龍翁余話(484)「ダイヤモンドヘッド」(拡大版)
ハワイ オアフ島のシンボルと言えば、まず『ダイヤモンドヘッド』と答える人が多かろう。翁もワイキキビーチの向こう(東方)に、でんと構える『ダイヤモンドヘッド』を見ると“ああ、ホノルルに来た”を実感する。ところが翁のハワイ(オアフ島)行きは、もう40年近くも続いているのに、まだ、1度も登ったことがなかった。そこで、今回のハワイ旅行の目的の1つに『ダイヤモンドヘッド登山』を計画した。冷静に考えてみれば、この真夏(7月)の猛暑の中(と言っても、オアフ島の最高気温は平均摂氏32度前後、日差しは強いが日本ほど湿度が高くないので、そよ風に吹かれたり木陰にいると汗は引っ込むので、翁には猛暑の感覚はないが)八十路を過ぎた老体には、ちょっと無理な計画かも知れないと、ワイキキの浜辺に立って(かの山を)眺め、一瞬、躊躇する。しかし、まだまだこの世に未練いっぱいの翁、体力的にはラストチャンスかもしれないが、出来れば“オアフ島最大のパワースポット”と言われる『ダイヤモンドヘッド』で壮健余生のためのインスピレーション(霊感)を体感したい、と煩欲をみなぎらせて、7月某日、登山を決行した。
低いように見えても山は山、登山するにはそれなりの準備が必要だ。ガイドブックを読んだり現地の友人に話しを聞いたりして、まずは水(翁は大きなサイズの水筒)、履物はスニーカー、半ズボンにTシャツ、帽子、勿論、カメラ、携帯電話も。実は翁、『ダイヤモンドヘッド』への道は、これまでに何回もドライブしているので熟知している。ワイキキ(カピオラニ公園)から車だと約10分で登山口の駐車場に着く。(入山料1人1ドル込みの)駐車料金5ドルを払って、いよいよ登山だが、忘れてならないのがトイレ、この先にトイレはない。最初の5,6分は比較的平坦なコンクリート道だが、そのうち凸凹の山道に入る。道幅が狭いので下りて来る人とすれ違うのがやっと。その時、笑顔でちょっと挨拶を交わすのも心がなごむ。途中までで日本人に出会ったのは中年夫婦2組、若者同士3組。その日は圧倒的に白人が多かったが、相変わらずあの国の観光客が(記念写真を撮るため)道を塞いで、翁をはじめ他の登山客の顔をしかめさせる場面も幾度かあった。
頂上に辿り着くまでに(登山入り口で貰った)『ダイヤモンドヘッド』の概要を紹介しておこう。『ダイヤモンドヘッド』は、約30万年前に起こった噴火によって形成されたクレーター状の死火山、とある。広い受皿型の噴火口は1.4平方キロに亘り、外輪山の南西部が頂上となっている。1,700年代後期にヨーロッパの探検家や商人たちがこの山を訪れて、噴火口壁面の岩石の中に光る方解石(無色透明、または白色でガラス光沢がある鉱物)の結晶を見つけ、ダイヤモンドと見誤ったことから『ダイヤモンドヘッド』と呼ばれるようになったそうだ。『ダイヤモンドヘッド』の山頂は、オアフ島の沿岸防衛には理想的な場所であり、1904年にアメリカ連邦政府が買い上げ軍用地にした。1908年には山頂5カ所に砲台やそれを結ぶトンネルが建設され、本格的な要塞化が始まった。
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だが、戦時中(太平洋戦争中)この砲台から1度も発砲することはなかったそうだ。今も攻撃統制所(写真左)や砲台(写真右)の跡が残されており、往時が偲ばれる。なお、軍撤退後、1968にハワイ州自然記念公園となった。
さて、標高232m、登山口から171m、けっして高い山ではないが山頂に近づくにつれ、きつい急勾配が続く。高所恐怖症の翁、下を見るのがどれほど怖かったことか(写真左)。74段のコンクリートの階段を登りつめると最初のトンネルに入る(写真中)。70mもある狭いトンネルだ。そのあとに99段の石段が待ち受けている(写真右)。
その石段は各砲撃統制所に連結しているそうだ。それにしてもこの99階段は、翁にとっては“心臓破りの階段”だ。最初の石段に足を乗せる前に呼吸を整え、水を飲んで“さあ、もう一息だ”と発奮した時、たまたまそこに下りて来た日本人ご夫婦から「あと、もう少しですよ、頑張ってください」との励ましの声をいただいた。「はい、頑張ります!ありがとう!」とお礼の言葉を返した。一瞬の出会いだったが、こんな場所で、日本語で励まされるとは――嬉しくて元気が出たことは言うまでもない。登山口から約1時間(健脚な人なら45分)、ようやく山頂に辿り着いた。
「絶景かな、絶景かな」――歌舞伎狂言『楼門五三桐(さんもんごさんのきり)』で大盗賊・石川五右衛門が南山寺(京都、臨済宗禅寺)の山門から満開の桜を愛でて言うセリフだが、ここ『ダイヤモンドヘッド』の山頂から見下ろすホノルル市内の高層ビル群、海辺に林立するホテル群、ワイキキビーチ、カピオラニ公園、波乗りやヨット群の太平洋は、まさに「絶景かな、絶景かな」。
更に、五右衛門の、煙管を吹かしながらのセリフは続く「値千両とは小(ちい)せえ、小せえ。この五右衛門の目からは値万両、万々両・・・」タバコを吸わない翁、水筒の水をぐい飲みしながら「さすが大泥棒の五右衛門め、銭(ぜに)勘定で価値判断するが、霊感(パワー)求めて登って来た俺の目には、この絶景と爽快感・充足感は、とうてい銭には代えられねえ」と呟く。気が付けば、高所恐怖症の翁、展望台の手すりにしがみついていたので頂上からの写真は左端の1枚だけ。(波乗りと、ヨットの写真は、ダイヤモンドヘッドの麓から。)
下山したら“心臓破りの99段の石段”で翁を励ましてくれた日本人のご夫婦と再会した。
日本ではめったにすることのない握手も、外国(ハワイ)ともなれば(どちらからともなく)自然と手が出る。翁と同年輩とおぼしきご主人が言った。「思い切って登山してよかったです。いい冥途の土産になりました」翁は言った「いえ、私は今、冥途から生き返った気分です。冥途行きは、ずっと先にしましょうよ、お互いに」お二人は笑った。奥さんが「その通りですね、まだまだ、ですよね」その奥さんにご馳走になった(登山口広場にある出店の)かき氷の美味かったこと――いい出会いだった。山からとお二人からパワーを頂戴した。「どうぞ、よい旅を」翁は(今度は奥さんとも)握手してお別れした。
ワイキキに戻り、さっき制覇(?)したばかりの『ダイヤモンドヘッド』の勇姿を眺め返す。じわじわと充足感が湧き上がる。確かに“火の女神ペレ”から“壮健パワー”を授かった気分になった。そして日本人ご夫婦からも温かな“ヒューマン・パワー”を頂戴した。八十路の心を奮わせた、貴重な『ダイヤモンドヘッド登山』であった・・・っと、そこで結ぶか「龍翁余話」。 |