龍翁余話(536)「山の魅力」
8月11日は「山の日」。2014年に制定(2016年に改正)された祝日。山に関する特別な出来事などの由来があるわけではない。「海の日」(1995年制定、7月第3月曜日)があるから「山の日」があってもよかろう、というていどの理由で制定された、と聞く。趣旨は、
「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」とあるが、翁は加えて「山でのマナーと事故防止を考える日」としたい。
タイトルに「山の魅力」と謳えば、翁がいかにも山に詳しく、登山愛好家のように思われるかも知れないが、実のところ、翁ほど山の知識が無く、登山経験もない人間は、そう多くはいないだろう。登山ではなく“車で行けるところまで行った”山と言えば「高千穂峰」(鹿児島県と宮崎県の県境に位置する成層火山・標高1,573m)、「阿蘇山」(熊本県阿蘇地方に位置する活火山・標高1,592m)の中央火山口丘にある「草千里」(くさせんり、標高1,100m)と北外輪山の最高峰「大観峰」(だいかんぼう、標高939m)、「英彦山」(ひこさん、耶馬日田英彦山国定公園)北岳、中岳、南岳のどれだったか覚えていない。「釈迦岳」(しゃかがだけ、大分県日田市と福岡県八女市にまたがる標高1,231m)、「六甲山」(神戸市の西から北にかけての山塊、標高931m)、「吾妻山」(山形県と福島県の県境に沿って延びる山脈、標高約2,000m)・・・これらはいずれも“車登山”だが、翁、1回だけ自分の足で山を歩いた(ハイキングした)ことがある。あれは2007年12月中旬、東京都八王子市にある「高尾山」(標高599m)の南側に位置する「草戸山」(くさとやま、標高364m)。このことは、『龍翁余話』の執筆開始から間もない2007年12月22日配信の『龍翁余話』(15)「草戸山ハイキング」に書いた。その一部を抜粋する。
【・・・草戸山登山口から緩やかな上り坂を100mも行かないうちに呼吸と足元が乱れる。翁をハイキングに誘ってくれた友人のI君が、近くに落ちていた枯れ竹を拾って“杖代わり”にと(翁に)渡してくれた。これは大助かり。10数人の(I君の)グループは軽い足取りで、もうとっくに見えなくなっていたが、I君は翁ののろまな歩調に合わせてくれた。後ろから登ってきた他のパーティ(数組)に何回も道を譲った。“老人グループ”もいたが、みな健脚だ。追い越す人たちと交わす「おはようございます」「お気をつけて」の挨拶が心地いい。少しずつ足が慣れてきた。スピードは上がらなかったが、I君との会話が弾み、周辺の景色も目に入るようになった。草戸峠から左下に見る城山湖が幻想的だった。翁と(付き添ってくれた)I君の2人は目的地の三沢峠に3時間もかかってやっと到着。(皆は2時間)、皆がこしらえてくれていた豚汁やオニギリ、漬物の美味しかったこと。腹ごしらえをして近くを散策、少し霧がかかった眼下の津久井湖の美しさに息を呑んだ・・・】
登山でもなく、単なる山歩きだったが「山の魅力」を存分に味わうことが出来た「草戸山ハイキング」だった。幻想的な城山湖、秋いっぱいの三沢峠、水墨画のような津久井湖などが翁のカメラに収まり脳裡に深く刻まれた。そして何より、I君グループとの温かい交流が楽しかった。皆の足を引っ張ったにもかかわらず「次回の山歩きも、ご一緒しましょうよ」と誘ってくれた彼らの優しさが嬉しかった。残念なことに、その後、翁は次々と(3つの)癌に罹り、度重なる手術で(山歩きをするほどの)体力を失った。だが、どういう訳か、それからは“イメージ・トレッキング”(心象山歩き)が好きになった。初めての山歩き「草戸山ハイキング」の楽しかった思い出に起因すること大であるが、加えて数回の入院中に(数冊)読んだ(山岳推理作家)梓 林太郎の小説が「山の魅力」を更に膨らませ“心象山歩き”に誘ってくれるようになったのかも知れない。
それからというもの、翁は“山”が描かれた旅雑誌や山岳雑誌を読む(見る)ようになり、テレビでも“山”がテーマの番組を好んで視るようになった。中でもNHKの『グレートトラバース 日本百名山シリーズ』(今年はすでに三百名山)が好きだ。(宣伝臭くなるが)『グレートトラバース』とは、日本の名山全ての頂上を踏破し、その間、一切の交通機関を使わず自分の足と2本のステッキ、背中には(簡易テント・衣類・薬品類・携帯食品・飲料水などが入っている)大きなリュックサックを背負い、ある程度の時間を決めて黙々と頂上を目指して歩き続ける。その登山家の名は田中陽希(たなかようき、35歳、プロアドベンチャーレーサー)。寡黙で無愛想で、タレント性には乏しいが、逆にその素朴な彼の人柄が山に対する親愛の情、自然への畏敬の雰囲気を醸し出し、映像に重みを加えている。
その映像を撮っていくスタッフたちもまた、山のベテラン(愛好家)ばかり。翁の(かつての)職業柄、画面には映らないが、画面づくりの撮影隊の動きが、どうしても気になる。まず、ディレクター、翁がかつてドキュメンタリーを撮っていた時は、出演者やカメラマンに(翁が好む)場所・アングル・サイズ・演技・カメラの動き・秒数などを演出したが、この『グレートトラバース』のディレクターは、原則的には演出を加えず、ただ、ひたすら田中を追い続け、時々、田中からの相談に乗る程度。カメラマン(2人)もまた、田中の歩きを、表情を、周辺の景色を、己れの感性と熟練の技術で撮影することに徹している。カメラアシスタント(2人)は撮影機材(三脚、小型照明機、音声機など)のほか、飲料水・スナック・着替え・薬品などをリュックサックに背負ってカメラマンたちをアシストする。ほかに医療チーム・撮影隊用の車両チームなどが、本撮影隊をサポートする。翁は、この番組が伝えてくれる「山の魅力」もさることながら撮影隊のチームワーク、卓抜なカメラ技術力・豊かな感性に触れるのも楽しみだ。田中以下全スタッフの安全・健康を祈りながら『グレートトラバース』を視ている。
安全・健康と言えば、この酷暑下「夏の甲子園」の球児・応援隊の“熱中症”も気になる。そしてもう1つ――絶対に忘れてならないのが8月は「鎮魂の月」、戦地・内地全ての戦没者、原爆犠牲者のご冥福と“平和”を祈りたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |