龍翁余話(519)「山吹」
桜が去って、林野や公園、住宅の庭先、小川の土手、街路の片隅などに黄金色を輝かせる『山吹』の季節を迎えた。『山吹』は桜ほどの華やかさはないが、翁は、あの気品に満ちた雰囲気が好きだ。今号は『山吹』にまつわる話だが、その前に『江戸城』の歴史から――
1600年(慶長5年)10月21日の関ヶ原の合戦に勝利した徳川家康は1603年(慶長8年)に征夷大将軍(武士の棟梁・事実上の日本の最高権力者)になるや江戸幕府(徳川幕府)を開設、『江戸城』を将軍の居城にして武家政治を264年の長きに亘って存続させた。しかし第15代将軍・徳川慶喜の大政奉還(1867年、慶応3年=徳川家が政権を天皇に返上したこと)によって徳川幕府は事実上崩壊、翌1868年(慶応4年・明治元年)4月11日の『江戸城無血開城』をもって明治新政府が誕生することになる。爾来150年、『江戸城』は明治・大正・昭和・平成4代の天皇・皇后両陛下のお住まい『皇居』として今日に至る。その『皇居』(すなわち『江戸城』)は、今から561年前の1457年(長禄元年)に室町時代の武将・太田道灌(おおたどうかん)が築城した。道灌と父・資清(すけきよ=室町幕府の武蔵守護代)(武蔵守護代とは、武蔵国、今の東京都・埼玉県・神奈川県の1部の幕府の直轄領を領主に代わって治めていた代官のような役目)とともに“城づくり名人”と言われていた。江戸城築城と同時期に資清・道灌父子は武蔵国(埼玉県)入間郡(現在の川越市)に『河越城』(のちに『川越城』と表記するようになった)も築いている。
さて――翁のゴルフは、いつもは成田のメンバーコースのゴルフ場だが、これまでに数回、他のグループと埼玉県入間郡越生(おごせ)のゴルフ場にも行ったことがある。その越生は、サクラ、ツツジ、梅園などが有名だが、ほかに太田道灌ゆかりの地として『山吹の里歴史公園』も町が観光に力を入れている。関越自動車道の鶴ヶ島インターからゴルフ場までの沿道数か所に『山吹の里』の看板がある。(下の写真は越生町「山吹の里」の資料から)
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残念ながら翁はまだ行ったことがないが、町の観光案内書には「この地は昔から山吹が自生していることから“山吹の里”と呼ばれています。公園内には約3000株の山吹が植えられており4月から5月にかけてのシーズンには美しい黄色い花が咲き誇ります。また、ここは室町時代の武将・太田道灌の“山吹のエピソードの地”としても有名です」と書かれている。道灌と山吹の逸話はすでにご存知と思うが――
ある日、(越生の里に)鷹狩りに行った道灌一行は、途中でにわか雨に遭い、“蓑(みの)”(雨具)を借りようと、近くの農家に立ち寄った。すると農家の少女が出てきて「お恥ずかしゅうございます」と言って一枝の山吹をお盆に乗せ差し出し、頭を下げた。まだ若かった道灌は、少女の“一枝の山吹”の意味を理解することが出来ず、立腹して立ち去った。後になって家来から(娘が差し出した一枝の山吹は)「平安時代中期の醍醐天皇の皇子・兼明親王(かねあきらしんのう)作の“七重八重 花は咲けども 山吹の 実の一つだに無きぞ悲しき”という古歌がございます。八重咲きの山吹は、綺麗な花は咲くけれども実(み)は1つもならない、つまり、我が家はお貸し出来る雨具(蓑)1つもない貧しい暮らしです、と言うお断りの意味だったのでしょう」と知らされ、道灌は「ああ、余は歌道に暗いのう」と己れの無学を恥じて、その後、歌道を志し、やがて文武両道の名将になったという逸話の故地である。
“道灌と山吹”にまつわる逸話は東京にもある。翁は実はそのことを(学生時代から)知っていた。東京にただ1つ残されている都電・荒川線(『早稲田』~『三ノ輪橋』(12.2km、30の停留所)の『早稲田』の次に『面影橋』と言う停留所がある(新宿区西早稲田)。『面影橋』は(荒川線に沿って北に流れる)神田川に架かる小橋だ。江戸時代は『姿見橋』と呼ばれていたそうだ(『面影橋』『姿見橋』の伝説は省略)。その橋のたもとに『山吹の里』の碑が建っている(翁が学生時代の記憶、今は確認していない)。昔この一帯は“山吹が繁る里”だったそうだ。その名残の地名が、今も残されている――新宿区山吹町だ。町名だけでなく“道灌と山吹”のエピソードも伝えられている。したがって翁、学生時代から最近の越生の『山吹の里』を知るまで“七重八重・・・“の話は、ここ山吹町だと思っていた。果たして”道灌の山吹伝説“はどちらが本当だろうか。地理的には『江戸城』に近い山吹町、しかし道灌は『川越城』の築城主でもある。雰囲気的には越生とも思えるのだが・・・
『山吹』の花言葉には、気品のほかに金運がある。気品はイメージ通りだが、金運はピンとこない。時代劇には付きものの“山吹色の届け物(小判)”(ワイロ)。悪徳商人が悪家老や悪代官を抱き込んで“山吹色の菓子折り”(中に小判がざくざく)を贈り、その見返りに何がしかの権益を得る。山吹色は確かに黄金色、そこから大判小判に結びつけたのだろうが、それを金運と言うのなら、それは悪徳商人、悪家老、悪代官たちの”悪運“だろう。いずれ黄門様や将軍様(吉宗)が、それらの悪徳商人や悪家老、悪代官を懲らしめ、物語は目出度し、目出度し。現代でも悪徳商人的な事業家や悪家老・悪代官的な政治家・役人がいる。山吹色に関わる事件も多い。誰が黄門様や将軍様に代わって”正義の鉄槌“を下すのだろうか?『山吹』は今が盛り。この時期、政治家や役人には『山吹』の気品や気高さを、しっかりと学んで貰いたいものだ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |