龍翁余話(475)「没後150年の龍馬展」
この『龍翁余話』で、龍馬を取り上げるのは2回目。現代に至ってもなお語り継がれる歴史上の人物は数々いるが、地盤(支持組織)・看板(地位、知名度)・鞄(資金)がなかった郷士(下級武士)の坂本龍馬が、没後150年も経っているのに何故、いまだ高い人気を得ているのか――【日本を今一度せんたく致し申し候】と言って封建制を是とせず、権力に屈せず、自由奔放に“我が信じる道”を往き、1867年(慶応3年=旧暦)11月15日、志(こころざし)半ばの満31歳の若さで非業の死を遂げた(暗殺された)男の生きざまに、現代人の多くは共感と憧れを覚えるのだろうか。若い頃の翁がそうであったように――
龍馬が一般的に有名になったのは、龍馬の思想・行動・人間関係などを史実に基づいて描いた司馬遼太郎の代表作『竜馬がゆく』からではなかっただろうか。この歴史小説は1962年6月21日から1966年5月11日まで産経新聞の夕刊に連載、1963年から1966年にかけ文藝春秋から全5巻で刊行された。翁は直ぐにその5巻に飛びついた。ちょうど翁が会社(映像制作会社)を起ち上げた頃だったので、龍馬の“我が信じる道”と翁の“これから歩む道”を重ね合わせ、奮起したものだった。
更に、龍馬をメジャー化したのは、1968年(昭和43年)のに放送されたNHKの大河ドラマ『竜馬がゆく』(北大路欣也主演)ではなかっただろうか。このドラマは司馬遼太郎の原作を忠実に映像化したもの。ちなみに2010年(平成22年)にも大河ドラマ『龍馬伝』が放送されたが、何しろフィクション(史実とは異なる作り話)が多くて、翁は苦々しく思いながら、それでも毎週視たのだが、主演の福山雅治の人気にあやかってか高い視聴率を得て全国的に“龍馬ブーム”が起きたことはご承知の通り。
龍馬を普遍化させたのは、確かに司馬遼太郎の小説と大河ドラマ『竜馬がゆく』『龍馬伝』であったと思うのだが、よく調べて見たら、龍馬に関する書籍がけっこう多いことを知る。その中で1883年(明治16年)に高知の自由民権派の新聞「土陽新聞」に連載された坂崎紫瀾(さかざきしらん=1853年〜1913年、歴史家・小説家・自由民権運動家)が書いた小説『汗血千里駒』(かんけつせんりのこま)で明治の人々は“一介の野人・坂本龍馬”の存在と、倒幕、維新への最大の功労者であったことを知り、驚嘆し尊敬の念を強めたという。
龍馬が師と仰ぎ、世に送り出してくれた旧幕府の重鎮・勝海舟は、維新後、参議兼海軍卿、元老院議員、枢密院顧問など明治新政府に請われて(短期間)歴任したが、その海舟が愛弟子・龍馬を「彼奴(龍馬)は最初、俺を殺しに来たが、俺の言うことを真っ直ぐ受け止め、俺の所に居座った。若いが沈着で威風を感じる男だった」と述懐している。また龍馬が西郷隆盛と面談した後の印象として「こちらが小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。西郷は正に大鐘の如し」と評したことについて海舟は「評される(西郷)も人物、評する(龍馬)も人物」と言った。“釣り鐘のような人物”と評された西郷も「我、天下の有志と多く交われど、純粋にして度量の大なる人物は龍馬のほかになし」と評した。
さて翁、先日、江戸東京博物館へ『没後150年 坂本龍馬展』を観に行った。ゴールデン・ウイーク中だったので混雑は覚悟していたが、やはり“龍馬ファン”は多かった。小学生や中学生までもが「竜馬って、凄いね」を連発していた。外国人参観者もけっこう多かった。展示は『竜馬生誕の時代』『土佐脱藩と海軍修行』『龍馬の手紙』『龍馬の遺品』『薩長同盟から大政奉還〜龍馬の死』などのコーナーに分かれている。
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その中で翁が特に足を止めたのは2か所。まずは『遺品コーナー』。龍馬が愛用した刀(陸奥守吉行)とピストル(写真左)、龍馬は2つの拳銃を所持した。1つは長州・高杉晋作からのプレゼント。もう1つは薩摩藩から。写真の拳銃は(多分)龍馬が寺田屋で使用した高杉からのS&W(6連発)だと思う。次は龍馬が修行した北辰一刀流の免許皆伝書(写真右)。その皆伝書には北辰一刀流開祖の千葉周作、現道場主の千葉定吉(周作の弟)、定吉の息子・重太郎、定吉の娘・佐那(さな子=龍馬の婚約者だった)の名が明記されている。
もう1カ所は『手紙コーナー』。龍馬はよほど“筆まめ”だったのだろうか、沢山の手紙が残されている(展示されている)のだが、はっきり言って悪筆(金釘文字)だ。姉・乙女に宛てた手紙が一番多いそうだが、その中の1つに、龍馬が妻のおりょう(お龍)を連れて九州旅行をした(日本人初の新婚旅行の)有様をイラスト入りで書き留めた手紙もある(写真右)。文字は読めないが、解説によると和気神社、犬飼の滝、塩浸温泉、霧島神宮、霧島温泉郷、高千穂峰(天の逆鉾を引き抜いた話)などの思い出が細かく綴られているそうだ。偉業(薩長連合)を成し遂げた龍馬にとって人生最高の至福の時であったろうと想像する。
龍馬は多くの名言を残している。中でも翁が好きな言葉は「事を成さんとすれば、勇気・智・仁を蓄えねばならぬ」――世の政治家たちに言いたい「君たちは、己れを捨て国家のために成すべき勇気・智・仁ありや、龍馬に学べ」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |