龍翁余話(593)「西郷隆盛と勝海舟」
9月24日は西郷隆盛の命日である。1877年(明治10年)2月に始まった西郷隆盛を盟主とする『西南戦争』(西南の役=熊本・大分・宮崎・鹿児島を戦場とし官軍(明治新政府軍)と戦った士族による反乱、日本最後の内戦)で西郷軍は官軍に押され同年9月24日、最後の激戦地・鹿児島の城山に集結、隆盛は側近の桐野利秋(旧名・中村半次郎、最終階級は陸軍少将、『西南戦争』では西郷隆盛の下で実質的な司令官を務める)に「もう、ここらでよかろう、世話になった」と言い遺し自刃、享年49。(桐野も隆盛の最期を見届けた後、官軍に斬り込み戦死、享年40)。今年(2019年)は『西南戦争』終結(西郷隆盛没)後142年目にあたる。
翁、西郷隆盛については格別の思いがある。実は翁の曾祖父(翁の母の祖父=大分・中津藩士)が『西南戦争』で西郷軍に加わり官軍と戦い、最後は鹿児島の城山にて同じ中津藩の同輩と刃を交わして(刺しちがえて)果て、今も(西郷隆盛と同じ)城山に眠っている。翁が幼少の頃から、その話をしてくれたのが祖父である。その祖父は、(義をもって)西郷隆盛に心服し最期を共にした父親(翁の曾祖父)を敬愛してやまなかった“サムライ気質”の人だった(と、翁は記憶している)。その祖父が、翁が3歳児の頃から“西郷隆盛論”を吹き込んでくれた。つまり龍少年は祖父によって“西郷ファン”にさせられた訳だ。お蔭で翁、少年時代から(西郷が学んだと言われている儒学)孔子の五経『仁・智・礼・義・信』の言葉に接することが出来、成人してからは西郷遺訓『天を相手として己れを尽くし、人を咎めず、我が至誠(まこと)の足らざるを尋ぬべし』を座右の銘としている。
西郷隆盛については今更多くを語るまでもないが(旧知の間柄で互いに人間の器を認め合っていた)幕臣・勝海舟の要請を聴き入れ“江戸城の無血開城”を敢行し、その後の東京の基盤を担保した実績は、日本近代史上、最たる偉業であると言われている。そして彼は、明治の元勲であり、新政府においては陸軍大将、参議を務めた。ここで翁、(西郷が参議を辞めて鹿児島に帰ることになった)“征韓論”について、どうしても一言物申しておきたい。“征韓論”を唱えたのは江藤新平(佐賀藩)、副島種臣(佐賀藩)、板垣退助(土佐藩)、後藤象二郎(土佐藩)、それに西郷隆盛であった。だが西郷は、板垣や江藤らとは考え方が少し違って“朝鮮への出兵”にはむしろ反対、まず自分が朝鮮に赴き「明治新政府の説明、朝鮮独立の必要性、日本と朝鮮の友好交流の重要性」を説く、と言う、いわば“遣韓論”だった。西郷の狙いは、将来の“日本の国防”にあった。当時から強国ロシアの南下や中国の陰謀(いずれも朝鮮半島への侵略)が懸念されていた。そうなると日本の安全が脅かされる。実際、西郷没後(17年後)1894年7月に、朝鮮半島の権益を巡る争いで“日清戦争”が起きた(〜翌年4月)。更に西郷没後(27年後)1905年9月に朝鮮半島と満州の権益を巡る争いで“日露戦争”が起きた(〜翌年5月)。西郷は大きな目で10年後、20年後、いや100年後の日本の在りようを見据えていたかに思える。(それも海舟の影響だろうか)ともあれ、西郷の“遣韓論”は岩倉具視(公家・明治政府の長老)、大久保利通(薩摩藩、かつては西郷の朋友)、木戸孝充(長州・旧名は桂小五郎)ら(反西郷派)によって、いつの間にか武力による朝鮮征服論(“征韓論”)になってしまった。自分の本意を理解しようとしなかった岩倉・大久保らに嫌気がさした西郷はさっさと参議を辞め鹿児島へ帰って行った(1873年10月「明治6年の政変」)。それから4年後に『西南戦争』が起きる。
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さて、このほど大田区洗足池(写真左)の近くに『勝海舟記念館』(写真右)が開館した。中原街道沿い(翁のマンションから約3q)にある洗足池の景観に魅せられた海舟は、池のほとりに別邸「洗足軒」を建てた。幕臣でありながら徳川幕府に見切りをつけ“日本再建”を論じた勝海舟のスケールの大きさに心酔した西郷隆盛は「どれだけ知略これあるやら知れぬ大人物」と記した手紙を朋友・大久保利通へ送っている。“江戸城の無血開城”後、西郷は度々ここ「洗足軒」に足を運び、海舟との親交を深めた。『西南戦争』での西郷の死を悼んだ海舟は「洗足軒」の敷地内に「西郷隆盛(南洲)留魂詩碑」を建立した。
翁、先日『勝海舟記念館』を訪ねた際、「勝海舟夫妻のお墓」(写真左)と隣接の「(南洲)留魂詩碑」(写真右)を参拝した。「留魂詩」は、西郷が1862年7月に沖永良部島へ(1858年12月の奄美大島に次ぐ)2度目の流刑の際に詠んだ漢詩『獄中感有り』である。翁は、その結びの文【生死何ぞ疑わん 天の付与なるを 願わくば魂魄(こんぱく)を留めて皇城を護らん】が好きだ。「たとえ自分の身がどうなろうとも国を守り抜くため魂だけは残しておきたい」まだ、天下に名を馳せる以前の西郷の心境(信念)であったことに翁は瞠目する。国家や国民を守ることを二の次にしたまま、ひたすら金バッジにしがみついている政治家たちは、この西郷の「留魂詩」(国を思う魂)を、どのように心に留めるだろうか?
・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |