龍翁余話(524)「5月20日は東京港開港記念日」(拡大版)
長く生きて、長い間、東京で暮らしているのに、恥ずかしながら東京事情を知らないことが多過ぎる。今号の話題もその1つ――
以前『余話』で何回か紹介した翁たち“シニア会”メンバーのほとんどが(品川区内の)元高校・中学の校長・教頭の経験者で、翁も(映像制作との2足の草鞋で)わずか10年間だったが某専門学校の教職の経験者。2008年の初秋、『品川歴史館』で出会った郷土史家・Eさん(元高校校長)のお誘いで、彼が主宰していた“郷土史研究会”に翁も参加させて貰った。残念ながらEさんは2012年に亡くなられたが、その会は“五反田シニア会”と改称して今も存続、(酷暑・厳寒期を除いて)月に2〜3回、懇親昼食会を催している。メンバー全員の共通の好みは“歴史”。更に嬉しいことに、全員(現在11名)が『龍翁余話』の愛読者で、昼食会では必ず“読後感”が飛び交う。時にはアイデア(ネタ)も提供していただく。先日の昼食会で(翁は知らなかったが)5月20日が『東京港開港記念日』であることを知らされた。そればかりではない、翁は(国内外の豪華客船が接岸する東京の海の玄関)『晴海埠頭』が『東京港』とばかり思い込んでいた。ところが、実は、東京湾を臨む『日の出埠頭』、『芝浦埠頭』、『竹芝埠頭』、『品川埠頭』、『大井埠頭』『晴海埠頭』などを総称して『東京港』と言うそうだ。そして何故5月20日が『東京港開港の日』と制定されたかについても初めて教えて貰った。それは1941年(昭和16年)5月20日に『日の出』『芝浦』『竹芝』の各埠頭が“国際貿易港”に指定され、この日を記念日に制定したとのこと。『東京港』のこと、もっと知りたい!翁の“取材の虫”が騒ぎ出した――
中世(鎌倉〜室町〜安土桃山の各時代)江戸の海運は、武蔵国荏原郡品川(現在の品川区)目黒川河口付近にあっ た『品川湊』(しながわみなと)が中心であった。それが江戸時代になると、全国から海運で江戸に集まる物資は主として『江戸湊』(えどみなと)に運ばれるようになった。その『江戸湊』(現在の中央区新川2丁目)が『東京港発祥の地』だと言う。さっそく翁はその跡地を見に行った。佃島(リバーシティ)の対岸、亀島川が隅田川に合流する所、亀島川に面するビルの谷間に金色の錨の碑が建っている(写真)。一瞬、“あれ?海軍の記念碑か?”と目を疑ったが、よく見ると、間違いなく『東京港発祥の地』。碑には【慶長年間(1596年〜1615年、その間、1600年に関ヶ原の戦い、1603年に徳川家康が征夷大将軍となり江戸に幕府を開く。その後、江戸の町を発展させるため家康は水陸交通の整備を行なった。その一環として)家康は、この地(新川)に湊を築き江戸の経済を発展させた。物資の搬入ばかりでなく伊豆七島や諸国との交流拠点として1936年(昭和11年)まで続いた】と刻まれている。
『江戸湊』は出来たが水深が浅いため、海外からの大きな船は入港出来ず、国際交易港としての任務を果たしたのは1859年(安政6年)6月に開港した『横浜港』であった。しかし、1923年(大正12年)の関東大震災がきっかけで、東京にも大型船が入港出来る港が必要であるとの議論が巻き起こり、結果『日の出』『芝浦』『竹芝』の埠頭開発が始まった。
翁は『江戸湊』の跡地(記念碑)を見たその足で『日の出埠頭(桟橋)』へ出かけ、東京湾内遊覧航路を運航している「株式会社シーライン東京」のマネージャー・中村氏に会って「日の出埠頭をはじめ、東京港の歴史を知りたいのだが」と告げたら「では『TOKYOミナトリエ』をご紹介しましょう」ということで(日の出駅から)“ゆりかもめ”に乗ってテレコムセンター駅に隣接する『TOKYOミナトリエ』(東京臨海部広報展示室=江東区青海2丁目)に行った。幸いに事務局長の海寶(かいほう)氏にお会い出来、氏のご案内でゆっくり学習することが出来た。以下は通常の“エッセイ形態”とは異なり、展示室に展示されている写真と説明文(概要)を列記、紹介する。
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江戸幕府が開かれた1603年(慶長8年)から数年後に開港した当時の『江戸湊』(亀島川と隅田川の合流地点=現在の新川2丁目辺り)をイメージしたジオラマ。
東京湾(当時は品川湾)築港計画は明治の中頃から発案されていたが、その計画が一挙に進められたのは(前述のように)関東大震災が契機。大震災2年後の1925年(大正14年)に『日の出埠頭』が開港(写真左)。写真の左の三角屋根は“上屋(うわや)”という埠頭・桟橋などの貨物発着所に設けられた荷捌き・中継ぎ作業を行なう一時保管場所。『日の出埠頭』には今も数棟の『上屋』が復元されている。『日の出埠頭』開港から7年後の1932年(昭和7年)に貿易貨物港として『芝浦埠頭』が完成した(上の写真右=現在のレインボーブリッジの付け根あたり)。更に2年後の1934年(昭和9年)に『竹芝埠頭』が開港(写真左)。1941年(昭和16年)5月20日、『日の出』『芝浦』『竹芝』の各埠頭が国際港に指定され、東京府(東京都の前身)はその日を『東京港開港記念日』に制定した(註:東京都になったのは1943年7月1日)。戦後10年の1955年(昭和30年)に『晴海埠頭』(1部)が開港(写真右)。『晴海客船ターミナル』は1991年(平成3年)から。
1967年(昭和42年)『品川重量物埠頭完成』(下写真左)(北米西岸コンテナ定期航路開設)。
1975年(昭和50年)『大井埠頭』1部開港(下写真右)
翁を案内してくれた『TOKYOミナトリエ』事務局長の海寶氏が近未来の抱負を語る。
「ここ青海埠頭に世界最大の豪華客船“シンフォニー・オブ・ザ・シーズ”(22万8千トン・全長362m・幅65m・高さ74m・定員約7,500人)が入港出来る規模の『国際観光港湾』の建設を急いでいます。2020東京五輪に間に合わせます」(写真はターミナル完成予想図)
5月26日(土)・27日(日)の2日間、晴海埠頭客船ターミナルほかで『東京みなと祭』が開催される。東京税関音楽隊や東京消防庁音楽隊、和太鼓、各種ダンス、練習船や測量船、護衛艦の一般公開などのプログラムが組まれている。今号の“取材の虫”を扇動してくれた“シニア会”の仲間と“祭り”に行く予定・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |