龍翁余話(518)「九品仏の桜」
毎年、桜の花を観るたびに翁、<年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず>(唐時代の詩人・劉希夷の作)を思い出す。寒い冬が終わって春になると毎年同じように花は美しく咲くけれど、昨年一緒にこの花を見た人は、今年はもうこの世にはいない――悠久なる自然と儚い人間の生命を対比した無常の詠嘆句である。翁の年齢になると“一緒にこの花を見た人が今はもうこの世にいない”を嘆じることは勿論だが、我が身が今年もまた桜花の美に浸ることが出来た幸せ(感謝)と、次なる歳の桜花との再会を願う祈りが一段と深まる。
東京都の桜の名所と言えば目黒川・新宿御苑・千鳥ヶ淵公園・六義園・上野公園。六本木ヒルズ(毛利庭園)・靖国神社・飛鳥山公園・代々木公園・昭和記念公園・市ヶ谷〜四谷土手・隅田川沿岸など数多 くある。翁、幾度となくこれらの名所での花見をしてきたが、高齢になるにつれ人混み、騒音に耐えられなくなり、近年は(自宅の)近場の“静かな桜の名所”を訪ねることにしている。例えば目黒区・碑文谷のサレジオ教会付近、碑文谷八幡参道の“桜堤”、五反田〜大崎の目黒川など。翁が最近、頻繁に利用している東急池上線や大井町線の沿線にも“密かな桜の名所”が沢山ある。翁、先日、大井町線(大井町から溝の口)に乗った。数年前、マンションの友人に案内されて「大岡山駅」前の『東京工業大学』の“校内桜”見物に行ったことがある。なかなか見ごたえのあるキャンパス桜だった。先日は「大岡山駅」の次「緑が丘駅」で下車、駅前から自由が丘までの1キロも続く桜並木の入り口を1枚パチリ(右写真)。この時間、幸いに人通りも少なく、まるで“桜独り占め”。再び電車に乗って「自由が丘駅」の次の「九品仏駅」で降り、駅の直ぐ傍の『九品仏浄真寺』へ。
以前から『九品仏』(くほんぶつ)とは、どんな仏様たちだろうかと気にかかっていたので、“今日は、桜見物と併せて九品仏を学ぼう”と、長い参道(写真左)を抜け、「仁王門」(写真中)をくぐった。「仁王門」の左側に「梵鐘」(写真右=いずれも東京都有形文化財)。
広い境内の西方に3棟のお堂「三仏堂」(写真左・中)がある。中央を「上品堂」(じょうぼんどう)、北側を「中品堂」(ちゅうぼんどう)、南側を「下品堂」(げぼんどう)と言う。翁は、これらの品堂を説明する知識を持っていないので割愛するが、それぞれの品堂に3体ずつ、合計9体の表情の異なる阿弥陀如来像が安置されている(写真右は上品堂に安置されている3体の阿弥陀如来)。ここでようやく『九品仏』とは、9人の阿弥陀如来(修行して悟りを開き、人々を極楽浄土へ導く仏様)であることを知る。
「三仏堂」の対面(東方)の本堂(写真左)に参拝。靴を脱いで木造の階段を昇ると、正面に金色に輝く丈六(じょうろく)のご本尊・釈迦如来の坐像(写真右)が参拝者を優しく迎えてくれる。丈六とは仏像の背丈(丈量)の基準。仏の身長は1丈6尺(約4.85m)、坐像の丈六像は1丈6尺の半分の8尺(約2.43m)。それでも台座が高いので、畳に正座して拝顔する参拝者にとってはかなりの威圧感と恭しさを覚える。本堂の右端に職員(僧侶)の詰め所がある。翁、僧侶に「東方のお釈迦様と西方の九品仏(9体の阿弥陀如来)の関係」を問う。僧侶いわく「端的に言えば師匠と弟子の関係ですが、お釈迦様は“十方諸仏”、即ち、宇宙には無数の仏が存在すると説いておられます。阿弥陀如来、大日如来、薬師如来など皆“十方諸仏”の仏様です。お釈迦様は宇宙の諸仏をお護りしています」――平俗・凡人の翁にはちょっと難しい説明だった。
さて『九品仏浄真寺』の桜は爛漫と言うほどのものではなかったが、翁が好む静かな佇まいの“仏の桜”に身を置く心地良さは抜群だった。無宗教、無信心の翁でも、凛とした雰囲気の神社仏閣を訪ねれば、やはり我が心が洗われるのを覚える。それ“無宗の信”か。
【花の舞う 阿弥陀の苑(その)に 立ちどまり 無明の闇の 明ける喜び】・・・っと、
そこで結ぶか『龍翁余話』。 |