ビジネス出張は別ですが、日常生活を一時中断してどこかへ出かけることは気分転換になり、時としては人生、または人生観が変わる契機になることすらあります。私たちはこれを「旅に出る」、または「旅行をする」などと言っています。
ところで、「旅」と「旅行」では意味に違いがあるのでしょうか? 手許の国語辞典(広辞苑、第二版)で「旅」、「旅行」とそれぞれひいてみました。それによると、
☆たび(旅):自宅を出て、一時他の場所へ行くこと。旅行。
☆りょこう(旅行):徒歩または交通機関他の地方に行くこと。旅をすること。たび。 |
となっており、「旅をすること=旅行」ということのようで、基本的には「旅」も「旅行」同じ意味のようです。ただ、私の心の内では、両者の意味は微妙に違うと感じています。
私は自分の独断と偏見で勝手に「旅」と「旅行」を次のように区別しています。
☆たび(旅):行き先、目的、スケジュールなど事前に明確にせず、変更自由な外出。気ままな外出。
☆りょこう(旅行):行き先、目的、スケジュールなどが殆ど確定しており、決められたとおり行動するもの。 |
上記による私独自の勝手な区別による、「旅行」の典型例は、旅行社主催のパックツアーです。
また、パックツアーでなくとも、人によっては事前に行き先、日程をすべて予約し確定しないと気が済まない几帳面な性格から寸部の隙もない計画のもとに出かける場合もあるでしょう。これはこれで旅行社一任、または、すべてが予約済、納得済みなのですから安心ですし楽しいことです。
しかし、私の場合は性格がルーズなためか、出かける前にすべて決めて・・ というのは苦手です。
また、旅先での予想外のハプニングも楽しみのひとつと思っているので、フリーハンドの方がわくわくします。だから私は私流の意味での「旅」のほうにひかれます。
数年前、私たち夫婦は米大陸西部の国立公園めぐりをしました。ロサンゼルスからデンヴァー(コロラド州)までは飛行機で行き、そこでからはレンタカーで「ロッキー山脈国立公園」をかわきりに、コロラド、ワイオミング、サウスダコタ、ネブラスカの各州に点在する4つの国立公園、2つのナショナル・モニュメントをドライブしながら巡ってきました。
この旅では初日のロサンゼルス − デンヴァー間の航空券とレンタカーは事前予約しましたが、宿の手配その他(日程、行程ほか)は何もなしの気ままなドライブでした。
米国の場合、どこへ行ってもモーテルのシステムが完備しており、贅沢さえ言わなければ宿については殆ど心配ないので助かります。
この時、訪れた国立公園の一つが、往年の西部劇名画「シェーン」の舞台として有名な「グランド・ティトン国立公園」でした。
ここは米大陸でも有数な山の美しいところで、映画「シェーン」でも見事な山並みをバックに流れ者の主人公(シェーン)が街の悪(ならずもの)と対決し、ラストシーンでは、ジョイ(坊や)が「シェーン・カムバック!シェーン!!」と叫ぶ場面が印象的です。
私たちがこの公園を訪れた日はあいにくの曇り空で、肝心の山並みはまったく見えませんでした。
そこで滞在を延長して天気を待ち、翌日は雲ひとつない快晴のもと思う存分山岳の眺めを堪能しました。フリーハンドの旅(日程)だから可能だったのです。そしてその感動を胸に次の「イエローストーン国立公園」へと車を進めました。
別の機会に決行した米国大陸横断ドライブでは、初日のロサンゼルス(西海岸)から アトランタ(東海岸ジョージア州)までの航空券とアトランタでのレンタカー手配のみが事前の予約で、あとは気ままなドライブでした。(レンタカーの事前手配は特別割引き制度利用のため)
結果として、アトランタからロサンゼルスまで、寄り道しながら10日間、3,000マイル(5,000km)のドライブで、周囲の景色だけでなく、人々の話す言葉から人情までが日々変化するのを実感しました。
私にとって「旅」とは人生と同じ、何があるかわからない、前途に何かを求め前へ進む ――― そんな魅力がたまらないから「旅」に出るのだと勝手に納得しています。
河合将介(
skawai@earthlink.net )
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