龍翁余話(538)「地蔵盆」
翁、昨年11月にマイカーを手放したが、それまで(若い時から)郊外や地方へドライブをするのが趣味の1つで、特別に急ぎの用事でない限り、町や村の中心や境界、三叉路などに祀られている石像や石碑(道祖神)を見かけると車を道路の脇に停め、ちょこっと合掌したり写真を撮ったりするのが好きだった。道祖神とは本来、その地域の平穏・五穀豊穣・子孫繁栄など(集落の)守護神であるが、翁の場合は格別に深い信仰心があったわけではなく、ただ、あのお地蔵さんの(異なる)ユニークなお顔を眺めると、一瞬、気持ちが和みドライブの疲れがとれる、そして(その後の)ドライブの安全を祈願する、いわば翁にとっての道祖神(お地蔵様)は、自分の安らぎと交通安全を求めるだけの対象神であった。
マイカーを手放して以後、散歩の機会が多くなった。車を走らせている時は気付かなかったが、歩いているといろいろ新しい発見があるものだ。お地蔵様もその1つ。「あ、こんな所に辻地蔵が」と気付いて合掌する。神仏のご加護にしがみつく訳ではないのだが、敢えて言えば、自分の健康を祈願するだけ。神仏のご加護とは“善行ある衆生(しゅじょう=生きとし生けるもの)に対して神仏の力が加わり護ってくれる”という意味だそうだが、翁は取り立てて悪行も善行も無く(少しは、あったかも知れないが思い出せない)、それほど信心深くもないので、いくらお地蔵様に会釈しても、たいしてご加護が受けられるとは思わない。が、手を合わせるだけでも清々しさを感じる、その自己満足だけでいいのだ。余談だが、翁は普段でも“自己満足礼拝”を行なっている。我が家には仏壇は無く、ただ、飾り棚に翁の父母や兄、叔母など近縁者の遺影を飾って普段(在京時)は1日1回、お茶(時には水)と焼香だけで(小声で)「南無・・・・」を数回となえる。春・秋の彼岸、盂蘭盆会(うらぼんえ=お盆)、それに故人のそれぞれの祥月命日には季節の花・果物・菓子をお供えし焼香して、それなりに供養の真似事をするのが翁流の仏事。
さて、8月23日〜24日は『地蔵盆』。子どもの無病息災や地域の平穏を願う“地蔵菩薩”(お地蔵様)のお祭りである。前述のように、散歩する機会が多くなった最近、翁が住む西五反田界隈にも幾つかのお地蔵様を見つけた。中でも近くの旧中原街道沿いに祀られている3か所のお地蔵様とは“顔馴染み”だ。1つは『子別れ地蔵』、あと2つは、その名も『旧中原街道供養塔群』(1)と(2)――『地蔵盆』の1週間前、お盆の“送り火”(16日)、飾り棚の遺影に冷茶を供え供養してから陽が沈んだ夕方、ふと思い立って(前述の)旧中原街道のお地蔵様参り(散歩)に出かけた。
『子別れ地蔵』は旧中原街道(荏原出入り口)と桐ケ谷通りが交差する角に祀られている。説明板によると、1727年(享保12年)(8代将軍・吉宗の治世)に建立、長い間の風雪にさらされ、しかも関東大震災や戦災で被災したので損傷が激しく、お顔も少し崩れている。(写真左)このお地蔵様が何故『子別れ地蔵』と呼ばれるようになったのか――お地蔵様から桐ケ谷通りを10分ほど行くと有名な『桐ケ谷斎場』がある(3代将軍・家光の時代に創設された)。江戸期には、親より先に子が亡くなった場合、親は火葬場まで付き添って行けず、当然、骨を拾うことも出来なかった(時代があった)。そこで親は、このお地蔵様の前で我が子の亡骸(なきがら)に別れを告げなければならなかった。故に『子別れ地蔵』と名付けられた、そうだ。悲しい話である。
『子別れ地蔵』から旧中原街道を西へ50m行った所に『旧中原街道供養塔群(1)』がある(写真左から2番目)。別称『寒念仏供養塔』と言う。『寒念仏』(かんねんぶつ=僧が寒の30日間、夜明けに山野に出て声高く念仏を唱え修行すること)。4基の供養塔のうち中央の地蔵菩薩の高さは1.9mに及ぶ。いずれも江戸中期の創建と伝えられている。そこから更に西へ200mほど行った所に『旧中原街道供養塔群(2)』(通称『戸越地蔵尊』がある(写真左から3番目)。古くから子育て地蔵として信仰されているが風化甚だしく銘文は不明だが、江戸初期〜中期の建立と推定されている。旧戸越村・桐ケ谷村の守護神であったとする民俗資料としての価値は高い(品川区教育委員会の説明版より)。
ところで、祠の入り口で、玉垣に刻まれている「池波正太郎」の名を見つけた。思えば、この地蔵尊の直ぐ近くに(『鬼平犯科帳』などの時代小説・歴史小説作家)故・池波正太郎先生のお宅がある。池波ファンの翁、池波先生没(1990年)後、池波邸を見に行ったことがある。細い路地を入ると囲い塀があり、落ち着いた家屋。玄関の引き戸から今にも和服姿の池波先生が出て来られそうな錯覚を覚え、少しばかり心を躍らせたものだ。『戸越地蔵尊』の近くのお年寄りに話を聞いたら「お散歩がてら、だったでしょうか、時々、先生のお姿をお見かけしたことがありました」とのこと。
『戸越地蔵尊』の中の6基のお地蔵様をゆっくり拝んでいたら、5歳くらいの男の子を連れた若いご夫婦が祠の中に入ってきた。「こんにちは」お互いに挨拶を交わした。3人も1基1基に合掌した。了解を得て写真を撮ったあと(写真右端)、話を聞いた。戸越銀座界隈の住人らしい。「この子が無事に成長するように、時々、願懸けに来ています」。別れ際、ご夫婦が翁に丁重に挨拶してくれた。翁も返礼した「ボク、元気でね!」坊やがニコニコ顔で翁に手を振ってくれた。親子3人が去ったあと、翁、もう一度(メインの)地蔵菩薩にお祈りした「あの男の子をお守り下さい」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |