The Fullerton Arboretum(樹木園)![]()
Zakkaya Weekly No.307
Ryo Onishi 3/31/2002
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先週、プロゴルファー古市忠夫さんの講演会「逆境に打ち勝つ」を拝聴させてもらいました。7年前の阪神大震災で家財もお店も、そして多くの友人も失う、そんなどん底の中、偶然ゴルフクラブが残りプロゴルファーになる決意をし、60歳で見事プロテストに合格されました。ゴルフは人生と同じであると熱く語られるその顔は真っ黒に日焼けして元気いっぱいの顔でした。ボランティアで消防団の一員として震災前から活躍されていて、震災時は自分のことをかまわず人命救助に全力を尽くされました。震災で地獄を見たこと、いろんな体験をしたことで、さらに人を思いやる心とどんなことでも受け入れ、頑張れることへの感謝の気持ち持てるようになり、そのように考え方を変え、積極的に勇気をもって生きていたらツキがむこうからやってきたそうです。プロテスト最終日、当確ラインギリギリだった古市さんはあわやOBのトラブルショットで、万事休すかと思われたときも奇跡としか思えないリカバリーショットで凌ぐことができ合格できたそうです。望んだわけではないのにテレビで紹介(昨年7月NHKのドキュメンタリーで紹介)されたり、講演を頼まれたり(すでに157回も講演されている)、本を出したり(2冊発行、印税はすべて寄付されている)、震災後、借金だらけの自分に仕事がたくさん回ってきたり・・つぎつぎと周りが彼を助けてくれたそうです。「ツキは交互に来る。ツキは誰にでも公平にめぐってくるが、自分からそれを逃がしてしまうようなことをしている。」と古市さんは語ります。1メートルのパーパットをはずすと悔しがり、言い訳をしながらがっくり肩を落として歩く人が多いですが、そうではなくにっこり笑って、背筋を伸ばして歩き次のホールへと向かう・・そういう態度が次に来るツキを活かせるのです。ゴルファーのみなさん、ナイスショット!といわれたら素直に「ありがとうございます」といいましょう。フェア−ウェイに一礼してプレーしましょう。土曜日のゴルフ、前半調子が悪かったのですができるだけ文句やグチを言わないようににこにこプレイしたおかげで後半だいぶ良くなりました。(R.O.)
あまり 知られていないL.A. 観光スポット(118)
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CSU(カリフォルニア州立大学) Fullerton校キャンパスの内に開設されている樹木園です。
ここには世界中から生態学的に整理された樹木のコレクションがあり、これらが26エーカーの土地に植えられています。そして、樹木の生態学、園芸、歴史などの教材として学生や地域コミュニティーのために役立っています。
池やトレイル(散策路)のある緑の樹木園は、まさに都会の中のオアシスとも言えるでしょう。
1960年代の終わりころ、この土地を駐車場として使用する案が決まりかけた時、学生達が緑のスペースを確保することを主張しました。そして、この地域が歴史的にオレンジと深い絆に結ばれている土地でもあることから、樹木園とすることが決まり、1979年オープンしました。
この樹木園は大きく次の4つの区画に分かれています。
- Cultivated Collections(栽培耕作樹木)
- Woodland Collections(森林樹木)
- Mediterranean-Climate Collections(地中海性気候樹木)
- The Desert Collections(砂漠の樹木)
また、南カリフォルニア自生植物、希少果物、柑橘類およびアボカド、食虫植物、熱帯雨林や各種ソテツ類なども収集されています。その上、コミュニティー庭園、子供庭園などもあり、ゆっくり散策しながら見て歩くのに適しています。
また、この樹木園の中に古い家が保存されていますが、これはこの地の内科医だった、ジョージ・C・クラーク博士の家、およびオフィスとして1894年に建てられたもので、1972年にこの場所に移築されました。
この家は、1890年代の生活および医療について知る貴重な博物館となっています。
ギフト・ショップ(売店)やプラント即売コーナーもありますが、こちらは土曜日(10:00AM.から4:00PMまで)、日曜日( 1:00PMから 4:00PMまで)のみです。
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- 住 所 : 1900 Associated Road, Fullerton, CA 92831
- 開館日 : 毎 日(だだし、主要祝日は休み)
- 時 間 : 8:00AM〜 4:45PM
ただし、Heritage Houseの案内は日曜日 2:00PM〜4:00PMのみ。
- 入場料 : 無 料
- 電 話 : (714) 278- 3579
- Web Site: http://arboretum.fullerton.edu/
(Torrance方面よりの場合)行き方は次の通り
河合将介( skawai@earthlink.net )
たまにはくだらない話もいいのではないかと、暴露版独り言を思いついた。今回は何を隠そう、私の心を脅かしている「だ〜い好きな人(たち)」の公表(ドキドキ)だ。@ロストロボービッチ、A立花隆、そしてB星野仙一である。共通点は、残念なことに皆妻帯者である、っがっしかしぃ(マキちゃん風)、皆、健在という事実だ。それがなにより。いつかどこかで個人的レベルでの出会いを切に願う、馬鹿なさくらの独りごとの始まりぃ〜。
@チェロ演奏家でありまた指揮者でもあるロストロボービッチのベートーベンチェロソナタ3番の演奏に感嘆のあまり涙が出た、14年も昔の話だ。弦を奏でる彼の息づかいが聴こえ、チェロと音楽と彼の身体が完全なるハーモニーを創出し、その最高芸術作品の中に存在する彼が霊的で神秘的だった。また彼の名誉欲なき処での真なる平和への熱意とその実践は、多くの音楽家にも学んで欲しいと思う。私の友人のご主人がこのロストロボービッチと友人だが、「会わせてよ」と決して云えない小心者のさくらだ。Aノンフィクション作家の立花隆には、青春時代も現在もかなり強い影響を受けている。突進する猪の如くして書店にて向かう先は、彼のセッション。「『知』の巨人」でありながら「恋をすると何も手につかない」彼のすべてが大好きだ。会えない世界の人なので「立花隆のすべて(上下)」を何度も読み返し、会ったつもりで満足しているさくらである。B阪神監督の星野仙一、何故か何の理由も無く虜になってしまった。私が彼の名を知ったのは、USから日本へ戻る機内で読んだ日経新聞スポーツ欄、今年1月のこと、恥ずかしながら私が彼の名を知った最初の日。男を感じるというと変な言い方だが、ついていきたい気持ちの女心を刺激する。うん、今年絶対「会うぞ」(弊社社長に頼んで会わせてもらおう)と切願している、本気のさくらだ(笑い)。
手術前、ちょうど昨年の今頃読んだ、哲学者木田元の説く「偶然性と運命」(岩波新書)を思い出す。術前の春に、人や出来事の出逢いと別れを意識した証かもしれない。異性同姓または人か物かを問わずして、偶然の出逢いを運命の巡り合いと想う自分の、その霧をさ迷う幾何学的幻想への回答を求めたのかもしれない。「純粋な偶然論はキリスト教と関係のないギリシャ哲学と東洋の哲学の中に見出される」と云った九鬼周造は、要するに偶然/運命論は完全に解決されない問題だと言っている。運命とは言わないまでも「何かしらの縁」を感じるというものはあるもので、必然と偶然こそ違うが、「私の大好きな人」には何故か必然と偶然を感じるのである。しかるに「我がをさな名を君はしらずや」(芭蕉)である。
日本野球界に無関心だった自分が「星野仙一」を知るや否や自動的阪神応援者になり、昨日のオープン戦ではテレビにガッツポーズをするなんぞ、なんともさくらのウル単(ウルトラ単細胞)現象だと納得・反省、でもやっぱり星野に惚れてるんだなぁ、これが。またその一方、こうして雑貨屋の原稿に向かう日は、チェロとピアノの朗々と歌う様な旋律に心を魅了されつつ、ロストロボービッチを想う。更に、立花隆が言った「恥なしの青春、失敗なしの青春など、青春の名に値しない」の「青春」を「人生」に入れ替えて間違いだらけの人生を立花の知を楯にしているつもりで生きている。いやいやなんとも、「生きている限り恋をし続けること」(雑貨屋130号)が「そうありたい自分の5か条」から消えぬ訳だわよ、、、っと、「私の好きな人」を暴露したさくらの独り言。
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マキちゃんの健康のお話
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−またこの季節がやってまいりました。のお話し−
皆様のなかで、“熱もないし、のども痛くないのに、目、鼻がムズムズ、鼻水が出てくしゃみが出る”といった症状があれば、それはご存知『花粉症』、の可能性大。
そもそもこの『花粉症』、以前(何号だったかは、お探しください)にも述べた通り、体内で花粉に対しての抗体という物質を生産し、外敵と判断した花粉をやっつけようとした結果なんですねぇ。
花粉が目や鼻に入り、粘膜や結膜でそれが反応すると、ヒスタミン、ロイコトリエンという、血管を拡張させて、血壁から水分を染み出させる働きのある物質を出します。
すると粘膜内に漏れてきたその水分によって粘膜が腫れて鼻水が、粘膜の神経を刺激してカユミが発生する。っというシステムなのでーす。
この『花粉症』、重くなると、記憶力の低下や視力聴力にも影響してきちゃうんですってー、コワイ。
やっぱり『花粉症』にはメガネやマスクが防御効果があるのはこの事からでも理にかなってます。
それを既にやってるんだけど、それでも『花粉症』で大変なんですけどー。って方、沢山いらっしゃるでしょう。
そこで薬を使わずに『花粉症』撃退に効果がある方法をお教えしましょーっ。
まず、『花粉症』がひどい時や、元々ひどい方、濃い番茶一合に自然塩を小さじ一杯入れて人肌の温度に落ちるまで冷まします。
そうしたら、それで僕が推薦している健康法、“鼻うがい”をします。
これは、その昔ハリウッド女優のシャーリーマクレーンが出した大ベストセラー本にも登場してアメリカでも有名になった方法なんですよー。
これは以前何度がご説明しましたが、鼻から流し込んで口から出す。っていう極めて簡単な方法です。
「やってみたけど、なかなか上手く鼻に入んなくて横からダラダラ滴れる量の方が多いんですけど..。」っという方、良い方法がありました。
それはスポイト。スポイトで鼻の中に注ぎいれます。
こうすると、片方ずつ奇麗に注入出来ますねぇ。
この“鼻うがい”実は一番確実に効果がある方法なのです。
『花粉症』だけでなく、時間は掛りますが辛抱強くやっていると『蓄膿症』まで必ず治す事が出来ると昔から言われているそうです。
即効性があり、確実に効果がある方法をお教えしましたが、来週は日常の食事での『花粉症』の予防方法をお話ししましょうーっ。
それで思い出しましたが、お酒をご一緒した相手が酔ってくると鼻がつまったり、逆にクシャミや鼻をかんだりが頻繁になったり、っていう事が良くあります。
これは血流が良くなったり、血管が膨張して起こると言う事になっているんですが、もしかすると身体が外敵と判断しての結果なのかも..。
蒔田 龍人
office MAKITA
mail@makita1.com
www.makita1.com
www.officemakita.com
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川 柳 & コント(東京・成近)
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( 川 柳 )
タンポポがサクラに10日春を貸し
去年今年 桜に同じ不況風
花吹雪 延命治療よしとせず
ちりぬるを 流れに任す花筏
葉桜になつて桜もマイペース
( ニュースやぶにらみ )
「拉致疑惑」
北朝鮮を証人喚問したい ー日本国民
「赤字決算」
ドコモかしこも ー不況日本
「公立校、週休2日」
今は昼寝をする兎の方がいいんだって −亀
(東京・成近) E-mail nakawai@adachi.ne.jp![]()
あっこのおいしいロサンゼルス
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レストラン案内
「Loft South Bay」――お皿の上のエスニック
23305 Hawthorne Blvd. Torrance CA 90505 310-375-4051
週7日営業。11:00AM 〜 9:00PM
異なる食文化を持つ人たちが、それぞれの料理を持ち寄り一つの皿にまとめてみた。やがてその食べ方は違和感なくその土地に根付いていく。新しい食文化はこうして誕生していくのではないだろうか。
その典型かと想像させてくれるのが、多様な食文化が一つの皿に盛り合わされているハワイ料理。気取らない庶民的な味、ボリュームの良さ、値段の手頃さが人気のゆえんか。
ロサンゼルスの南郊トーレンスにある「Loft South Bay」は今年1月にオープンしたばかり。オーナーのカワサキ氏は「Loft」1号店をガーデナに、そしてセリトス、ハンティントン・ビーチといずれもロサンゼルスの郊外に店を展開させてきた。
昨年、ガーデナの店を閉じたあと、規模を大きくしてトーレンスにサウス・ベイ店をオープンさせた。店のロゴは東西食文化のシンボル、フォークと箸が皿を挟んで並ぶ。いかにもハワイ料理を象徴している。
メニューはその殆どがハワイ出身の両親から受け継いだ家庭的な味ばかり。マネージャーのカレンさんのおすすめを紹介。特製ソースでマリネし、から揚げした「アイランド スタイル フライド チキン」($6.45)は衣もサクサクとしている。「コリアン バーベキュー チキン」($6.95)は辛みの効いたソースで人気。「ベーコン フライドライス」($4.95)は自家製ソースで味付けしたボリュームある炒飯。「フライド サイミン コリアン バーベキュー ビーフ」($5.95)は和風のダシで味付けをした炒麺。
一皿でもかなりの量があるが、もっと食べたい人には、チキン、ビーフ、ポークを組み合わせた3種類の「コンボ」(7.95〜8.95)がある。付け合せの「キャベツサラダ」はコールスローにインスタントラーメンを砕いて混ぜたもので食感がおもしろい。二つの味が楽しめる「マカロニサラダ」はマカロニサラダとポテトサラダのミックス。
これらのメニューも元をたどればいろいろな国にたどり着く。やや甘い味付けがハワイ料理の特長となり、その土地の味となったようだ。
さっか あきこ akikosk@webjapan.com
「瓢箪から勝駒(かちこま)? お気に入りの銘酒を求めて680キロの日帰りの旅」
みゅ〜じあむ会員 井 手 司今回の旅行もいつものことながら突然に決定した。事の始まりは出発の前夜のことである。「みゅ〜じあむ」での私の定位置となったカウンターの左から2番目の席で「最近、お気に入りの『勝駒』がない!」とぼやいていると、館長曰く「店では少ない本数しかいらないので、なかなか注文して送ってもらうことができない」とのこと。それなら直接仕入れに行こうということになったら、翌日が「みゅーじあむ」の休館日。私もたまたま仕事が休みということもあり、取引先の富山県高岡市の「なかやす酒販店」に「休みで無いことを確認して」館長と一緒に、私の賢いマイカーで行くことになった。
名神に乗るのに手間取る
なぜ富山県までわざわざ行くのかというと、とにかく『勝駒』と言うお酒は「清都酒造場」という小さな酒蔵で醸されるお酒で出荷量も少なく、なかなか高槻近辺では入手が難しいのである。それでも私が何としてでも飲みたいというくらい惚れ込んだ、実に旨い酒なのである。また、館長と私は過去に二回も酒蔵を訪問している。
翌日は、高槻を午前9時30分に出発。ところが、館長の都合で夜の9時までに戻ってこなければならないという超ハードスケジュールになっている。
京都南ICから名神高速に乗ったのだが、ここまででかなり時間をロスしてしまった。すなわち、高槻から高速道路へのアクセスする171号線は萬年渋滞で下手をすると茨木ICに行くのも、京都南IC行くにも1時間かかる。第二名神の早期開通が待ち遠しい。
突然『越前そば』と『黒龍』
高速道路に入ってからは、名神・北陸道と快調に進む。 時刻は正午前、お腹もすいてきた。ところは福井県内を走っている。私はどこかのサービスエリアで食事をしようと思い館長に「どこで食事しましょ!」と声を掛ける。昨日は珍しく(失礼!)忙しかったようで、夢うつつといった感じの館長が、「ここやったら一般道に降りて美味い越前そばを食べようではないか」と来なさる。(そういう予感はしていたが)
ということで、福井ICで降りて市内のそば屋さんに入って、丼とおろし蕎麦を注文。ここで館長の悪い癖が出る。「福井北ICの近くに『黒龍』の酒蔵があるので寄ってみたい…」とにかく、時間に余裕がないのでヤキモキしているが、「ちょっと携帯電話貸して、『黒龍』送ってもらっている酒販店に連絡してみるわ!」と店の外へ。結局は相手はみゅーじあむと同じように水曜日が休みの様子。蔵見学は断念したかに見えた館長、腹ごしらえして、急いで福井北ICへ向かうと、もうちょっと先に行こうと言い出す。外観だけでも見ておこうということで、ICをやり過ごして少し行くと、なるほど真新しい黒龍の「龍翔蔵」が悠然と建っている。そこで一発記念撮影して、次の辻を蔵沿いに左折すると、今度は古めかしい「昔の酒蔵」らしい建物が事務所兼販売所。
障子を開けて中に入ると、酒粕や超人気のお酒の瓶が並んでいるが、殆どは「予約限定品」となっている。館長は出てきた女性に「これ買えますか?」と訪ねる。「いいえ、予約頂かないと!」と冷たい返事。「いやいつも頂いている酒屋さんから入るからいいんです。」と言って名刺を渡すが、あまり興味なさそうに「ありがとうございます」の一言。いつもの館長だったら知っている蔵人に連絡してもらって、たとえわずかでも「蔵見学」をさせてもらうようにするはずだが、「時間を気にしてか」素直に引き下がってくれたので一安心して、一路高岡市へ。
田んぼの上を飛んで高岡へ
出発から5時間、カーナビ君が予想していた時刻に高岡市に着きそうだが、北陸道を直進するよう指示している。 しかし、高速道路は「高岡は左」と案内している。この際案内板に従ってインターチェンジを左にとりどんどん進む。するとカーナビの地図は田んぼの上を飛んでいる感じ。ソフトが旧バージョンだから新線が登録されていないのだ。
ここからは館長の記憶力にたよって目的地に向かうが、JR高岡駅近くになって感が狂いだして、結局カーナビ君に助けられて「なかやす酒販店」に到着。
綺麗な店内には、憧れの『勝駒』の新酒がずらりと並んでいる。店主の中安さんも突然の訪問で、館長を認識されない。館長が挨拶して、ようやく和んだ雰囲気で、『勝駒』をはじめ普段なかなか入手できないお酒を、
?酒させてもらいながら館長は仕入れに余念がない。12月に蔵入り?
その後、近況を報告し合われる中で、館長がみゅーじあむ開館十周年記念イベントで出来るだけ多くの蔵の大吟醸の酒粕をブレンドした粕汁を作る話をすると、『勝駒』蔵元とは同級生の間柄の中安さんは、さっそく電話してくださり、酒蔵に行けばもらえるように手配してもらえた。 予定外の三度目の「清都酒造場」訪問、まさに酒販店を思わす店構え。中に入ると蔵元の清都さんがマスク姿で出てこられた。花粉症で苦しんでおられる様子。
蔵の近況を館長が訪ねると、「今年の造りは、いつもより早く12月から杜氏らが来てくれています。」という。読者は奇異に思われるかも知れませんが、この蔵の能登杜氏・川原康義さんは同じ富山の滑川市の蔵と掛け持ちをされている。例年は年が替わって蔵入りされるのであるが、この不況では先の蔵はあまり造る必要がないようで、1ヶ月繰り上げて来てもらえたらしい。「まだおられるのですか?」と館長が訪ねると「4月末までおってもらおうと思っています」という返事。さすがに人気の酒蔵。
帰阪の時間も迫ってきているので、蔵見学を断念して、一袋の大吟醸粕をいただき、帰路につこうとしたが、高速の入口を記憶していない。館長の感をたよりに無事高速に乗れたが、後で分かったことだが、賢いカーナビ君にはメモリー機能があって、ポイントをマークできるのである。
どうにか8時過ぎには高槻に館長を送り届けて、「なかやす酒販」のわずかしか残っていなかった『勝駒』純米吟醸生酒を、自宅でゆっくり心ゆくまで味わっている。まさに高槻から高岡まで行って良かったと思えるひととき。
これはめちゃ旨ですが、みゅ〜じあむには『勝駒』の大吟醸と純米生酒しかありません。飲んだことのない方はお早めに・・・。ええ?大吟醸はもう売り切れですって!
館長から一言
10年のお付き合い有難うございました。お陰様で4月13日で10周年を迎えさせて頂きます。
5月5・6日は「高槻ジャズ・ストリート」が今年も開催されます。私も実行委員になって張り切っています。どうぞ、家族・友人を誘われて遊びに来てください。全会場無料公演で、昨年は7万人が来られています。
一口コラム
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友人から以下の通りの感動的なメールを受信しましたので、転載させていただきます。(羅府の庄助 )
:*:★゜・*。*・゜☆゜'・:*.。*:・'゜★゜'・*:.:*: ☆゜
『感動メールお裾分け』
佐藤祐司です。私が参加しているMLでいいお話が流れていましたので、みなさんに感動メールお裾分けです。
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【小さな歴史の物語】
エルトゥールル号の遭難 ?生命の光から?
和歌山県の南端に大島がある。その東には灯台がある。明治三年(1870年)にできた樫野崎灯台。今も断崖の上に立っている。
びゅわーんびゅわーん、猛烈な風が灯台を打つ。
どどどーんどどどーん、波が激しく断崖を打つ。
台風が大島を襲った。明治二十三年九月十六日の夜であった。午後九時ごろ、どどかーんと、風と波をつんざいて、真っ暗な海のほうから音がした。
灯台守(通信技手)ははっきりとその爆発音を聞いた。
「何か大変なことが起こらなければいいが」灯台守は胸騒ぎした。 しかし、風と、岩に打ちつける波の音以外は、 もう、何も聞こえなかった。
このとき、台風で進退の自由を失った木造軍艦が、灯台のほうに押し流されてきた。全長七十六メートルもある船。しかし、まるで板切れのように、風と波の力でどんどん近づいてくる。
あぶない!灯台のある断崖の下は「魔の船甲羅」と呼ばれていて、海面には岩がにょきにょき出ている。
ぐうぐうわーん、ばりばり、ばりばりばり。船は真っ二つに裂けた。その瞬間、エンジンに海水が入り、大爆発が起きた。この爆発音を灯台守が聞いたのだった。
乗組員全員が;海に放り出され、波にさらわれた。またある者は自ら脱出した。真っ暗な荒れ狂う海。
どうすることもできない。波に運ばれるままだった。そして、岩にたたきつけられた。
一人の水兵が、海に放り出された。大波にさらわれて、岩にぶつかった。意識を失い、岩場に打ち上げられた。
「息子よ、起きなさい」懐かしい母が耳元で囁いているようだった。「お母さん」という自分の声で意識がもどった。真っ暗な中で、灯台の光が見えた。
「あそこに行けば、人がいるに違いない」そう思うと、急に力が湧いてきた。四十メートルほどの崖をよじ登り、ようやく灯台にたどり着いたのだった。
灯台守はこの人を見て驚いた。服がもぎ取られ、ほとんど裸同然であった。顔から血が流れ、全身は傷だらけ、ところどころ真っ黒にはれあがっていた。灯台守は、この人が海で遭難したことはすぐわかった。
「この台風の中、岩にぶち当たって、よく助かったものだ」と感嘆した。
「あなたのお国はどこですか」「・・・・・・」言葉が通じなかった。
それで「万国信号音」を見せて、初めてこの人はトルコ人であること、船はトルコ軍艦であることを知った。
また、振りで、多くの乗組員が海に投げ出されたことがわかった。
「この乗組員たちを救うには人手が要る」傷ついた水兵に応急手当てをしながら、灯台守はそう考えた。
「樫野の人たちに知らせよう」灯台からいちばん近い、樫野の村に向かって駆けだした。電灯もない真っ暗な夜道。人が一人やっと通れる道。灯台守は樫野の人たちに急を告げた。
灯台にもどると、十人ほどのトルコ人がいた。全員傷だらけであった。助けを求めて、みんな崖をよじ登ってきたのだった。
この当時、樫野には五十軒ばかりの家があった。船が遭難したとの知らせを聞いた男たちは、総出で岩場の海岸に下りた。
だんだん空が白んでくると、海面にはおびただしい船の破片と遺体が見えた。目をそむけたくなる光景であった。
村の男たちは泣いた。遠い外国から来て、日本で死んでいく。男たちは胸が張り裂けそうになった。
「一人でも多く救ってあげたい」しかし、大多数は動かなかった。
一人の男が叫ぶ。「息があるぞ!」だが触ってみると、ほとんど体温を感じない。村の男たちは、自分たちも裸になって、乗組員を抱き起こした。自分の体温で彼らを温めはじめた。
「死ぬな!」「元気を出せ!」「生きるんだ!」村の男たちは、我を忘れて温めていた。
次々に乗組員の意識がもどった。船に乗っていた人は六百人余り。そして、助かった人は六十九名。
この船の名はエルトゥールル号である。助かった人々は、樫野の小さいお寺と小学校に収容された。
当時は、電気、水道、ガス、電話などはもちろんなかった。井戸もなく、水は雨水を利用した。サツマイモやみかんがとれた。漁をしてとれた魚を、対岸の町、串本で売ってお米に換える貧しい生活だ。ただ各家庭では、にわとりを飼っていて、非常食として備えていた。
このような村落に、六十九名もの外国人が収容されたのだ。島の人たちは、生まれて初めて見る外国人を、どんなことをしても、助けてあげたかった。だが、どんどん蓄えが無くなっていく。ついに食料が尽きた。台風で漁ができなかったからである。
「もう食べさせてあげるものがない」「どうしよう!」一人の婦人が言う。「にわとりが残っている」「でも、これを食べてしまったら・・・・・」「お天とうさまが、守ってくださるよ」女たちはそう語りながら、最後に残ったにわとりを料理して、トルコの人に食べさせた。
こうして、トルコの人たちは、一命を取り留めたのであった。また、大島の人たちは、遺体を引き上げて、丁重に葬った。
このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇に言上された。
明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。
さらに礼を尽くし、生存者全員を軍艦「比叡」「金剛」に乗せて、トルコに送還なされた。
このことは、日本じゅうに大きな衝撃を与えた。日本全国から弔慰金が寄せられ、トルコの遭難者家族に届けられた。
次のような後日物語がある。
イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事である。イラクのサダム・フセインが、
「今から四十八時間後に、イランの上空を飛ぶすべて の飛行機を撃ち落とす」と、無茶苦茶なことを世界に向けて発信した。
日本からは企業の人たちやその家族が、イランに住んでいた。その日本人たちは、あわててテヘラン空港に向かった。しかし、どの飛行機も満席で乗ることができなかった。
世界各国は自国の救援機を出して、救出していた。日本政府は素早い決定ができなかった。空港にいた日本人はパニック状態になっていた。
そこに、二機の飛行機が到着した。トルコ航空の飛行機であった。日本人二百十五名全員を乗せて、
成田に向けて飛び立った。タイムリミットの一時間十五分前であった。
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知らなかった。
前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。今の日本人が知らないだけです。
それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」
文・のぶひろ としもり
以上、エルトゥールル号の話は111年前の真実で、16年前のイラン・イラク戦争時には、多くの日本人がトルコの人によって救われました。決して、多くに知られてはいない真実あなたはどう思いましたか?
辛いニュースが多い世の中に、ほんの少しやさしさを取り戻せる、この『小さな歴史の物語』が、
また、あなたに何かを思い出させてくれることを・・・・
羅府の庄助
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昨年7月発行の雑貨屋269号で紹介した古市さんの講演を聴く事ができ大変感動しました。
古市忠夫さんにご興味がある方のために本の紹介しておきます。還暦ルーキー(著者 平山譲 講談社)、60歳からのティーショット(NHK出版) ビジネスジャンプという雑誌?に4月26日から漫画で還暦ルーキーが連載されるそうです。
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Zakkaya Weekly No.307
雑貨屋 店主 大西良衛
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