Zakkaya Weekly No.349
Ryo Onishi                                         1/19/2003

雑貨屋のひとり言 ロサンゼルス便り さくらの独り言 川 柳 & コント バックナンバー
成岡流お酒楽しみ方 教育の方程式 おいしいLA 健康のお話 雑貨屋ホーム

PCがどんどん進化しています。1993年ごろに使っていたPCに比べると、今のPCはスピード、メモリ共、何百倍となり、処理能力は飛躍的に進歩しています。この進歩はどんどん加速しています。これから十年先は今の何万倍かになっているでしょうね。でもどんなにすごい性能であっても、使う人が何をしたいのかしっかりした意思を持たないと宝の持ち腐れになるでしょうね。それともPCの概念そのものが無くなっているかもしれません。みなさんはPCをどのように利用されているのでしょうか?
(R.O.)

 ≪前書き≫:日本の長野県にある信越放送(SBC)ラジオからの依頼で、1月 24日(金)、午後6時(日本時間)のニュースの時間の中で、私がロサンゼルスからの電話インタービューという形式で(わずか数分間だけですが)生出演し、アメリカの現状などについて語る予定です。SBCラジオが聞ける地域にお住まいの方は聞いていただければ幸いです。
   ^^^^^^^^^^^^^^^^^^
ここ数年、日本各地にインターネットやE-メールを媒体とした高齢者によるシニア・ネット活動が盛んになってきました。

I.T.(情報技術)の普及、利用の簡易化によりシニア世代でも容易にこれら媒体を使えるようになったこと、また、少子・高齢化にともない、健康と時間的余裕の出来たシニアが多くなったことなどがその理由として挙げられると思います。

今や情報媒体としてのパソコンは若者だけの特権にあらず、といった感さえします。そして、これら日本でのシニア・ネット活動は当然ながら海外との交流についても積極的です。

日本にはシニア活動のひとつに「海外ロングステイ同好会」があります。若者とは違う、シニアに適した長期海外旅行を実践しようという発想から生まれたものです。

私は企業定年でビジネスの第一線から引退した五年前から、日本の神奈川県にある、いくつかの「海外ロングステイ同好会」とかかわりを持ち、交流を続けてきました。

私は一昨年6月からこれら同好会のメンバーに対し「ロサンゼルス便り」をE-メールで発信しています。ここで第106号を発信しました。

また、昨年9月から仙台、熊本、それにロサンゼルスのメンバーによる「日米シニア井戸端会議」(L.A.のコーディネーター、鶴亀彰氏)という日米交流グループへも「ロサンゼルス便り」を発信し、活発な意見交換への話題提供をさせてもらっています。

これらの交流はE-メールによる交信が常ですが、時には「オフ会」と称し、実際にメンバーが相互訪問し語り合うこともあり、楽しくまた興奮します。

今年も1月10日には来米中のシニア・ネット仙台、佐藤和文氏(シニアネット仙台副理事長)、門脇亜紀子氏(日米シニア世代インターネットコミュニケーションプロジェクト担当)を囲んでトーランスでオフ会を開催しました。

このところ、日本はシニア(高齢者)に関するビジネスが隠れたブームなのだそうです。

手許の資料によると「敬老の日」が制定され、祝日になった 1966年当時、日本の65歳以上の人口は国民16人に1人だったのが、現在では5〜6人に1人なのだそうです。

人間は死なない限り必ず年々老いるわけで、「老齢化」 は老若男女を問わず、私達みんなの問題です。

私の「ロサンゼルス便り」の発信は、私自身のボケ防止が目的という側面もありますが、この発信がI.T.の双方向性の利点を生かしたシニアの情報交換の場になればと願っています。
河合将介( skawai@earthlink.net )but_up.gif (232 バイト)

「嘘」というものは、つくのも、つかれるのも、大嫌い。だから嘘をつくのも下手である。もちろん、嘘が好きだという人もいないだろうが、嘘の上手な人は居る。自分が「嘘」をつく時、「誠実に生きる」自分自身につばをかけるような気分になる。また「嘘」をつかれる時、怒りよりも空しく悲しい思いになり、やるせなくなる。いずれの場合も怖いのは、ひとたびついてしまった「嘘」は、終わりのない旅の様に、ひとつがふたつ、ふたつがみっつと、続くことだ。「自己弁護や弁解の『嘘』は罪、友人の悪行には目をつぶるな、しかし失敗のためには『嘘』をつけ」と教えてくれた恩師の言葉を思い出す。「知らないふりをする優しさ」と「嘘」の違いの教え、青年期の貴重な学びだった。

プロジェクトにおいて能力や相性やニーズの視点から、やむを得ずスタッフの入れ替えを要する時や人事考査の際、本人に真実を述べられない場合がある。また、インフォームドコンセントが普及・定着しつつあるとはいえ、病や手術の内容によっては、身内であっても、事実を伝えない場合がある。この様に私は、一時的な問題発生の回避や人間関係の調和を保つために、時に時間軸や内容を事実とは違う形に変える場合がある。つまり「嘘」をつくのである。その度に、前述した恩師の言葉を想いだし、鏡に向かった自分に問い掛ける、罪を犯していないかどうかと。嘘の上手下手でいうならば、私は嘘をつくのが大変下手な部類だ。そして私の友人たちは、これまた嘘の下手な人が多いのである。

こどもの頃から耳にしてきた「嘘」のつく言葉を捜してみた。「嘘ついたら針千本飲ます」、「嘘は泥棒の始まり」、「嘘八百」、「嘘も方便」、「嘘から出たまこと」、「嘘で固めた話」、「嘘と坊主の頭は言ったことがない」などである。方便とはいえ「嘘」が生み出すものは、疲労、破壊、崩壊、空虚、後退、隙間、摩擦、罪、傷、不安や恐れなどであり、人間の平安や希望からは程遠いものであろう。嘘はつかないにこしたことはないが、嘘のない人生なんてのも、ないのかもしれない。

夕食の時刻も忘れ遊びほうけた小学生時代、言い訳の「嘘物語」を道々考えたものだ。下手な嘘はいつもバレバレで、母が手を上げたことも少なくない。「『嘘』をつくことは、恐ろしい人間、とんでもない人間になる」という母の教えは厳しかった。皮肉なことに初恋の男性につかれ続けた「嘘」の傷は今尚深く、それに私の性格「肥後もっこす」が相まって、どんな状況や目的であれ、「嘘」には強烈な反応を示してしまう。仕事の役割・責任や人間関係において、必要に応じてぎこちない「嘘」をつく。天国で舌を抜かれたらどうしようと心を騒がす。冗談と同じように、軽く嘘の言える大人になれないものかと、願ったりもする。しかっしぃ、所詮真っ直ぐなさくら、40の手習いで嘘を学ぶわけにもいかず、と諦めている。そしてやっぱり言う、「嘘はつかないにこしたこといはない」っと、ままだまだつぼみのさくらの独り言。
sakuratsubomi@earthlink.netbut_up.gif (232 バイト)

川 柳 & コント(東京・成近)


( 川 柳 )

精一杯輪ゴムの意地が飛んでいる

不況風まとも 狂った着地点

水を得た魚が生簀だと知らず

見たままが言えぬ保身の悲しい目

中傷のペンキに消しゴムの無力


( ニュースやぶにらみ )

「一月に靖国神社参拝」
8月までもつかどうかわからないので  −小泉首相

 「お年玉二年連続減」
デフレの意味がやっとわかった  −こども

「就職内定率60%」
職がないので大学にでも行くか   −新高卒生

(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jpbut_up.gif (232 バイト)
http://www.adachi.ne.jp./users/itsukabz/index.htm

あっこのおいしいロサンゼルス

満腹したら食休み(53)
「おでんのはる屋」
今回もまだ日本での話。ある日、実家のすぐ側に住む兄嫁が、「小倉まで屋台のおでんを食べに行こう」と誘ってくれた。「えっ、小倉までおでん?」。実家のある山口県宇部から北九州の小倉までは高速を飛ばして丁度一時間の道のり。関門海峡を渡ってまでおでんを食べに行こうというのだ。「そんなにおいしいの?」という私に小学生の甥や姪が「うん、日本一!」と興奮して答えるではないか。兄嫁も絶対に食べさせたいと言う。「それなら行こう!」私の食欲もムクムク。

私はおでんの屋台はおろか、おでん専門の店に行ったことがない。もちろん居酒屋などではおつまみの一品として食べたことはあるが、それだけを目当てに食べるといことはなかった。おでんは自宅で食べるものというイメージが強く、外で食べると内容に比べ値段も高いと思っていたからだ。いつも味が物足らなく、自分で出汁を取った方がおいしいとさえ感じていた。

私たちの地方ではおでんの出汁(だし)は昆布と牛筋でとる。そうすると牛筋のゼラチン質のせいか、こってりとした旨味のある出汁になり、他の具から出た出汁と合わさってよりおいしくなる。昆布やカツオだけで取った出汁だとあっさりしすぎて物足りない。小倉のおでんはもちろん牛筋の出汁で、それが素晴らしくおいしいというのである。

そもそも、おでんとはおもしろい名前だなと子どもの頃から思っていた。これを機会に少し調べてみると、おでんのルーツは田楽で、あの豆腐や茄子の味噌田楽の田楽である。なぜそれを田楽と言うのかという説明は割愛して、その昔、宮中では田楽のことを「御田(おでん)」と言っていたそうで、それが一般に広まったようだ。庶民の味も実は雅なルーツを持っていたのだ。やがてその田楽を関東では醤油で煮込むようになり、関西人は味噌おでんと区別するために関東煮と呼ぶようになったそうだ。(一説には長崎の出島で中国の広東人が食べていた煮込み料理からというものもある)。

さて話は戻って、小倉の屋台のおでん屋はその名を「はる屋」(Tel 090-366-31180)という。屋台だから住所はない。小倉北区魚町3丁目の旦過(たんが)交番前交差点にどんどこ広場がある。そこに夜8時になると店開きする旦過屋台の一つ。この「はる屋」目当てにお客はひっきりなしにやってくる。いつも長椅子に詰めて詰めてぎゅうぎゅう状態。空いて少し楽になったと思う間もなく、次のお客がやってくる。混んでいても他の屋台へは行かず、寒空に待っている人もいる。

「はる屋」は創業(屋台でもこういうのだろうか)50年、現在の3代目ご主人になって10年。おでんの味が良いというのはもちろんだが、この店の人気の理由の一つはこのご主人の人柄。よどみなく出てくる話題に加え、お客が食べたくなるような演出も実にうまい。もちろん気配りも忘れない。そしてその横では奥さんが常に冷静に伝票をつけている。

具(一串120円)は定番の大根、はんぺん、こんにゃく、どれを食べてもおいしいが、柔らかくこってりした牛筋はやはりおいしい。タコ(500円)は77才の父でもパクパク食べられる柔らかさ。変わったところでは、餃子やロールキャベツもおすすめ。子供にはウインナ―が人気。あっさりしておいしいのが、春菊、えのき、博多ネギを注文があってからさっと出汁で茹でたもの。おでんでお腹一杯になることはないと思っていたが、どれを食べてもおいしいから、つい食べてしまう。

旦過の屋台には特徴が二つある。一つはお酒を出さない。小倉といえば無法松ではないが、気が荒いのかやたら揉め事が多く商売にならないからという。その分お客の回転も早い。それでも飲みたい人は少しなら持込ができる。もう一つは「おはぎ」(あずき、きなこ一個100円)だ。おでんにおはぎという組み合わせもおもしろい。どの屋台もおはぎは置いているが、特に「はる屋」のおはぎは全部自家製の手作り。夕方作るから翌日になっても十分おいしい。

どうしておはぎを置くようになったかといえば、コンビニなどがない時代、おでんの屋台に新聞や卵、おみやげ用に饅頭やおはぎも置いていたそうだ。その中から、売れるものを残していったらおはぎになってしまったとか。その名残か、なるほど、お土産におはぎを買って帰る人も多い。

私はおでんを外で食事としてお腹一杯になるまで食べるものでもないと思っていたし、どこで食べてもそんなに変わらないものと思っていた。でも、生まれて初めて食べた屋台のおでん、これも立派な日本の食文化の一つ。たかがおでん、されどおでん、認識を新たにしたのであった。
さっか あきこ akikosk@webjapan.combut_up.gif (232 バイト)

編集後記

先週紹介しましたが、私のハンドヘルドPC(Windows CE)をいかに便利に使うかということを研究しています。インターネットでフリーのソフトを探しています。今回は英語の辞典をインストールしました。モバイルでインターネット、メール、辞書、メモ機能、画像処理、メディアプレーヤーを楽しむなど、小さいながら、いろいろなことができることがわかってきました。これで通勤電車の中で退屈することはなく、各駅停車も楽しくなります。

雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧になれます。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.349

雑貨屋 店主 大西良衛  gp-bmail.gif (1852 バイト) zakkaya@news.email.ne.jp

but_up.gif (232 バイト)