくれた筋張った手は、握ると壊れそうだった。
 夫はベッドの端に腰をおろすと「かわいそうに、こんなになってしもうて、な、かわそうに」と、母親の手や足をさする。病人食が運ばれてくると、夫は不器用な手つきで母親に食べさせはじめた。口のなかに入っているにも関わらず、つぎつぎと入れ込む。歯もないのに、もう少しゆっくりと喉まで出かかった言葉を私はのみこんだ。どんな食べさせ方であろうと、息子だ。しかも、悪ガキだった息子がしてくれるのだ。義母は満足に違いない。差し出がましい口は止そう。余計なお世話かもしれない。食事を終えると、驚いたことに夫は母親のオシメ交換までした。老いたといえど女である。隠したい部分もあるだろうに、ちょっとした心遣いがほしいと思った。だが、義母はそんなことには頓着せず、
「汚いことをさせてごめんやで、許してな」
 ありがとう、ありがとうと手を合わせた。
 ここ一番というときに、いい格好をしたがるのは夫の癖だ。いつまで続くやら。出番のない私は醒めた気持ちで見つめていた。
 八十四歳の義母は庭の草取りをしていて脱水症状で倒れていたところを、たまたま通りかかった隣家の奥さんが見つけ、病院へかつぎこんでくれたのである。危篤状態を脱したとはいえ、母親の足に紫斑があるのを見つけた義兄は、そう長く持つまいという。夫は、ロサンゼルスの自宅は、大学院の始まる九月中ごろまで娘が家にいてくれるから心配ない。二、三週間ほどだ。オレの最後の親孝行に、協力してくれと私に頼んだ。
 アメリカで知り合い結婚した私は、嫁姑の確執もないかわり、義務感もなかった。ただ、
老いたひとりの女性をとおして、やがて自分にも訪れるだろう「老い」を真正面から見つめてみたい興味半分の気持ちから、夫の申し出に依存はなかったのである。
 若い看護婦が血圧を測りにくる。点滴の袋を取替えにやってくる。彼女たちは病気などにはまったく関係なく健康と若さに溢れている。でも、いつかは老いていく。
 私は個室の長いすに腰をおろし窓に眼を向けた。枝をひろげた巨木が八月終わりに吹く風にそよいでいた。
「そろそろ帰るか」
 よごれものを入れた袋を手にした義兄がいった。
                                  つづく
 森田のりえ  noriem@JoiMail.com

編集後記

「24」という映画にのめり込んでいます。はじめ24時間もあると聞かされて、躊躇しましたが、あっという間に半分以上、観てしまいました。楽しみです。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.433

雑貨屋 店主 大西良衛   zakkaya@news.email.ne.jp