龍翁余話(532)「日本地図――忠敬の前に赤水がいた!」
この歳(高齢)になっても、あまりにも知らないことが多過ぎる。普段、豪気を装っている翁でも、知らないことにぶつかと「こんなことも知らなかったのか」と、時折、消沈したり卑屈になったりすることがあるが、子供の頃、「聞くは一時(いっとき)の恥、聞かぬ(知らぬ)は一生の恥」と親に教えて貰った“三つ子の魂”がいまだに残っているのと、長年、テレビ番組取材で、いろんな国の多くの人と出会い、なりふり構わず聞きまくる(調べまくる)習性が残っているのか、知らなかった情報、特に興味深い情報を得ると(暇人の翁)直ぐに“取材の虫”が動き出し“見たり聞いたり試したり”をしたがる。と言っても、体力などに心配があるので数日間を要する遠距離は難しいが、半日とか1日単位の取材なら(今のところ)まだ何とか動き回れる気がしている。
今号の『日本地図――忠敬の前に赤水がいた!』のタイトルは、7月の“政府広報”で見つけたものだ。“政府広報”とは、各省庁の(月ごとの)重要施策を国民に知って貰い理解と協力を得るためのPR手段。媒体として主にラジオ・テレビ・新聞・雑誌を利用しているが、実は翁、若い時(30歳、会社設立時)は、この“政府広報”のラジオ・テレビ番組の1部を受託制作していた(当時は総理府、現在は内閣府)。だから、いまだに“政府広報”に目を通すのが習慣になっており、たまに『龍翁余話』のテーマ探しにも参考にさせて貰っている。その“政府広報”で、つい先日、表題の『日本地図――忠敬の前に赤水がいた!』が目にとまった時、ちょっとした衝撃が走った。何故なら今まで「日本地図の最初の作成者は伊能忠敬(いのうただたか=1745年〜1818年、江戸時代の商人・天文学者・測量学者)だと思い込んでいたのと、実は今年2018年は伊能忠敬没後200年の節目に当たるので、近いうちに『龍翁余話』で「日本地図を初めて作った男・伊能忠敬」(仮題)を書こうと企画し、昨年12月に刺殺事件があった富岡八幡宮の境内に建つ“忠敬像”参拝や、彼の出身地・下総の佐原(千葉県香取市)を取材しようと目論んでいた矢先だった。故に「忠敬の前に赤水がいた!」はかなりのショックだったのだ。
伊能忠敬は、生まれは千葉県九十九里町、幼名・神保三治郎。17歳の時、佐原の酒造家・伊能家の婿養子となり、酒造業や米穀商で辣腕を振い、36歳で名主となり、1783年の“天明の大飢饉”では私財を投げうって地域窮民の救済に尽力、その間、独学で暦学(天文学)を修め、49歳で家業を長男に譲るや50歳で本格的に天文学に取り組むため江戸に出て、20歳も年下の天文学者・高橋至時(よしとき)に弟子入りし、55歳から足かけ17年かけて蝦夷地(北海道)から全国各地を歩測・間縄(けんなわ=1間(約1.82m)ごとに印をつけた縄)の方法による実測地図「大日本沿海輿地全図」(だいにほんえんかいよちぜんず)の原図を作り上げた。この地図は忠敬没後3年かけ1821年、弟子たちの手によって完成。
その伊能忠敬より42年も前に、緯度と経線(京都を標準とした等間隔の南北線)を記した、
かなり精巧な日本地図があった。その名を「日本輿地路程全図」(にほんよちろていぜんず)と言い、作成者は長久保赤水(ながくぼせきすい=1717年〜1801年、江戸中期の地理学者・漢学者、常陸国多賀郡(茨城県高萩市)の出身)。伊能忠敬の地図を“伊能図”と言い、長久保赤水の地図を“赤水図”と呼ぶそうだ。その『長久保赤水展』が今、日比谷の市政会館(B1)で開催されている(7月2日〜8月4日)。翁、初日の2日に参観した。10時開場で翁が一番乗り。学芸員らしきスタッフに訊きまくった。赤水の人となりは(長くなるので)割愛、彼が作成した“赤水図”の特徴が面白いので、それを紹介する。
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原図(1765年) |
初版(1774年) |
改正版(1779年) |
“伊能図”も“赤水図”も経緯線が投影されていることで、両方ともかなり精度の高い地図であるとされている。沿岸部のほとんどを測量した“伊能図”には劣るが、諸藩から集めた“藩図”を参考に20年以上に亘る考証の末、完成させた“赤水図”は、当時としては驚異的な正確さであったそうだ。特に翁が注目したのは、ドイツ国立民族博物館のシーボルト・コレクションやイギリス議会図書館などにも収蔵され、当時の外国が日本を知る資料として活用された点だ。もう1つの注目点は(日本と韓国と間で領有権問題が起きている)「竹島」が、当時の名称「松島」で記されており、「竹島」が日本領土であることを裏付ける資料となっている。そして更に翁が驚いたのは、赤水が『改正地球万国全図』(世界地図)(写真左)と『唐十道図』(中国地図)(写真右)を作り上げたことだ。これらの地図作成に必要な情報は清国(中国)経由だったそうだ。と言うことは、赤水は、よほど優秀な清国知識人(研究者)を抱えていたのでは、と想像する。
もう1つの逸話――幕末の志士・吉田松陰も「我が旅の必需品」とばかり380文(現在価格約4560円)を投じて“赤水図”を買い求め、仙台まで旅をし、長州(山口県)への帰路、常陸国多賀郡にある“長久保赤水之墓“に参詣したそうだ。翁、今回の『長久保赤水展』を観て”驚嘆“と”感動“を味わうことが出来たが、ただ、難解な用語や地名について、中高生にも分かる説明文がほしいことを主催者にお願いした。それにしても(この歳にして)新たな知識を得た悦びは格別であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |