No.430            Ryo Onishi                   8/8/2004   

 

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雑貨屋のひとり言

暦のうえで立秋を迎えましたが、まだまだ厳しい暑さが続いています。雑貨屋読者のみなさんはいかがお過ごしでしょうか?昨日から、私も夏休みに入り、あれをしよう、これをしようと考えているところです。なにもできないまま終わらないようにするために、やりたいことは早めにやろうと思っています。(R.O.) 

あまり 知られていないL.A. 観光スポット(175)

Joshua Tree National Park(国立公園)
ヨシュアツリー国立公園(Joshua Tree National Park)は、ロサンゼルスの東、パームスプリングスに近く、ロサンゼルスから最も近い国立公園です。1994年に国立公園に指定されました。1,200平方マイルの広大な高原砂漠と不毛の山々からなっています。
この地域は、他では見られない自然が存在しています。大きく分けて二つの生態系に分れ、海抜3,000フィート未満の地域には creosote bush, ocotillo, cholla cactus などと言った名前の潅木類が見られ、標高のより高い地域では、この公園の名前にもなっているヨシュアツリー(Joshua Tree)の生い茂る地域で、野生動物の宝庫でもあります。
 先日、この地域をドライブ中、舗装道路にコヨーテが現れ、慣れた様子で逃げることもなく、こちらを見つめているのに出会いました。
 ヨシュアツリーとは、手許の辞書によると、「ユリ科、イトラン属の植物で、アメリカ南西部の乾燥地帯に生育し、成長すると8メートルにも達する」と書いてありました。
いかにも荒涼とした砂漠の植物らしく、ブラシのようなとげとげの葉っぱというか、枝が分れた奇妙で珍しい姿をした植物です。

 また、この公園内のいたるところに種々な形の巨岩、岩山が点在し、訪れる人々の目を楽しませてくれると同時に、ロッククライマー達にとっても格好の訓練場になっています。 

  公園内を車で通り抜けられる舗装道路は2、3本しかありませんが、いたるところに広々と開けた場所や見事な景色を堪能できるトレイルが整備されています。

案内書によると、公園内にはキャンプ場が9ヶ所あり、いずれもトイレ、ピクニックテーブル、ごみ捨て場などの設備があるとのことです。

この国立公園への主な入口は3ヶ所(北口、西口、南口)ありますが、公園内の見どころに最も近く、便利なのは北口で、ここのビジターセンターが設備、資料、展示など最も充実しています。

●連 絡 先 : Joshua Tree National Park
                       74485 National Monument Dr., Twentynine Palms, CA 92277
●オープン日 :毎  日 
●時   間 : 8:00AM − 4:00 PM(ビジターセンター)
●入 場 料 : $10(車一台につき)
●電   話: : (619) 367- 7511 / (760) 367- 5500
●Web Site: http://www.nps.gov/jotr 

行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
北側入口から入る場合:
(1)FWY #91(東)、FWY #60(東)へ。
   (または、いずれかの、FWY を経由して、FWY #10を東へ)
(2)FWY #60(東)からFWY #10(東)へ合流してから更に約22マイル東進、
    #62道路出口でFWY #10を出る。
(3) #62道路を北進し、約45マイル(途中、Yucca Valley市を通過する)進み、Twentynine Palms市に入り、Adode Roadを通過してすぐの Utah Trailを右折(南へ)。すぐの右側にビジター・センター(Oasis Visitor Center)があるので、ここに立ち寄り案内図、資料をもらう。
(4)ここまでの行程 ;(Torrance方面からの場合)約160マイル、ドライブ約2時間30分。

南側入口から入る場合:
(1)FWY #91(東)、FWY #60(東)へ。
  (または、いずれかの、FWY を経由して、FWY #10を東へ)
(2)FWY #60(東)からFWY #10(東)へ合流してから更に約75マイル東進、
   #195道路(Mecca / Twentynine Palms)出口でFWY #10を出る。
(3) #195道路を北進し、約10マイル進むとビジターセンター(Cottonwood Visitor
   Center)があるので、ここに立ち寄り案内図、入場料を支払い、資料をもらう。
(4)ここまでの行程 ;(Torrance方面からの場合)約175マイル、ドライブ約2時間45分。
      河合将介( skawai@earthlink.net )

さくらの独り言「甲子園の土」

日本帰国四度目の夏を過ごしている。四度目とは言え、夏の初めから終わりを今のように一期通関して日本国内で過ごすのは、17年ぶりのこと。懐かしさと驚きも新たに、夏の風物詩を私は五感いっぱいで満喫している。燃えるような蝉の合唱、呑み込まれそうな入道雲、とろけそうに甘い果実、空気中の液体が気体に変化する時の不思議なかほり、酷陽に応えて滴る汗。夏の風景も、食べ物も、そしてイベントも、本物の夏だと感動している。中でも昨日から始まった高校野球は夏の盛りを物語る絶品、日本文化の傑作だと思う。

8月8日(昨秋骨折の折り入れた2本抜釘は手術を終え)退院準備も完了し、あとは支払いを済ませるだけの私の病室へ迎えに来てくれた叔母が、汗を拭き拭き息せき切って言った「テレビをつけて!」と。何事かと驚きながらも、いわれるがまま病室のTVをONにした。叔母は残念そうに「あ〜あ、負けちゃった」と。そこには甲子園の砂を袋に詰め込む、汗と涙と泥にまみれた球児達の姿が映し出されていた。第86回全国高等学校野球選手権大会第一日目、第2試合目終了時の風景だった。私が忘れていた夏の風物詩が、今も日本中を沸かせていることを知らされた。帰宅後、私は九州の母に電話で退院報告をした。母が言った「おめでとう」の言葉に続く話は、これまた高校野球のことだった。そういえば、家族の中でもスポーツ音痴の母が一年中で最もスポーツに燃える季節が夏、この高校野球だったことを想い出した。熱闘する高校球児に釘付けになり、台所で沸騰している熱湯に負けぬ熱気を満喫している74歳の元気な母の声が、退院した私への何よりのご褒美となった。

さて、私の母や叔母の高校野球応援スタイルを観察すると、共通する幾つかの“傾向”があり、大変面白いと思う。まず、出場校の応援順番にひとつの距離的地域性があることだ。言うまでもなく母校か地元県が第一であるが、仮にそれが負けると次は同ブロックエリア(九州)内の他県、ついで近隣ブロックという風に変化する。また、友人知人、もしくは自分と何らかの縁や体験、それは単純な好き嫌いや、知っているとか、行ったことがあるとかという個人的関わりの濃淡を無意識の指標として応援対象と化するというプロセスだ。次にその応援スタイルである。激戦に我を忘れ、会ったこともない球児の名前を呼び捨てに「○○君、打て!」とか「××君、捕って!」とTV画面に向かって叫ぶ。それが実現すると歓喜して拍手しながら立ち上がり、「よしよし」と画面の球児を力強く、しかも自慢げに褒めている。これこそ、毎日医者に通うほど痛いと訴える老女の足腰に奇跡が起こる一瞬となる。しかし逆にそれが実現されないと、老母は歳相応の小さな肩になる。私の母にとってTV画面に登場する甲子園グラウンドの高校球児は、スポーツの技術や精神発揮のみならず、まるでユリゲラーに負けぬ夏の魔法使い、まさに「孝行球児」なのだ。こんな風に、色々な記録とドラマが繰り広げられる高校野球にひとつの幕が閉じられる頃、夏が終わり、秋の気配を感じながら大人になったのは、私だけだろうか。

この全国高等学校野球選手権大会大会歌である「栄冠は君に輝く」(作詞:加賀大輔・作曲:古関裕而)や勝利チームの校歌、そして国歌をマウンド上で歌うスポーツマンたちは、愛国心や母校愛を、スポーツマンシップとともに誇りと感じるに違いない。“甲子園の土”は過去という終わりではなく、明日という未来へのスタートの証として、彼らや私たちに砂時計の如く流れ続けるだろう。技を競い合う敵であろうと、試合が終わったその時点で「ノーサイド」(ラグビーの試合終了の合図)となり、共に生きる地上の星であることを知っている日本男児たちだ。これが、競う者と観戦する者が共有して持ちうるスポーツマンシップではなかろうか。スポーツ応援の有り方が話題に上がる今日この頃、栄冠は明日に繋げるものだということを知っている日本人若人を誇りに思いながら、猛暑よりも熱い日本女性でありたいものだ、っと呟く、さくらの独り言。

川柳 & コント(東京・成近)

( 川 柳 )

海老を釣る鯛の土産で里帰り

釣りバカ日誌今日は嬉しい鯛が連れ

釣りキチの鯛の魚拓がよく喋る

曲折はあったが今日の鯛の折

金婚の小さいながらも鯛の膳

( ニュースやぶにらみ )

「ハルウララ来春引退」
人気があるのにもったいない −小泉首相

「マナー逸脱」
中国観衆にレッドカード −アジアカップ

「過ちは繰り返しません」
最後の‘ません’が風化してませんか −広島原爆碑

河合成近
nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

森田さんから

山の向こう( 1 ) 

「アイ・ケーム・フロム・ヒロシマ」
 といった瞬間、ホォッともオオッとともつかない一種のざわめきのようなものが起きる。会合などで私が自己紹介を終えると、遠慮がちにそっと近寄り、
「ディジュー・リメンバー?」
 と、尋ねる人がいる。
「当時、私は五歳でしたけれど、あの瞬間は覚えていますよ」
 あの瞬間とは、人類史上はじめて原子爆弾が人間の上に投下されたその時のことである。私はロサンゼルスに来て三十四年、何度このような質問をされたことだろう。
 広島市と日本三景の一つ「安芸の宮島」の中間あたりに私の生まれ故郷がある。現在は広島市に組み込まれているが、元は観音村という弘法大師ゆかりの極楽寺を山頂にいただく南方の山すそにひらけた村であった。ほとんどの家が日当たりのいい斜面大地に建っていたので眺めがすばらしくよかった。正面には瀬戸内海に浮かぶ「安芸の子富士」の端正な姿が望まれ、左方には、島の稜線が女神の寝姿に似ているという宮島が横たわる。海に向ってひろがる平野は五日市町。右には鈴ガ峯の山が連なっている。その山を越えた向こうが旧広島市である。 
 その山の向こうが真っ赤に染まり、恐怖に怯えたことを覚えている。
 一九四五年八月六日午前八時十五分、私は八歳年上の兄と離れ座敷の二階にいた。
 広島市内の学校に通っていた兄は、勉強どころではなく勤労奉仕にかりだされる日々だったそうである。その日の朝、兄は市役所横の道路を広げるための作業に行くはずであった。ところが駅までくると急に腹痛に襲われ、家に引き返したという。
 兄は蒲団を敷き、押し入れの中段にある蚊帳を放り投げた。と、その時だった。窓いっぱいに蒼白い閃光がピカッと走った。次の瞬間「ドォーン」と、ものすごい音がした。気がついた時は、階段の下り口に兄と飛びのいていた。障子の窓が吹っ飛んで、四角い空だけがあった。母屋の南側の障子は木っ端微塵だった。誰かが「前の二階の窓ガラスも割れとる!」と叫んでいたような気がする。
 母は、生まれて一年目の弟を寝かしつけていたと大人になって聞いた。二つ違い妹は、母の寝床へ入ろうと蚊帳をくぐった、その時だったという。数日前に徴兵された長兄は原爆投下の前夜、広島から九州へ移動したばかりで命拾いをした。姉は小学生、父もうちにいたのだろうが、何をしていたのか聞いたことがない。
 私が覚えているのは、山の向こうが茜色に染まり、夕闇が夜空を包んでもますます真っ赤になり山が影絵のようにくっきりと浮かんでいた光景である。空いっぱいに広がる夕焼けは好きだったが、その日の赤さは、不気味な色をしていた。それは、大人たちの抱く恐怖心を幼い私は肌で感じ取っていたのだろうか。
 翌日になっても山の向こうは赤かった。空から黒いものがひらひら舞い落ちてきたことも覚えている。私は外で遊ぶのが怖かった。大人たちはみな深刻な話しをしていたし、兄も姉も学校から戻ってくると、いつも怖い話をしていた。
 だが、どこかほっとしたような明るさも感じられた。それは戦争終結による安堵感だったのではあるまいかと、いまにして思う。
                                             つづく
 森田のりえ  noriem@JoiMail.com

成岡流お酒の楽しみ方

岡山県の銘酒・御前酒の日帰りツアー 
              
                          吟醸酒蔵みゅーじあむ 石井 由希子 
 私が「みゅーじあむ」で働くようになって8ヶ月。その間に見学に行けた蔵は、兵庫県の富久錦、高槻市の清鶴、広島県の蓬莱鶴の三蔵。 
 そして、今回は常連さんの山田房江さんが「岡山県にある御前酒の蔵に行ってみたいですね」の一言から始まり、蔵見学大好き人間の清水さんが、ツアーのプロデュースをして下さいました。 
 今号は、参加出来なかった館長に代わり私が、総勢11名の「御前酒ツアー」のお話を書かせて頂きます。 
  
ツアー出発当日は? 
  
 ツアー決行の当日7月10日(土)、目が覚めると朝からビックリする程とっても凄い雨と雷。 
 貸切バスは、JR高槻駅南口の松坂屋前に8時に迎えに来て、8時15分出発予定。 
この雨の中、皆さん無事に出発までに到着出来るのか心配になった。 
 しかし、その心配は無用だったようで、8時前には全員集合して、8時2分頃にはバスは動き出していた。さすがみゅーじあむの常連さんと感心した。 
 残る心配は雨が止んでくれるかで、窓から眺める天候は、小雨になったと思ったらどしゃ降りになったりで、ハラハラさせる。 
 ところが、中国道が「池田から6q渋滞」となっていたが、1回目の休憩地の加西SAには予定よりも20分早く到着できるし、さらに雨も止んでしまっていた。 
 皆さんは「晴れ男の松本さんが居てはるから大丈夫よ!」と高を括っておられたが、それが現実になって「さすが!さすが!」との声でバスの中は賑わった。 休憩後、一路中国道・落合ジャンクションから米子自動車道の久世インターに向けてひた走り、御前酒の蔵樺メ本店には、出発から3時間後の午前11時に到着できた。 
  
感激!感激!感激! 
  
 今回のツアーの目的地樺メ本店は、岡山県の北部の勝山町にあります。そこはとても綺麗な町並で、京都のような昔あふれる風景があちこちに見られます。 
 この辺は「町並み保存地区」にS60年指定されています。例えば家に“五右衛門風呂”があることが安易に想像出来たり、大きな台所があり、筒抜けの長い廊下があるような……。そういった昔ながらの場所がありそうな家が、沢山建ち並んでいる所なのです。 
 もう一つここの名物になったのが、映画「寅さん」の最終作になった48作目の撮影場所になったのです。町並みのイメージを創造していただけましたでしょうか?その町並みに御前酒の蔵は溶け込んでいるのです。 
 蔵の中にお店の方に案内してもらって入ると、そこが試飲のできるところで、参加者は一斉に「試飲大会」よろしく、あれこれ手が伸びる。 
 「さるなし」というキウイのような果実で造られたリキュールから、日本酒の原酒、古酒、さらには海洋深層水で造られたという焼酎まで。 
 全部で10種類くらいにおよぶお酒に圧倒されながらも、皆さんはそれぞれ気になるお酒から試飲していく。気に入ったのがあると「もう一杯!」とお代わりの声が上がることもあった。 
 少し奥にはいると、業務用の大きな冷蔵庫があり、何種類もの四合瓶と一升瓶のお酒が保管されたある。そのお酒の殆どは12B.Y.(平成12年醸造)の古酒。 
 一杯200円の試飲代がいるが、常連さんはその中から五種類をチョイス。純米大吟醸に吟醸、それもタンクが違うものだったり。みんなで回し飲みをして意見交換をするが、これがまた面白い。 
 意見はバラバラ、自分の舌が頼りと何度か?き酒をして、「香りはコレが一番!」だとか「全体的にバランスのいいのはこっちやで〜!」とか。その意見を聞いていた店員(?)さんは、どう同調してよいのかタジタジ………。 
 それにひるむことなく私たちは、自分自身の意見に納得していた。試飲や?き酒が一段落して落ち着いた時分に「蔵の案内をさせて頂きま〜す」と声が掛かった。 
  
静かな蔵 
  
 中に案内してもらって入っていくと、木造の蔵だからこそ味わえる木の香り、そしてお酒の香りが出迎えてくれる。 
 蔵の中に入り説明をしてもらいながら歩いて行くが、杜氏さんも居なければ蔵人さん達もいない、あるのは色々なお酒を造るための装置と、出番を待つお酒が詰まったタンクだけだった。 
 日本酒の世界では7月1日が新年とされているそうで、この時期杜氏さん達は組合の会合で忙しくしているそうで、丁度この日も会合に行って留守をされていた。 
 この静かな蔵でも説明は素早く進行していく。とても詳しく説明をしていただいたところは、火入れの作業をする装置と、お酒を搾る機械についてでした。 
 火入れの装置は、熱湯の釜の中につり下げられている螺旋状のステンレスパイプに、お酒を通らせて、65℃まで上げて、急冷することによって低温殺菌するもの。 
 搾り機は、通称「やぶた」と言う箱形の機械で、中に板が何枚もあり、上からお酒を流し込み、その板が圧力を掛けられて、アコーデオン・カーテンのように動いて重なっていき、お酒が最後まで搾り出される。そして、板と板の間に「酒粕」が残るようになっている。 
 次にお酒のタンクの部屋に案内してもらった。そこには沢山のタンクがあり、その部屋は20.5℃に保たれていた。 
  
美味しい時間?! 
  
 御前酒の蔵に着いて1時間、沢山のお酒を試飲して蔵見学も終わって、丁度正午になり、清水さんの「ご飯の時間ですよ」の号令で、全員集合して向かいの西蔵に入って行きました。 
 二階建ての西蔵は、元々御前酒の貯蔵庫として建てられ使用されていましたが、現在は一階をエキシビションやコンサートなどのイベントスペースにし、二階はレストラン&ギャラリーになっていました。 
 丁度この日の夜も、一階でジャズトランペッターの日野晧正のライブが企画されていて、高槻ジャズストリートで日野さんを知っている常連さんは、「聞きたいなあ!」「見たいな!!」……。しかし、我々が御前酒を出発する予定時刻は15時、ライブが始まるのは18時と、3時間の時間差に残念がっておられた。 
 そして二階に上がって天井を見ると、大きくて太い立派な梁が何本も掛かってあり、それに圧倒される。また壁には、中世の古備前、古伊万里、有田焼や版画などが展示されていて現代作家の展示販売もされていた。 
 フロアーには円いテーブルが10卓ほどあり、丁度よい空間の中で食事が楽しめるようになっている。 
 4・4・3人とセッティングされたテーブルに分かれ、食事のスタートを待つことになりました。 
  
 まず食前酒が出てきましたが、普通食前酒と言えば甘いお酒や梅酒などを想像しませんか?私たちもそれを想像していましたが、実際出てきたのは、大吟醸「馨(けい)」。一同「こう来るとは思わんかった!!」と驚き、続くお料理にも期待が高まった。 
まずは先付けと言われる「前菜の五種盛」が出てきたところで清水さんの「乾杯!」の発声で食事がスタート。 
 各テーブルでそれぞれ盛り上がり、「次は何やろ?」「どんな工夫がされてんのやろ?」とドキドキしながら、食事を楽しんでいる。 
 次に出てきたのが、四合瓶二本。一本は純米大吟醸、もう一本は原酒。二本も出てくるとは思わずみんなビックリ。やはり人気は純米大吟醸!!「美味い、旨い」 
と盃が進む。 
 先付けの次は「冷製ポタージュスープ」。「冷たいスープって美味しいの?!」とお思いでしょうが、これがまたすごく美味しい!冷たいからといってザラザラ感や重たさもなく、サラサラと喉を通る。お酒もサラサラ飲んで追加のお酒は、山田房江さんが「飲んでみたい!」とおっしゃっていた昔の造りを再現した「菩提もとにごり酒」 
 このお酒が程良い酸味と、さっぱり感に同卓の岡さんも気に入り私も好きになった。お酒を飲んでいる内に、料理も次々と進む。スープの次は、単品で「銀だらのソテー」を各テーブル一皿追加。 
 評判だというので食べてみると身がプリプリしていてほんのり甘い。もちろん各テーブル共皮まで完食!! 
 コース料理に戻り、次に出てきたのが、「鶏肉のピカタ」。すごく柔らかいお肉にキュウリとトマトのソースが綺麗にかけられている。料理に詳しい常連さん達は「どうやってこんなに柔らかくしているんやろ?」と調理方法などを話し合う。 
 その一方でお酒は次へ。清水さんチョイスで「山廃純米古酒」をぬる燗でオーダー。このお酒に合うのはあれだこれだと言っているが、もう皆さんほろ酔いです。 
  
酒ゼリーで終わり? 
  
 ピカタも食べ終わり、結構お腹が一杯になったところに酒ゼリーが出てきた。ライム風味が加わりサッパリして美味しい。「これで〆やなあ」と言うと、店員さんは即答で「お口直しです!」と返され、ただもくもくと食べる。 
 酒ゼリーの後にはお弁当が出てきて「お腹一杯!」と言いながら、すぐに食べ終わってしまい、本当のデザートを食べ終わったのは14時過ぎ。 
 ご馳走を食べ終わって町並散策に出かける。どこのお店も家も『のれん』が掛かっていた。 
 ここは「″のれん″がシンボル」となっていて、こののれんを見て「何のデザイン?」などと考えながら歩くのも楽しいものです。 
 みんなそれぞれ散策し、お土産を買い終え、約束の15時にはバスに戻っていました。 
 帰りも一時大雨が降りましたが、長くは続かず、無事一回の休憩のみで18時10分頃に朝の集合場所に到着しました。館長に沢山のお土産話を持ってみゅーじあむに出勤しましたが、常連さん達も来館され、御前酒のお酒と話題で宴会となりました。 
  
遅くなりました。別に転送の写真ファイルを送ります。郵送分と見比べてください。 成岡 卓翁

編集後記

昨日のアジアカップ、ジーコジャパンの優勝はすばらしかったです。日本は強くなりました。この勢いでアテネオリンピックをがんばってほしいですね。
雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.430

雑貨屋 店主 大西良衛   zakkaya@news.email.ne.jp