Zakkaya Weekly No.422
Ryo Onishi 6/13/2004
雑貨屋のひとり言 さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー 成岡流お酒の楽しみ方 河合さんの・・・ 森田さんの・・・ 健康のお話 雑貨屋ホーム 昨年まで家のすぐ目の前に小さな遊園地があり、その横では週末にフリーマーケットが開かれていて、週末は家族連れでにぎわっていました。ある日突然、遊園地は取り壊され、フリーマーケットも開催されなくなりました。都市計画でなにか建設されることになっているらしいのですが、まだ広大な土地だけがそのまま残っています。きれいに刈られていた遊園地の芝は、もう野原になっています。おそらく虫や、鳥にとって良い場所になっているんだろうなあと思っています。(R.O.)
私は6年半前に日本企業の米国現地法人を引退後、引き続きロサンゼルス郊外で妻と二人暮しですが、年一度5月中旬から6月初旬まで日本へ行くことにしています。
今年も5月10日(月)から日本へ行き、東京に梅雨入り宣言が出された6月6日(日)までの4週間、長野県・諏訪と東京を中心に活発に動きまわってきました。毎年この時期に日本へ行く特別の理由はありませんが、強いて云えば、日本は5月の連休明けから6月の梅雨入りまでの間が気候も穏やかで、山野の新緑もみずみずしく、私の最も好きな日本だからです。それに、毎年同じ時期に訪問することに決めておけば、日本サイドの兄姉、友人、仲間たちも私のために予定をたてておいてもらえます。
今回も諏訪滞在中には旧職場の仲間たちが集まってくれ、楽しく語らい歌い、大いに盛り上がりました。諏訪滞在中、仲間たちに二度にわたって信州のドライブに誘われ、連れて行ってもらいました。一度目は木曾上松の赤沢美林を訪れました。檜(ひのき)をはじめ木曾五木といわれる銘木の林で森林鉄道を楽しみ、森林浴で鋭気を養いました。二度目は別の仲間と、直前まで開催されていた諏訪地方の奇祭『御柱祭』の跡をたどりました。
東京に戻ってからは兄弟会をはじめ、中学時代の同級生、大学時のゼミ仲間、母校のゼミ学生たちや他の仲間の皆んなが私を囲んでくれ、たいへん有意義でした。時間の合間に池袋の「ハローワーク池袋」へも立ち寄り、変わらず厳しい就職事情の様子も見学・取材してきました。
また、東京滞在中、一日は伊豆下田まで足をのばしました。今年は、日本が鎖国を解き国際社会に向って第一歩を記すことになった『日米和親条約(神奈川条約)』締結150年目であり、この条約により即時開港された下田はペリー提督一行が条約締結後最初に訪れたところです。私にとって下田訪問(取材)は今回の日本行き目的のひとつでもありました。
下田は日本最初の開港地であるだけでなく、日露和親条約締結の地でもあり、その2年後に来日したハリスによって最初の米国領事館が開設されたところでもあります。下田では同行してくれた友人二人と、これら多くのゆかりの場所を終日徒歩だけで訪ね回りました。途中、下田港の足湯で疲れをほぐしたのも楽しい記憶となりました。
さらに、ここ数年、私にとって日本行きの楽しみとして追加されているのが M.L.(メーリング・リスト)グループとの「オフミ」(オフ・ミーティング)です。
今年もいくつかの「海外ロングステイ同好会」や「シニア・ネット同好会」のメンバーと親しく現地交流をさせてもらう機会に恵まれました。E-メールだけでは語り尽くせない本音のトークは楽しく、時の経つのを忘れさせるものでした。
私は普段、日本を離れ、ロサンゼルス郊外という海外に住んでいますが、私にとって年一度の日本訪問は「日本の良さ」を再認識する機会でもあります。「海外にいるからこそ、日本の良さがわかる」ことも、海外滞在者の特権といえるでしょう。
久しぶりにお会いした皆さん、お世話になった皆さんありがとうございました。 河合将介(skawai@earthlink.net )
さくらの独り言「シーガイヤA・・・更に南へ」
・・・前号の「シーガイヤ@・・・まつ」に続き「シーガイヤA・・・更に南へ」。今号は、この雑貨屋の朱筆・河合氏の「あまり知られていない観光スポットLA」ならぬ「あまりにも知られている観光スポット宮崎・・・さくらは初めて」を展開してみよう。さあ、日南海岸へと、ひとっ飛びぃ・・・
宮崎県南部のリアス式海岸が始まろうとする位置に、青島がある。島津久永・貴子(昭和天皇の第5皇女)ご夫妻の新婚旅行(1960年)、現天皇・皇后(当時皇太子ご夫妻)の訪県(1962年)以来、新婚旅行先として人気を集めた宮崎の中心、そこに青島がある。ちなみに、主筆・河合将介氏の新婚旅行も宮崎だったそうな。若かりし頃の河合氏がこの聖なる島で、どんなムードで奥様と永遠の愛を誓い合ったのだろうかと想像してニンマリ。周囲1.5キロの小さい島(と言っても陸続きだが)、約5000本のビロー樹、約200種の植物が自生し、島内全域が「青島亜熱帯植物群落」として国の特別天然記念物に指定されている。私の目を惹いたのはもう一つの天然記念物「隆起海床と奇形波蝕痕」、通称「鬼の洗濯板」である。この洗濯板は延々と続く日南海岸沿いに見ることが出来る。青島を後にして国道220号を南下する。葛折りの坂道を上り詰めるころ5本のフェニックスが目にとまったかと思うや否や、突然道が消え失せ、眼前に広がるのは大海原だけの「堀切峠」。奇岩・鬼の洗濯板、波に洗われて切り立つ断崖、わずかな砂浜、沿道に見る南国の樹木や花々、小さな漁港の浦々との景観の対比が素晴らしい。初めて訪れる私にとってこの堀切峠からの日南海岸線は、ドラマティックな視界の変化がもたらす感動の連続である。
さてこの宮崎の旅を実現させてくれた元上司Y.Tさん運転の車は、いよいよ日南市宮浦地区に入る。長いトンネルを抜けるとそこは雪国だった、ではなく、「鵜戸神宮」の看板だった。そこから左折して2分くらいで駐車場に着いたが、鳥居も社殿も見当たらず、あるのは公衆トイレと売店だけ。「神宮はどこですか?」と売店のおばさんに訊ねると、「7〜8分かかるよ」“え?そんなに歩くの”と、ついつい(完治していない)足を気遣う。それでも、“折角ここまで来たのだから”と背筋を伸ばし胸を張り、そして顔をあげて他の観光客と一緒に歩を進める。と、何処からか海鳴りが聞こえる。“あれ?目の前は海だ。社はどこに?”右手の奇岩に荒海が打ち寄せ大きな飛沫を飛ばす。その奇岩をよく見ると、それぞれの大岩が、なんと亀のような形をしているではないか。さてさて、ここから大和神話の始まり、始まりぃ〜。赤い柱の楼閣は、子どものころ絵本で見た竜宮城そのもの。そして、はるか向こうに社殿を見る。社殿、それはなんと、ポッカリと口を開けた巨大な洞窟の中ではないか。巫女の吹く横笛が、いやおうなく神秘の世界へといざなう。ここは日本神話に語られる海幸彦・山幸彦の伝説の舞台となった場所。この社のご祭神は、神武天皇のお父さん「ウガヤフキアエズノミコト」とミコトのお母さんの「豊玉姫」。山幸彦の子を身ごもった豊玉姫が出産の時、本来の姿である大鰐に姿を変えたところを、夫の山幸彦に見られ、豊玉姫は泣く泣く竜宮城へ帰ってしまった。しかし、産後間もない我が子(ウガヤフキアエズノミコト)のことが気懸りで、妹の豊依姫をこの地に遣わした。その時、豊依姫が乗ってきたのが、さきほど見かけた「亀石」である、と伝えられている。さて、社殿(洞窟)内に入る。潮風にさらされながら、社の朱色は輝きを失っていない。朱色の中にひときわ白く浮かぶ龍の姿がまぶしい。“そうか、ここは龍神(の娘・豊玉姫)が棲む場所なのか”。洞窟の一番奥まった所に「宝珠石」、その近くに有名な「お乳岩」。竜宮に帰った豊玉姫の代わりにやってきた妹の豊依姫が、この岩から滴る水をお乳がわりにウガヤフキアエズノミコトに飲ませ育てたという。この神秘な洞窟に佇むと、そんな伝説もまことしやかに思えるから不思議だ。豊依姫を乗せてやって来た「亀(石)」は、まるで社の番人のように、どっかりと入り江に陣取っている。常に海水がたまっている「亀石」の背中の窪みの中に「運玉」(赤土で出来た球)を投げ、見事に着水したら幸運を掴むという。願いを込めて5個(100円)投げたが残念、はずれ。5種類あるうちから一番安い200円のおみくじを買ったら、なんと「大吉」、その上「銭亀」マスコットのおまけまでついていた。「何かいいことありそうだ」と、これまたニンマリ。神々の生誕、社殿(洞窟)の神秘、亀石のロマンに浸り、古(いにしえ)と現実の狭間で、神話の世界を堪能した。
九州生まれのさくらは、若い頃、何度か宮崎を訪れた。宮崎に限ったことではないが、何故か、観光地なる場所を意識的に避けて旅していたさくら、「あまりにも知られている観光スポット・日南海岸」なのに、「さくらは初めて」が、ちょっと悔しい。これからさらに続く日本生活、「あまりにも知られている観光地」「知られざるスポット」に関係なく“日本人の心のふるさと”を旅し、綴りたい欲求にかられている。さて、お次の「さくらは初めて・・・は、なんぞや?」っと呟く、さくらの独り言。(kukimi@ff.iij4u.or.jp)
川 柳 & コント(東京・成近)
( 川 柳 )
若き日のライバルを乗せ馬の脚
側溝に気付かぬ毬の有頂天
栄光の手前で折れたあみだ籤
酒に逃げ込んだ弱気を叱り付け
裏方に生きて受賞の眩しすぎ
( ニュースやぶにらみ )
「レーガン大統領死去」
素晴らしい人生ドラマだった −ハリウッド
「出生率1.29ショック」
政府も年金欠陥を隠していませんか −三菱自動車
「急増中の名前」
少年A、少女B −法務省
(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jp
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm
連載短編小説 花惑い(4)
それは三週間前の土曜日をあすにひかえた、夕方だった。
浩二が珍しく早く帰ってきた。着替えもせず家の中を行ったり着たり落ち着かない
浩二のようすに、道代は、どうしたのかと訊ねた。
「実は、今夜招待さけているが行くべきかどうか迷っているんだよなぁ」
「誰に招待されたの?」
すると浩二は、由香からだといった。
「由香の起こした事故が片付いたので、世話になった人たちを自分のアパートへ呼ん
で、手料理でもてなしたいから、俺にもぜひ来て欲しいというのだがーーいや、俺だ
けじゃあない。高木の事務所の人たちも行くらしいんだ。けどなぁ」
浩二は迷っているふうだった。
道代が「行く必要ないでしょ」とでもいえば、浩二は意地でも出かけてしまう男で
ある。道代が返事をしないでいると、「俺、ちょっと顔を出して、すぐ帰る」
浩二が独り言のように呟いた。
まいいか、知らない人たちではなし。堅いことは言うまいと、道代は渋々自分の気
持ちに折り合いをつけた。
ところがである。
浩二の話は、こうであった。
由香のアパートへ着くと誰もきていなかった。そのうちくるからと、由香は浩二に
水割りをすすめた。だが、待てども待てども、誰一人やってこなかったいうのだ。
「あなた、罠に嵌められたのね」
道代がいうと、浩二は「ちがう」と由香の肩を持った。
「テーブルに料理がいっぱい並んでいたし、電話もかかった。急用で行けないとい
う。――嘘じゃあないよ。それまで疑ったら、かわいそうじゃないか」
「かわいそう」という浩二の言葉をきいて、道代は、カッと身体が熱くなった。
手練手管の女がよく使うテなのよ。特にあなたのように女遊びをしたことがない中
年男にね。妊娠したといえば責任を感じて狼狽する。挙句の果ての家庭崩壊。珍しく
もない話だわ。何人かいるわよね、そんな友達。あなたも仲間に入りたいの、道代は
喉元まできたイヤミを口の奥に押しこんだ。
人間、たとえ自分に非があっても、責め立てられると「何を!」とひらきなおるも
のだ。道代は、だてに四十三も歳をとったのではない。
「それから?」
言葉だけはやさしそうに聞いた。
道代は考えた。
今後の対策をどうすべきか。
手遅れだろうか。
いや、まだ間に合う。由香に直接会って真相を掴む。女の直感。これだ! この方
法しかないと道代は思った。
「それで、あなたは、どうするつもり? 由香になんと返事したの?」
道代は怒りを押し殺し、ゆっくりと浩二に訊ねてみた。
「困っているから、お前に相談しているんだよ」
「もし子供ができたら、あなたと二人で十五年かけて築いてきた家庭はどうなるのか
しら、ねぇ、答えて?」
「俺は家庭を壊す気はない。お前とジュンの生活を大事にしたい」
道代の手前そういったまでだ。男なんて、あっちに行けば向こうに都合のいいこと
をいい、信用できない。が、道代は一呼吸入れると、「あなたのいま考え、まちがいないわね。だったら、わたし、由香に会います」
きっぱりと言った。
「まだ医者に診てもらってないでしょ。なんとなく妊娠も疑わしいのよね、わたしの
勘では。――とにかく、うちにくるように由香に伝えて、そう、早い方がいいわ。今
日か明日の夕方。わたしが連絡してもいいけれど」
話が思わぬ方向に展開したので、浩二の気持ちが少し軽くなったのか蒼い顔に少し
生気が戻ってきたように見えた。 つづく雨上がりでとてもすがすがしい天気です。雨上がりでとてもすがすがしい天気です。今日はボーナスをもらった娘がフランス料理をご馳走してくれるというので、夕方、神戸に行くことになっています。
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Zakkaya Weekly No.422
雑貨屋 店主 大西良衛 zakkaya@news.email.ne.jp