Zakkaya Weekly No.207 Ryo Onishi 5/1/2000
日本はゴールデンウィークに入りました。なが〜い休みの会社もあります。でもたのしい休みってあっという間に過ぎるんですよねー、夏休みみたいに。
先週、会社の帰り、神戸駅で外国人らしいご夫婦に片言の日本語で話し掛けられました。彼らはインドネシアの方で3年前に日本に来て芦屋に住んでいるとのことでした。 話がはずみ芦屋まで各駅停車の電車に乗っていっしょに帰りました。久しぶりに英語を話せたことと、英語が役に立ったことをうれしく思いました。私との会話を大変喜んでくれ、家に私のワイフといっしょに来てくださいとビジネスカードと電話番号をくれました。ひょんなことからインドネシアの方と友達になれそうです。(R.O.)
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Mission San Juan Capistrano ロスアンゼルスからサンディエゴ方面に向かって一時間あまりのドライブの所にある古いスパニッシュ・ミッション(キリスト教伝道所)です。
カリフォルニアは、メキシコがスペインから独立する 1821年まではスペインの統治下にあり、メキシコ独立後はメキシコ領、そしてその後、アメリカ・メキシコ戦争の結果、1848年にアメリカに編入されました。
カリフォルニアには18世紀後半から19世紀初頭にかけて作られたスパニッシュ・ミッションが21ヶ所ありますが、ここはその7番目のものであり、1776年に設立されました。
現在ではカリフォルニアを代表する文化遺産・遺跡のひとつとなっているこのミッションも一時、個人の所有の時代もありましたが、1865年にリンカーン大統領によって再びカソリック教会に戻りました。リンカーン大統領により署名された書類が今でも敷地内のミュージアムに展示されています。
ミッションは回廊を持つ四角い建物群とその中の広い中庭(Central Courtyard)、及びその他に大きく分かれます。
回廊を持つ四角い建物群にはパドレ(司祭、聖職者)の宿舎、倉庫、キチン等、往時を偲ばせるものを見る事が出来ます。因みに、日本でかつてキリスト教の伝道師を『バテレン(伴天連)』と呼んだのはこの“パドレ(padre)に由来するのだと聞いた事があります。また、建物の一部は原住民の使用した道具類を展示したミュージアムにもなっています。
その他の場所では“グレート・ストーン・チャーチ”(1812年の地震で殆ど崩壊)と、このミッションのシンボルとも言える4つの“鐘”があり、歴史を感じさせるものと言えましょう。
(この4つの“鐘”は、1812年の地震までは“グレート・ストーン・チャーチ”の塔に設置されていたもだそうです)
建物裏の“Mission Industrial Area”という所には、カリフォルニア・ミッションで最初の溶鉱炉やアドーベ煉瓦(天日乾しの煉瓦)を作った跡などを見る事ができます。
ミッション設立当初の建物の多くはその後の地震などにより崩壊したものが多く、21世紀に貴重な遺産を引き継ぐべく、現在再建、補強、保守の活動が進行中です。
またこのミッションは毎年春を告げる3月19日に“つばめ”が戻ってくるという事でも有名です。
ミッションの正面入り口付近には、アメリカ原住民工芸品店(Trading Post)、ギフト・ショップ、アンティーク、レストラン街など軒を連ね、日本流に言えば、まさに「門前町」と言えそうな景観です。
Tel.:(949) 443- 2060 or (949) 248- 2047
開館日 : 毎日、但し Thanksgiving Day, Christmas Day, Good Friday(p.m.)は休み。
行き方は次の通り(Torrance方面よりの場合)
河合将介( skawai@earthlink.net )
さくらの独り言 「ク ン」
「アメリカに来てすぐの頃、クラスメイトのみんなが『ふあっちゃあね?、ふあっちゃあね?、』と言うの。でも全然解らなかったの。家に帰ってお母さんにきいても解らなかったの。」と話してくれた日本人小学生がいた。彼女がこの「ふあっちゃあね?」が ” What is your name ?” だと理解するのに、時を要しなかったことは言うまでもない。英語を理解する第1段階である。次は、相手に何かを英語で理解してもらうという第2段階がくる。さらに その次は、英語でモノ(者、物)について考えるということになる。
よく耳にする「相手の言ってることがわからない」には、大きくわけて2つのタイプがあると思う。1つは、自分が書けても読めても(意味を知っていても)とにかく聞き取れないというタイプ。この場合、慣れや訓練により修得していくことで解決の道は開ける。もう1つは、相手の言っている英語の単語を全く知らないから、聞き取れてもわからないというタイプ。これは語彙を増やすこと以外、道はない。英語が不得意な私が英語で苦労するのは、決まってこの2つが交差する時だ。
最近、気になる事のひとつに、”can”か“can’t”か、と聞き返されることがあった。自分の英語に関してはなるべく旦那には助けを求めない私だが、シブシブシブシブ旦那にきいてみた。彼の説明によれば、私たち日本人の頭の中では ”can”は「キャン」と3つの文字、“can’t”は「キャント」と4つのもじと考えてしまう。しかし(色々な説明があるが省略)、、、要するに”can”は日本語でちょっと鼻にかけた「クン」という2つ文字の言い方になるという。その時、未だにEastとYestの発音さえうまくできない自分の語学センスの低さを再認識する。そしてどうしてそんな私がこの米国に居るのだろうかと悲しくなる時もある。
結婚前は、それぞれの母国語を丁寧に優しく教え合えたのに、今は何を尋ねても直ぐに喧嘩になってしまう。だから次第にどちらともなく質問をしなくなり、地道な努力家で独学派である旦那の日本語は成長し、怠慢な私の英語は後退する。そんな私も旦那と喧嘩する時は英語になり、何故かいつもより上手く話せるらしい。要は、「くん」っと鏡の前で練習するより、何も考えずに自分の気持ちをそのまま話す方がいいのだということだろうか、、、と疑いながら「くん、くん」と、鼻にかけて口ずさむ、さくらの独り言。
川 柳 & コ ン ト (東京・成近)
( 川 柳 )
バイオなど知らぬタンポポ風が好き
よちよちの靴が跳ねてる水溜り
偏差値を忘れた時の母が好き
算数は苦手な子だが虫博士
いつか虹掴めと父の肩車
( コ ン ト )
「天才アイちゃん出産」(チンパンジー)
プレッシャーがかかるなあ −全国のアユム君
「改憲論議」
"憲法記念日"はなくさないで −レジャー業界
「叙勲」
渡る世間は鬼ばかりでない −橋田寿賀子
(東京・成近) E-mail
kawaiai@mx2.ttcn.ne.jp先日、ひょんなことから「そろばん」について、新しいことに気付きました。
話が少し長くなりますが、お付き合い下さい。
家内の親友のNさんが横須賀の病院に入院したので、家内は時どき見舞っています。
そのNさんを見舞いにサンディエゴに住むNさんの友人一家が来ることになりました。
Nさんの古くからの友人でお年寄りのおばあさんと、その娘夫婦と、孫で10歳のノア君の4人です。私も約20年前サンディエゴで彼らに会ったことがあるので、病院で会うことにし、その時ノア君にお土産を上げることにしました。
今は米国と日本の間の人と物の交流が日常的になっていますので、日本らしい物で、あまり人の気がつかなそうな品物をいろいろ探しました。
最終的に「そろばん」と「そろばんのテキスト」を贈ることにしましたが、今時は「そろばん」を習う人が少ないためか、テキストは有隣堂本店にもなく、出版元に注文して取り寄せなければなりません。それでは、サンディエゴの一家は帰国してしまいます。困って、電話帳で「そろばん塾」を探して電話しましたところ、親切な「そろばん塾」のご主人が本棚に一冊だけあった英語で書かれたテキストを郵送して下さいました。
Nさんの病院で、ノア君に「そろばん」と英文のテキスト「SOROBAN 」を渡すと、早速、玉をパチパチと動かして喜んでくれました。
さて、ここからが、私が「そろばん」について気付いた新しい事柄です。
この英文のテキスト「SOROBAN 」には、『「そろばん」の玉(bead)は、1の玉も、5の玉も、その置かれた場所で値(value )の有る無しが決まる。
すなわち、玉は「はり(英語で center bar )」に向かって動かされると値を持ち、「はり」から離れるように動かされると値を失う』と書いてあります。
「SOROBAN 」には、英文で次のように書かれています。
-How to Dispjay Numberes-
The values of counting beads are determind by their positions.
They obtain values when they are pushed toward the center bar and lose values when pushed away from the bar.
私は、これは言い換えると、「そろばん」のルールは簡単に、『「はり」に触っている玉は値を持ち、「はり」から離れた玉は値を失う』 であると言えると思いました。
(1の玉では、繋がった複数の玉の端の玉が「はり」に触っていると値を持ちます)
『玉が「はり」に触っているか、離れているかで値の有る無しが決まる』という考え方は、私には新鮮に思えました。(私だけが知らなかったことかも知れませんが)
この考え方で「そろばん」を眺めると、「はり」に触っている玉たちが(値を持って)生き生きしているように見え、「はり」に触っていない玉たちはお休みしているように見えました。
日本の小学生向けの、「しょうがくじゅざん 上」では、玉を指で動かすことを、それぞれの場合に別けて、次のように説明しています。
そろばんに、はじめてかずをあらわすことを、「おく」と いいます。
おいてあるかずをけすことを、「はらう」といいます。
そろばんでは、かずをたすことを、「入れる」ともいいます。
そろばんでは、かずをひくことを、「とる」ともいいます。
私は、玉を動かす指の単純な動作を、「おく」「入れる」、「はらう」「とる」という、いろいろな言葉を使い分けて説明するのは、初めて「そろばん」を習う子供たちの頭を混乱させるのではないかと思いました。
玉を「はり」に「触らせる」か、「離すか」かの動作で説明したらどうかな、と独り思案しています。
ご健康を祈ります。 飛田 良
愛は唯一、理性的な行為である 西尾 誠一郎
別れが来た。 空港で彼女とかたく抱き合う。 彼女の目にみるみる涙があふれてきた。
まるで映画の1シーンを見るような光景が4月24日、トロントの空港で私の目の前で起こった。 その女性と抱き合っている相手はナント私。 私の目も涙で潤む。
私はその瞬間、公文会長が何故彼女を世界一の公文の指導者というのかわかったような気がした。
私と妻と他5人の公文の指導者達はイースター休暇を利用してカナダのトロントにある岸辺先生という方の教室見学に向かった。
彼女はイースターの貴重な3日間の休みを私達のために惜しげもなく使ってくれた。
「生徒の成績を見ながら話した方がいいでしょう」と土曜日教室として利用している教会の一室でお弁当を食べながら私達の細かい質問にも丁寧に具体的に答えてくれた。
すること全てに誠意があふれていた。
彼女は最も忙しい時は週に90時間、公文のために使うという。 「先生達なら分かってくれるでしょう。 私は子供達の成績表片手にその一人ひとりの生徒の事を思い描くのが無上に楽しいんです。 仕事というよりも趣味の世界なんですよ。 週90時間と口を滑らせたばっかりに、いろんな誤解を受けました。 こちら(海外)の先生方は経営効率に重きを置きますから、夜遅くまで楽しみながら宿題のセットをしている私の気持ちを理解してもらえないのです。」
私はスポーツ・コラムニストとして活躍するミッチ・アルボムの「モリー先生との火曜日」という本を思い出した。 彼が16年ぶりに再会したモリー先生は難病ALS(筋萎縮性側索硬化症、別名ルー・ゲーリック病)に侵されていた。 毎週火曜日に死の床で行われる2人だけの授業のテーマは「人生の意味」について。
その第1回の授業の中にこんなくだりがある。 私が一番心うたれた個所だ。
― モリ−はにっこり微笑を浮かべる。 「ミッチ、さっき君、私が知りもしない人のことを気にかけてるって言ったけれど、この病気のお陰で一番教えられている事は何か、教えてやろうか?」
何でしょう?
「人生で一番大事なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことだよ」 声がささやくように細くなった。
「愛を受け入れる。 自分は愛されるに値しないとか、愛を受け入れれば軟弱になると思われがちだけれども、レヴァインという賢人が言ってるよ、 “愛は唯一、理性的な行為である”と。
モリーはこの言葉を、心を込めて一語一語確かめるように反復した。
“愛は唯一、理性的な行為である”
訳者の別宮さんのあとがきにこんな部分がある。
「 もちろんモリーと同じような生き方、死に方は簡単にはできないだろう。 日常的に愛を実践する事は難しいだろう。 しかし、Spiritualなものを少しでも取り戻す事ができれば……。 毎日おまじないのように「愛」とか「こころ」とかを口にするだけでも、世の中ずいぶん変わってきそうな気がする。
最後に一つ、大事なこと。 愛とは決してtouchy-feelyなヤワな「たわけた」ものではない。 人がよく考えるようなパッと燃えては消える感傷的な、起伏の激しいものでない。
“愛は唯一、理性的な行為である”とモリーはレヴァインの言葉を借りて言う。 もう一度、曾野さんの文を引こう。
― 愛せない相手に対しても、敵に対しても、理性によって愛しているのと同じように行動せよと命じる……それだけがむしろ本当の愛……という思想さえある。
3月28日に始まった腰痛は、良くはなってはいるものの、私にまだ、その存在を絶えず意識させる。
トロントに3泊4日で出かける私に下の息子が言う。 「父さん、父さんは自分では大丈夫だと思っているかもしれないけど、母さんやおばあちゃんはそう思っていないよ。
2人を安心させるためにも、行く前に血液検査だけでも受けておいたら」
自主研究会の用事でサンノゼに飛ぶ私に、妻は言う「あなたは仕事と自分の健康のどっちが大切なの」
息子の忠告にしたがって血液検査を受けておいて良かった。
妻に答える。 「僕は今、心からこの病気に感謝している。 この病気のお陰で命に限りがある事を絶えず意識する事ができる。 どうしても、もっともっといい教室にしたいと
思っている。 僕が納得する教室を作るまで僕は死なない。 だからこの仕事が僕に元気を与えてくれるんだよ。」
私は今、絶えず、詩人レヴァインの“愛は唯一、理性的な行為である”を考えている。
愛をいかに外に示し、内に受け入れるかと。wtkumon@flash.net
一口コラム
「コント、読み違い??」
(その41)心 の 金 銭いつも貴方がお書きになる文章は私の“心の金銭”にふれる“甘迷”すべきものです。
一度貴方に“お愛い”してお話をうかがえたらとてもしあわせです。
私は“金銭”感覚にたけ、なおかつ“甘く、迷う”ような文章など書いた覚えはないけどネ。その上“愛して”いただくなんて、なんと光栄なことでしょう。
―― 羅府の庄助さん ――
車を運転していても、街を歩いていても、自転車に乗っている人には目に余るものがあります。大変危険なことをしていることに気がついていないですね。困ったものです。私も自転車に乗るとそうなるのかなあと考えてしまいます 雑貨屋のバックナンバーは下記でご覧いただけますのでどうぞ。
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Zakkaya Weekly No.207
雑貨屋 店主 大西良衛
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