龍翁余話(513)「湯島の白梅」
春一番に咲く花は梅の花。東京周辺での観梅の時期は、だいたい2月中旬から3月中旬。
文京区湯島にある『湯島天神』(湯島天満宮)の“梅祭り”も2月8日から3月8日まで。先日、寒風の中、何十年ぶりかで『湯島天神』へ出かけた。38段の(きつい石段の)“男坂”と右側の(33段の緩やかな)“女坂”の間に小規模な『梅園』がある。翁が訪れた日は、まだ3分咲きで鑑賞するほどではなかったので通過して、まずは本殿参拝。ここの御祭神は“開運の神様”天之手力雄尊(アメノタヂカラオノミコト)と“学問の神様”菅原道真公(平安時代の貴族・学者・政治家)とあって受験生の“合格祈願”の絵馬板が処々山積に。2祭神に関する説明は省略させていただくが道真公が右大臣(朝廷の最高機関の1つの地位)だった時、政敵の藤原時平(左大臣)の妬み・陰謀によって太宰府(福岡)に流されるが、京の都を立つ時に詠んだ歌【東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ】はあまりにも有名。ちなみに天満宮は全国に約12,000社あると言われており『湯島天神』もその1つである。
さて、本殿正面の『梅園』(写真左上)もまだ3分咲き程度。境内には約300本の梅が植えられており約8割が白梅(写真右上)、残り2割が紅梅(写真左下)、その中に淡紅色の『豊後梅(ぶんごうめ)』があると聞いていたので探していたら、本殿の横に咲いていた(写真右下)。『豊後梅』はその名の通り豊後国(翁の故郷・大分県))の特産品。清楚で優美な『豊後梅』は、花は大輪、果実は肉厚で梅干しやジャムに加工される。大分県の梅の生産量は、和歌山(1位)、群馬(2位)、奈良(3位)、長野(4位)、三重(5位)には及ばず13位だが、「味と質は日本一」と、少しばかり“ふるさと自慢”をしておこう。
白梅の花言葉は「高潔・忠実・気品」。なるほど玉垣沿いの白梅(写真上)の周辺には、不思議な気品が漂う。と、その時、ふと、泉鏡花(いずみ きょうか=1873年〜1939年、明治後期から昭和初期の小説家)の代表作『婦系図(おんなけいず)』(1907年発表)原作の映画『湯島の白梅』(1955年、大映作品、山本富士子・鶴田浩二主演)を思い出した――
≪早瀬主税(はやせちから)には、お蔦(おつた)と言う芸者上りの隠し妻がいた。主税は恩師(学者・酒井俊蔵)に結婚の許しを得ようとするが、酒井は自分の愛娘(妙子)と主税を夫婦にしようと、お蔦との離縁を迫る。義理ある恩師に逆らえず主税は『湯島天神』でお蔦に別れ話を持ち出す。お蔦も(恩師の厳命とあっては従わざるをえないと)断腸の思いで覚悟を決めるのだが、(仕事で)静岡に赴任した主税への想いは更に深まるばかり、食も喉を通らず、遂に病床に伏す。それを知った酒井は(主税とお蔦を無理矢理引き裂いたことへの詫びを兼ねて)お蔦を見舞うが、その時、お蔦はすでに息も絶え絶え、酒井は咄嗟にお蔦の耳元で「お蔦、主税もここにいるよ」と囁く。それを聞いたお蔦は微笑みながら静かに息を引きとる。主税が駆けつけた時は、お蔦はもうこの世の人ではなかった≫
(境内の奥には、泉鏡花の『筆塚』の石碑が立っている。)
もう1つ思い出すのが小畑実(1923年~1979年)の出世歌『湯島の白梅』(1942年)だ。
♪湯島通れば思い出す お蔦主税の心意気 知るや白梅 玉垣に 残る二人の影法師・・・
先ほど「映画『湯島の白梅』(1955年)を思い出した」と書いたが(翁は知らなかったが)実は、ずっと前に『婦系図』は2回も映画化されていたのだ。最初は1934年(昭和9年、田中絹代、岡譲二主演)、1942年(昭和17年)に『続婦系図』(山田五十鈴、長谷川一夫主演)。小畑実の『湯島の白梅』は『続婦系図』の主題歌だったらしい。『婦系図』、『湯島の白梅』の作品名や田中絹代、岡譲二、山田五十鈴、長谷川一夫、小畑実の名を知る人は(多分)後期高齢者たちだけだろう。まさに“昭和は遠くなりにけり”だ。
絵画に造詣は深くない翁だが、以前、どこかで竹内栖鳳(大正・昭和の日本画の巨匠)の『梅に鶯』の前で足を止めた記憶がある。梅の古枝にとまる鶯がまさに“春”を告げるが如く啼いているよう。そう言えば鶯の別称は“春告げ鳥”。ならば春一番に咲く梅の花は、“春告げ花”か。ともあれ、本格的な春はもう近い・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |