Zakkaya Weekly No.267

Ryo Onishi             6/25/2001

雑貨屋のひとり言

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さくらの独り言

川 柳 & コ ン ト

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マキちゃんの健康のお話

一口コラム

あっこのおいしいロサンゼルス

健康の方程式

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雑貨屋のひとり言

雑貨屋ウィークリー267号をお届けします。発行する前に、「雑貨屋のひとりごと」と称して、私の日記みたいなことを書かせていただいていますが、いつも何を書こうかと考えてしまいます。雑貨屋を支えてくださっている執筆者の皆さんの記事が送られてくるたびに内容の濃さに感心させられながら、編集をしています。ときどき読者の方から「雑貨屋を毎週発行するって大変でしょう?」と聞かれますが、私自身は送られてくる記事を編集するだけですのでそんなに大変なことはありません。やはり何といっても記事を書いてくださっているレギュラー執筆者のすごさだと思います。感謝しています。そしてこの雑貨屋を楽しみにしてくださっている読者がいるので、こうしてまた編集をしています。(R.O.)

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小泉内閣メルマガ

 6月14日、小泉内閣の「メルマガ(メール・マガジン)」が創刊しました。先の小泉首相の施政方針演説に盛り込まれた公約の履行第1号とも言われています。

この「小泉内閣メルマガ」の登録者数は、受け付けが始まった9日から連日、申し込みが殺到し、創刊した14日夕方にはもう100万件を突破したとのことです。高支持率に支えられる小泉首相への期待感がここからもうかがうことが出来ます。

私も14日に登録したので、もしかしたら私が100万人目の登録者だったのではなかろうかと密かに思っています。 

 “発信元に個別に登録する”単独の読み物としては「世界最大級」(内閣広報室)という人気に安倍晋三編集長(官房副長官)はギネスブックへの申請にも意欲を見せているとのこと、たいしたものです。

 でも、メルマガと言えば、我らが「雑貨屋ウイークリー」がはるかに先輩です。こちらは既に5年前に創刊しており、これまで、ただの一度も休むことなく発行し続けています。

 今でこそ、インターネット、E-Mailなどのツールは日常生活の一端として定着していますが、5年前はまだ“パソコン・オタク”の趣味かオアソビでしかなかった頃からのメルマガであり、改めて店主(オーナー)の大西さんの先見性に敬服しているところです。

 雑貨屋と言えば、昨年5月12日にヒット・カウンターを設置してから一年余りで訪問者数(ヒット数)は一万を越えました。

 「小泉内閣メルマガ」が登録者数で“ギネス級”であるならば、我らが「雑貨屋ウイークリー」だってN.P.O.(非営利組織)5年間無休マガジンということで、“ギネス級”と自負しても良いのではないでしょうか。

 先月(5月)末、日本滞在中にホテルの部屋で見たテレビの番組に「報道2001、ゴーン&中曽根康弘、V字回復の秘策・・、日本再生の道筋を問う」(フジテレビ、2001年5月27日放映)と言うのがあり、観ました。

 前半は、現ニッサン自動車社長のカルロス・ゴーン氏が出演し、彼が経営危機のニッサン自動車に派遣され、同社史上最悪の赤字決算を一年で過去最高の経常利益(2001年3月期、3,311億円)にまでにした、彼の経営についてのインタービューでした。

 「私が日本へ来た時、私の鞄(カバン)の中にはニッサンの再生に関する処方箋は何も入っていませんでした」と彼は言う。日本へ着いてから、先ずこの会社の現実を確実に把握し、分析し、リバイバル・プランを作成し、全従業員へ徹底する。それも具体的に、一人一人が納得できるまで行う。自分が使う主要な言葉(単語)の定義を明確にし、齟齬のないようにする(例えば、コミットメント〔commitment〕とは“必達目標”と言うことであり、その目標が達成できない場合は“責任をとらなければならない”ものである)

 そして彼は全従業員の10% にあたる 14,200人を削減し、主要3工場を閉鎖、系列部品工場を 

1,145社から 810社にまでに減らす等のリストラを断行したのだそうです。まさに“コストカッター”そのものだったと言えるでしょう。

 その結果として、会社は危機を脱し、その上、過去最高の計上利益を計上したのですから誰もゴーン氏には文句はつけられません。“結果良ければ、すべて良し”ということでしょう。

 この結果に対し、一部日本人の中には「あれだけの荒療治を断行すれば、利益が出るのは当然だ。何もルノーからゴーンさんを呼んでこなくったって、日本人でも出来たさ!」という声もあるそうです。

 ところが柵(しがらみ)に囚われている日本人には、“わかっていても出来なかった”ことは事実であり、ここはゴーン氏に素直に敬意を表すべきなのでしょう。

 日本の改革を掲げる小泉内閣がこれから断行しようとしているのは、ニッサンでゴーン氏が断行した荒療治と同じであり、その成否は、ひとえに我々国民が当分の間“苦い薬と、手術の痛み”を覚悟し、耐えるかどうかにかかっているといっても過言ではなさそうです。

 小泉内閣の「メルマガ(メール・マガジン)」が今の「雑貨屋ウイークリー」同様、5年間、休まず継続発刊されるよう期待したいと思います(尤も、その頃の「雑貨やウイークリー」は 10周年になっていましょうが)

河合将介( skawai@earthlink.net )

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さくらの独り言 紫陽花

「ほらほら観て、紫陽花よ」っと、タクシーの中から姉が指差した花屋の店頭には、青紫色のてまり紫陽花が並んでいた。「紫陽花が観たい」と寝言の様に言い続けた私への、姉のいたわりだった。その瞬間姉と私は、遠き幼いあの頃へとワープした。この季節(じき)祖母(母の母)の家の玄関わきには、梅雨の雫を一心に喜びながら咲く見事な虹色の『てまり紫陽花』があった。大きな深緑の紫陽花の葉には、洪水に流されまいと不思議な力で静かに滑るカタツムリたちも居た。物心ついた私たちに四季おりおりの草花や果実を、しかも日常生活の中へ自然体で贈ってくれた祖母は、まさしく我家のレイチェル・カーソンだったと感謝する。

レイチェル・カーソンは、その著書「センス・オブ・ワンダー」(新潮社)の中(50頁)でこう述べている。『人間を超えた存在を認識し、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることは決してないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配事に出遭ったとしても、必ずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけ出すことができると信じます。地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をもち続けることができるでしょう。』レイチェルの様な有名学者でも作家でもない、いち婦人の祖母だが、生涯忘れられないほど美しい紫陽花の神秘性を私たちに刻んでくれた。多分、レイチェルがロジャーにそうであった様(さま)に、限りなく近い存在として。

日本で発掘された化石によると「紫陽花」は、数百万年前に自生し、言の葉としては万葉集に初登場する。しかし紫陽花は、「色が変わるから無節操」とか「枯れても花が散らず、潔ぎよさにかけだらしない」と不人気で、和歌に詠まれること少ない花だった。従ってその時代では注目を集めることもなく、梅雨を静かに彩る「山紫陽花」だった。その後江戸時代に人気挽回、そして中国を経由してヨーロッパへ旅をした紫陽花は「東洋のバラ」とその魅力を評価され、鉢植用の品種改良開発も進んだらしい。現在世界中には40数種の仲間が、なんと品種数は1000種にもおよび、ここ日本には20種近い紫陽花が自生していると読んだ(安田町虹の会調査)。こんにち紫陽花愛好会や戦後始まった紫陽花名所は、品種改良や自然交配による新品種育成になお力を注いでいると聞く。

1823年に長崎上陸した医師で自然科学者でもあったあのシーボルトも、紫陽花に心奪われた一人という。そしてこんな私も、紫陽花に魅せられて雨を喜ぶ。「くちなし」のかすかなかほり漂う中で愛でる紫陽花の、その青の彩りに祖母の姿が重なり、雨の恵みを感謝する。思わずクレヨンでも採り出し、自分の心に描きたい衝動に駆られる。私は日本紫陽花の中でも特に、深い青色の「てまり紫陽花」、青いがく花で囲まれる「ブルースカイ紫陽花」、そしてシーボルトを魅了したという薄ピンクで可憐な「シチダンカ紫陽花」(別名幻の紫陽花)が大好きだ。雨雫が私お気に入りの大きな傘に楽を奏でる中、下町は佃、ご近所の紫陽花を愛でながら祖母のうしろ姿を探している、水も滴るさくらの独り言!

sakuratsubomi@earthlink.net

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マキちゃんの健康のお話

今回はおやすみです。

蒔田 龍人

office MAKITA

mail@makita1.com

www.makita1.com

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川 柳 & コ ン ト (東京・成近)

 

( 川 柳 )

 

貧乏を 自称笑顔を 身にまとう

  暗証番号よしと 機械に言われてる

  悲しみも詰めて健気に弾む毬

  ベテランと言われ 古いとも言われ

  公園で 一息いれる 棒グラフ

 

( 時事コント )

 

「改革の風」

 

追い風 ―― 総論、 乱気流 ―― 各論

 

「改革へ骨太の方針」

骨粗鬆症が心配   ―― 国民

 

「中国の報復関税」

話が通じない  ――携帯電話

(東京・成近) E-mail kawaiai@mx2.ttcn.ne.jp

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あっこのおいしいロサンゼルス――満腹したら食休みI

「食する」そのA

人間は生きている限り食べ続けなければならない、切なくも悲しく、その一方で至福の喜びを与えてくれる「食する」という行為。私の中に同居する複雑な思い。

辺見庸著「もの食う人びと」第一章、第一話はいきなり私にパンチを見舞ってくれました。著者は長年の飽食に慣れ、贅沢にたるみ、麻痺した舌と胃袋を異境に運びぎりぎりといじめてみたくなったと、ひもじさと紛争の続く地域へ旅に出て行きます。人びとは今どこで何をどんな顔して食っているのか。そこで暮らす人びとと同じものをできるだけいっしょに食べかつ飲むことを自身に課し、舌と胃に最初のきついスパークリングを受けさせようとバングラディッシュの首都ダッカへ向かったのでした。

本の前書きの様子からいささかの覚悟はしていたものの、そのダッカでの食の風景は著者の言うスパークリングどころか私にはいきなりのパンチそのものでした。食べるものがないというひもじさを知らない私にはとても信じられない愕然とする事実がそこに綴ってありました。いきなりパンチを食らってもうギブアップしたくなるほどの食の風景。

世界最貧国の一つバングラディッシュ、その首都ダッカ。「ダッカには金持ちが残した食事の市場がある。残飯市場だ。卸売り小売もしている」残飯が人間の食料として売られている事実。その市場には卸売りと小売が存在し鮮度が落ちるに従ってその売値は安くなっていく。一皿が新品の3分の1の値段でたらふく食べられる残飯。主な消費者はスラムの住人か20万人以上といわれるリキシャの運転手ら。さらに腐敗しかかったそれを残せば横からビーフジャーキーみたいな子供の腕が皿を奪っていく。一旦食べ物を得ると目が据わってしまい、わき目も振らず食べ続ける子供たち。

今の私は残飯という言葉さえ久しく聞いたことがありません。アメリカや日本では当たり前のように捨てられている残りもの。新鮮でないというだけで時間切れで処分されるもの。富んだ国でも残飯をあさる人はいます。でもそれが流通経路に乗って売られ、お金の遣り取りがそこにあり、歯形のついた肉や饐えたご飯が当たり前の食事のように並べ売られている事実。そしてこれを買って食べる人びと。

ここは飽食の都市ロサンゼルス。おいしいものを食べ至福のひと時に浸りながらレストラン取材を続ける私。ここにダッカは存在しません。その裏側に存在する事実を知りながら目をつぶっているだけなのでしょうか。どこかでこのしっぺ返しを恐れながらも。

さっか あきこ akikosk@webjapan.com

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一口コラム

「コント、読み違い??」

(その94)“同音異義でチョット良い話(その2)”

 これまで、このコラムでご紹介した「魚が釣れず、つれない話」、「ドアが閉まらず、しまらない話」、「“こうがい”も“こうがい”」など、殆どはこのパターンと言っても良いでしょう。

 日本語の国語辞典を開いてみればわかりますが、日本語には、発音が同じで、意味の違う単語や言葉(同音異義語)がたくさんあります。例えば、広辞苑(第二版)で「こうえん」とひいてみると、口炎、口演、公宴、公園・・と、なんと27も並んでいます。

日本語には漢字というものがあるので、おなじ「こうえん」でも漢字で書けば区別が出来るので良いですが、日本語って本当にむつかしいですね。

 ――― 次号へ続く ―――

                          羅府の庄助

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編集後記

いつのまにか雑貨屋のサーバーには729のファイルや写真が溜まり、14メガバイト以上になりました。

バックナンバーは下記でご覧いただけますのでどうぞ。

http://www.ne.jp/asahi/zakkaya/weekly/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.267

雑貨屋 店主 大西良衛 zakkaya@news.email.ne.jp

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