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1158号

NO.1158     Ryo Onishi              7/22/2018

 weekly
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雑貨屋のひとり言

体温を超える気温が続く日本列島で熱中症で死亡する人が続出しています。
この猛暑がいつまで続くのか考えるとうんざりします。
幸い私たちは週4回のヨガに参加できているのでまだ元気です。みなさんはどう過ごされていますでしょうか?
我が家も夜エアコンをつけて寝るようにしました。私たちと同年代、それ以上の方は、エアコンをつけて寝ることに抵抗があるのではないでしょうか?
熱中症になったら元も子もないので、エアコンを使います。寝る前の水分もためらわずに飲むようにしています。≪R.O≫

 

 宣戦の詔書を読む

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。

そこで過去の磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『 宣戦の詔書を読む 』(羅府新報2002年12月度掲載)
今年も12月7日(日本は8日)が巡ってくる。日本が米国及び英国に戦いを宣してから62年の歳月が経過したことになる。

これらの悲劇的な期間は、実際に体験し、苦痛と辛酸を味わった人々にとっては耐えがたく忘れられない時であったことは言うまでもない。が、一方、日本の若者層にとっては、どうも単なる空白の期間でしかないようだ。

私の知っている限り、当地に来ている日本からの留学生達は概して真面目でよく勉強する若者ばかりだが、こと祖国の現・近代史に対しては無関心、無知識な人が多く驚くばかりだ。これも戦後の教育の不備がなせる結果と言えるのではないだろうか。

確かに現代の若者は昔と違い、情報技術、バイオ、遺伝子など学ぶことが多く、歴史にまで気を使っていられないのかもしれないが、人間は歴史から学ぶことで進化したとも言え、歴史を無視して前進はないはずだ。

私は日本の現・近代史に関しては、まず時の天皇の発した「詔書」に関心を持つことにしている。

なぜならば、その内容の是非はともかく、詔書こそ時の日本と言う国家の立場と意図を表現した最高の公文書であるからだ。そして今の私達は詔書を客観的に読み直し、吟味し、評価することが出来る時代に生きている。

幸いなことに今はインターネットで過去の詔勅の類も簡単に入手できる時代になってる。

先日、私は仲間内の勉強会で「対米英開戦の詔書を読む」というテーマで話をさせてもらった。

今更「天佑ヲ保有シ萬世一系ノ・・」でもあるまいと言われるかもしれないが、わずか八百文字にも満たない詔書の一言一句に計り知れない歴史が凝縮されているのを知ることが出来るからだ。

開戦から62年(日中戦争から66年)、そろそろ一切の政治的意図を排除した、事実に沿った客観的な歴史としての現・近代史を次の世代に伝えてゆく時ではないだろうか。

それとも歴史とはそもそも国益、政治と表裏一体で「客観的事実」などしょせん絵に描いた餅なのだろうか。


河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


父ちゃんは神輿 母ちゃんカーニバル

景気どうあろうとだんじりが駆ける

お酉さまの熊手ご利益まだですか

宮出しにみな江戸っ子の顔になり

ワッショイを英語訛りが盛り上げる



( ニュースひとりよがり )


「国会閉会、議員さんへ」
夏休み中の宿題をちゃんとやるように −生徒

「メニュー」
モリカケはありません −赤坂自民亭

「新賞創設」
年間皆勤賞 −相撲協会


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(34)「勝海舟と西郷隆盛を語る会」(拡大版)

毎年、7月の「海の日」に「勝海舟フォーラム」が(墨田区役所に隣接した)すみだリバーサイドホールで催される。今年は15回目、主催は「勝海舟顕彰会」、つまり“勝海舟ファン”の集まりだ。そのファンの1人である翁のところにも毎年案内状が届く。テーマは、ほとんどが海舟と関わりのあった人物の子孫を招き、(その人物の))海舟との関わり方、足跡など(あまり知られていない)エピソードを語って貰うケースが多い。今年のテーマは『勝海舟と西郷隆盛』――2人とも翁が深く敬愛する人物。出演は(毎年、基調講演とコーディネーターを務める)勝海舟の玄孫(やしゃご=ひ孫の子)高山みな子さん、ゲストは西郷隆盛の曾孫(そうそん=ひ孫)西郷吉太郎さん。これは何が何でも聴きに行かなければと去る16日、35度の猛暑の中、アロハシャツ・半ズボン・ジョギングシューズ・帽子という、およそフォーラム参加者には相応しくない身なりで出かけた。(毎年、その格好だ)翁がこのフォーラムに参加するようになって5年目だが、参加者はいつも多い。とりわけ今年は大河ドラマ『西郷どん』の影響か世の中は“西郷ブーム”とあってキャパ700席にプラス補助椅子が並ぶほどだった。

まずは登場人物の紹介から――勝海舟には本妻・民子のほかに4人の側妻がおり、その中の1人・増田 糸(偶然にも西郷隆盛の3番目の妻と同名)の娘・逸子(男爵・目賀田種太郎の妻)の末裔がコーディネーターの高山みな子さん。つまり、みな子さんは海舟の玄孫、逸子の曾孫に当たる。慶應義塾大学文学部卒業後、会社勤務を経てフリーライターに転じ、現在は「勝海舟の会」顧問、海舟関連の著述、講演などで活躍中。一方、ゲストの西郷吉太郎さん――西郷隆盛の最初の妻は(名門・伊集院家の娘)須賀。当時、隆盛は江戸勤めが多く留守がち。須賀との結婚はわずか2年で終わる(離婚の理由は翁は知らない)。
隆盛が尊敬して止まなかった島津斉彬の突然の死に大きな衝撃を覚え、同時に勃発した(井伊大老の)“安政の大獄”(尊皇攘夷派への弾圧)によって隆盛は(自分を支援してくれた)勤皇の同士・月照(清水寺成就院の僧侶)と共に京都から薩摩へ逃避、斉彬崇拝者の西郷を嫌った次の藩主(国父)久光の命によって2人は薩摩を追われ“我らが進む道”を失った2人は錦江湾で入水自殺を図るも西郷1人が生き残り、幕府の追及を逃れるため藩命で奄美大島に流される。その島で結ばれた2番目の妻が愛加那(菊次郎と菊子が授かる)。大久保正助(利通)の働きで約3年ぶりに薩摩に帰還。(その後の西郷の動静は省略)帰還後、方々から再婚の話が持ち込まれるも西郷は奄美大島に残している妻子(愛加那と2人の子)を理由に断り続けたが、有川某と言う有力者が(親戚筋の)岩山家の娘・糸を西郷宅に連れて行き、強引に結婚を決めてしまった。隆盛37歳、糸23歳。媒酌人は薩摩藩の名将・小松帯刀。その後、2人の間には長男・寅太郎(陸軍大佐)、次男・午次郎(日本郵船役員)、三男・酉三(30歳で死去)の3人の男子をもうける。西郷家の家督を継いだ寅太郎には隆幸(夭折)、隆輝、吉之助、隆国の男子がいたが、次男の隆輝に継嗣がいなかったため、三男の吉之助(1906年〜1997年、政治家・第2次佐藤内閣の法務大臣)が家督を継ぐ。つまり、ゲストの吉太郎さんは、隆盛のひ孫、寅太郎の孫、吉之助の長男、西郷家4代目の当主である。1947年(昭和22年)東京生まれ、学習院大学経済学部卒業後、新日本製鐵社員、(株)イージャパン社長などを経て現在(株)メディカルスクエア顧問。

では、本論(お二人の対談)に入る――勝海舟と西郷隆盛が初めて会ったのは1864年(元治元年)。その時の印象を西郷は「幕臣とは思えぬ斬新で大胆な発想の持ち主、勝先生の知略には驚くばかりである」と(大久保に)語っている。海舟もまた「西郷は類なき力量と至誠の持ち主」と高く評価した。実は、そのずっと前に海舟は、長崎の海軍伝習所時代、オランダ人教官や練習生を連れ、練習艦「咸臨丸」で薩摩を訪問したことがある(1858年、安政5年3月)、その時、斉彬公自ら「咸臨丸」に出向いて艦上で海舟と会談した記録が残っている。後日、斉彬公は西郷や大久保、小松ら側近に「幕府にも勝海舟と言う大人物がいる。外国を知り、日本の在るべき姿を描き、赤心(至誠)をもって日本を変えようとする傑人である」と語った。この斉彬公の“海舟評”によって爾来、西郷の、海舟への尊敬と信頼の念は培われ、あの「江戸城無血開城」及び新政府樹立後の親交に繋がって行ったのでは、と翁は推察する。

その「江戸城無血開城」に関して海舟は「もし、官軍が江戸の町を攻撃するなら、その前に江戸の町を焼き払う」と西郷に脅しをかけた。大都会・江戸を焼かれては日本の経済は崩壊する。そうなると新政府の樹立はおぼつかない、と思った西郷は「勝先生は本当に江戸の町を焼くつもりはないが、その覚悟を俺に示したのだ」と述懐している。また、将軍・慶喜の助命に関しては、もし、慶喜を殺せば徳川恩顧の諸大名や旧幕臣たちが反乱を起こす。それでは(海舟や西郷が願う)新しい時代への移行は遠のく。「それが勝先生の重大な心配のタネだった」ということも西郷は理解していた。

戊辰戦争(明治元年〜2年)は、王政復古を経て明治政府を樹立した薩摩・長州・土佐の各藩を中核とする新政府軍と、旧幕府勢力及び奥羽越列藩同盟が戦った日本の内戦だが、新政府軍が庄内藩(現在の山形・鶴岡市を中心とする庄内地方)を攻略、鶴ヶ岡城を落とし、城受け渡し状作成の際、総指揮官の黒田清隆が上座に、藩主・酒井忠宝(さかいただみち)が下座に座った。ところが(城明け渡し状)署名後、黒田は直ぐに酒井藩主に上座を譲り「失礼の段、平にご容赦を」と頭を下げた。これには藩主や重臣たちが驚いた。何故なら、かつて(1868年、慶応3年1月19日に)庄内藩士たちが江戸薩摩藩邸焼打ち事件を起こした “前科”があったので、今度は薩摩軍からどんな仕返しを受けるか、内心恐恐としていたのに、この黒田の慇懃な振る舞いに一同、驚き安堵したのだ。黒田は言った「礼を尽くすは西郷先生の命によるもの」以後、庄内地方における西郷信奉者は増えるばかり。維新後、薩摩に帰った西郷のもとへ庄内藩主自ら70余名の家臣を伴って赴き教えを乞うたし、西南戦争の際、旧庄内藩からもかなりの旧藩士が西郷軍と共に行動した記録もある。余談だが翁の曾祖父(旧中津藩士)も西郷軍に加わり城山(鹿児島)にて切腹している。

西郷が鹿児島に帰国している間、明治新政府を動かしていたのは公家の三条実美、岩倉具視、長州の木戸孝允(桂小五郎)、薩摩の大久保利通だったが、薩長中心の人事に対する不平不満、重税に苦しむ大衆の一揆など難問が山積、この際、全国的に信望の厚い西郷を東京に呼び戻そうと岩倉具視と大久保利通が鹿児島に赴き、勅命(天皇の命令)で西郷を上京させた。そして西郷が手掛けた最初の改革が「廃藩置県」。勿論、摩擦はあったが西郷の“万機公論”、“身分制度廃止”、“富国強兵”、“隣国友好”思想が全国に伝わり1871年(明治4年)7月14日「廃藩置県」が正式に発布された。

ところが、まだ新政府がよちよち歩きで財政基盤がないのに岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文ら107人が海外視察に出かけた(1871年12月〜1873年9月)。留守政府の要人は三条実美、西郷隆盛、大隈重信、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣、井上馨、山縣有朋ら15人。うるさい岩倉、大久保らが外遊中に西郷を中心とする留守組が行なった政策は「東京府邏卒(らそつ=警視庁巡査)の採用」「各県に裁判所設置」「田畑永代売買禁止」「陸軍省・海軍省設置」「東京女学校・師範学校設立」「学制発布」「人身売買禁止」「散髪廃刀の自由・斬り捨て・仇討禁止」「キリスト教解禁」「太陽暦採用」「徴兵令布告」「華族士族と平民の結婚自由」「地租改正」、その他(女官中心の)「宮中を刷新」、信頼すべき気骨ある人物(山岡鉄舟)を天皇の側近(侍従)に登用するなどの諸改革を敢行した。これらが明治新政府確立の基盤になったことは言うまでもない。

『勝海舟フォーラム』でゲストの西郷吉太郎さんが一番強く言いたかったのは、西郷隆盛の“征韓論”である。「隆盛は一度も“征韓”と言ったことはない」“征韓”を言い出したのは板垣退助であった。「朝鮮に滞在する邦人を保護するため、一大隊の兵を朝鮮に派遣し、その後に修好条約の談判をするのが妥当」との板垣案に西郷は真っ向から反対した「兵を送れば朝鮮は日本が侵略して来たと誤解する。軍隊ではなく、礼を厚くし威儀を正して明治政府の全権大使を送るべきだ」と板垣案に反対し「自分が全権大使として朝鮮に渡る」と提案した。ところが、それがいつの間にか“西郷の征韓論”となった。そう吹聴したのは岩倉や大久保ら。国民的人気が高い西郷に対する嫉妬から、との説もある。吉太郎さんは言う「“征韓論”に関しては池波正太郎先生の『西郷隆盛』が最も正確です」。そのほか吉太郎さんの曾祖母(糸)が(1898年、明治31年12月18日)上野公園の隆盛像の除幕式に参列した際「うちの人(隆盛)は身なりには厳しく、あんなだらしない着物姿ではなかった」「もっと優しい目をしていた」「無類の薩摩犬好きであった」など面白い話を沢山聴くことが出来たが、それらはいずれかの機会に。ともあれ海舟・隆盛に対して一段と親しみを感じることが出来たフォーラムであった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

手塚治虫

1989年2月9日この日、手塚治虫氏が亡くなった。そのニュースを知った時の心の空虚感と何とも言えい寂しさが込み上げてきた感覚は今も覚えている。1度もお会いした事が無いのに身内を失くしたように感じるこの気持ちは一体何なのだろうと不思議だった。彼の漫画は私の幼少期に多大な影響を与えた。漢字テストで100点を取れたら一冊ずつ読みなさいとある日、父が日本と世界の文学シリーズをまとめて購入してきて本棚に並べた。それからしばらく経ったある日、今度は父が漫画を買ってきてくれた。その頃は“漫画ばかり読んでないで勉強しなさい”とどこの親もそんな事を言って漫画を読むとバカになるぐらいの認識しか無かったような風潮もあった。だから父が漫画を子供たちに買ってくるという事が珍しかった。その漫画が手塚治虫の“火の鳥”の全巻だった。そして、その本は文学全集と同じようにちゃんと本棚に並べられた。
その日から弟と夢中になって読んだ。黎明編、鳳雛編、未来編、宇宙編など十数冊ぐらいあったように記憶している。読み始めるとすぐに私の心は漫画の世界に入り込んでいった。何だかタイムマシーンに乗ったようで現実の世界はたちまち消えてなくなりいつの間にか自分は漫画の主人公と時空を超えて旅をしていた。
その本が切欠になって手塚治虫氏はいつも私の心のどこかに存在していた。ブラックジャックやどどろ、三つ目が通る、もインパクトの強い作品だった。大人になってから読んでもやっぱり印象は変わらない。未だに私にとっては彼を超える漫画家は誰もいない。漫画の領域を超えた圧倒的な存在感があり医学者でもあり科学者でもあり哲学者でもあり、あらゆる才能を持ちながら、その眼差しは暖かい。もう数十年前になるが、いつだったかWest LAの小さな映画館で手塚治虫のメトロポリスというSFアニメ映画が上映された。
人類の文明や科学の発達が沸騰点に達した頃、ロボットが人類に復讐するというような内容だったと思う。手塚治虫氏の作品の中では小さな目立たない作品だったと思う。初日のオープニングには、どんな人が来るのだろうというのも興味があって一番乗りで見に行った。でも残念ながらそれほど人は入っていなかった。来ていた人はアメリカ人のオタク風の人がパラパラ程度。あまり広告宣伝もしていなかったのか4−5日で上映は終わった。最近は世界中でアニメエキスポなどのイベントが行われアニメも文化価値として一定のポジションを確保した。その中で流行り廃りもあり世の中に溢れた作品は自然淘汰されていくのだろうと思うけれど手塚治虫氏の作品は時代を超えてこれからも存続していくだろうと思うし、これからもっともっと価値のある作品として世界に認められる時が来ると思う。
手塚治虫氏はいつも人間の命を過去から遠い未来まで見続けていた人ではないかと思う。彼の描いた作品には今の私達が生きている世界にも多くのメッセージが込められている。久しぶりに手塚治虫氏のインタビューや生前の講演を聞いて懐かしくなった。やっぱり自分が好きだったものや人は昔から変わっていないのだな〜と思う。日本の私のスパイスキッチンには今でも手塚治虫氏の写真が飾られている。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

今週はジャズギタリストWes Montgomeryのアルバム"California Dreaming"を選びました。
1960年代、パパス&ママスの夢のカリフォルニアがアルバムのタイトルになっています。当時、ラジオからよく流れていたので好きな曲の一つです。同じくSunnyも良く覚えています。Wes Montgomeryの独特のギターは軽快で聴きやすいアルバムです。

"California Dreaming" Wes Montgomery

01-California Dreaming 3:08
02-Sun Down 6:00
03-Oh You Crazy Moon 3:40
04-More, More, Amor 2:50
05-Without You 3:00
06-Winds Of Barcelona 3:07
07-Sunny 4:00
08-Green Peppers 2:25
09-Mr. Walker 3:25
10-South Of The Border 3:15

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

雑貨屋ウィークリーの編集などに、15年改造しながら使ってきたPCですが使い勝手が悪くなってきたので新設しました。グレードアップしましたが大きさは手のひらに乗るサイズです。設定の場面で少し手間取るところがありましたが、ソフトウェア、ファイルの移行、メール設定が終了し、今週号からそのPCで雑貨屋ウィークリーの編集、発行をすることにしました。画面の背景は3人の孫の写真にしています。

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雑貨屋ニュースレターのバックナンバーは下記のURLでご覧いただけます。

http://www.zakkayanews.com/zwback.htm

Zakkaya Weekly No.1158

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com