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1093号

NO.1093     Ryo Onishi              4/23/2017

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雑貨屋のひとり言

金曜日は第19回関西加州会があり一年ぶりにみなさんと会いました。みなさんいつもと同じようにとてもお元気でした。今回は例年のような参加者全員のスピーチはありませんでしたが21時ごろまで、幅広い話題(介護から政治まで)の話ができ、楽しい時間を過ごせました。いつもお世話いただいている田渕さんありがとうございました。
杉田さんが着けていたおしゃれなピンバッジを拝見していたら私にそれをくださいました。ジャズが好きな私にぴったりなベースのピンバッジです。大事にさせていただきます。≪R.O≫

 

 一 番 若 い 今

私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。

ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。そこで時折、磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。

『一 番 若 い 今』(磁針寄稿文、1997年12月掲載)』
ここ数年、パソコンを始め、情報機器関連商品(ソフトウエアを含み)の進歩・変化の激しさには驚くばかりだ。商品としての寿命はせいぜい半年といわれ、6ヶ月後にはもう後継モデルが次の出番を待っている。

そしてその後継モデルは現行モデルより確実にテクノロジーも進み、コストパフォーマンスも良いものになっている。ということは欲しい商品があった場合、すぐ買わずに数ヶ月待てばもっと良いものが買え、その後更にほゞ6ヶ月待てばもっともっと・・・ということで際限がない。

「それなら一体いつ買えばいいのかネ」 と聞かれて、「あなたが死ぬ直前に買えば、あなたの一生で最高のものが買えますよ。さもなければ、新モデルが発売になる都度(ほゞ6ヶ月毎に)最新のものを買ってください。私としては後者をお勧めします」 なんてメーカー側のセリフが聞こえてきそうだ。

「あなたが死ぬ直前に‥」というのは勿論ジョークだが、人間は刻一刻年をとる。年を重ねる途中のある時 、新事業など新しい分野への挑戦のチャンスが巡ってきたとする、そうするとその時30代である人も、40代である人も、50代、60代、70代である人も 殆どの人は異口同音に「せめて私があと10歳若かったら‥」 と言うそうだ。

かくいう私も恥ずかしながらいつもそう言ってきたようだ。数年前、ベストセラーになった 「大往生(永 六輔著)」という本に、「あなたの人生にとって一番若い時は『今』であり、また 明日という日は永久に来ません」 と書いてあった。

「過去はもう過ぎ去ったものだから、今の自分にとっての人生とは今の瞬間から死ぬまでということになり、従って『今』が人生の中で一番若い時なのだ、そして『明日』になればその時はもはや『明日』ではなく『今日』でありいつまで経っても『明日』は来ないのだ」という意味だったと思う。

したり顔して無事無難な人生を送る事もそれはそれで悪くはないのだろうが、でも何かをするのに「遅すぎる」という時はなく、何でもプラス思考で挑戦すれば「思い立つ日が吉日」になるということも常にしっかり胸に刻んでおきたいものだ。

私ももはや若くはないのだから(ソラ!その発想がいけないのだ!)確かに体力には多少限界があるけれど、年を重ねた分だけ余計に経験・知識・分別などが豊かな筈だ。

「明日になったら始めよう」と思っている限り、永久にスタート出来ない。なぜなら「明日という日は決して来ない」のだから。「今日という日」 にすぐ逃げられて、「明日という日」 もまた来ない。そんな毎日にだけはしたくないものだ。

河合 将介( skawai@earthlink.net )

 

    

川柳(東京・成近)

 


( 川 柳 )


富士山が昔見えたと鬼瓦

目印の店がなくなってた略図

我が街がスカイツリーを見上げてる

ふる里の地図真ん中をリニヤカ―

宇宙行く夢を子どももロボットも


( ニュースやぶにらみ )


「女性問題で離党」
やったのは私人の中川なのに −中川議員

「数千億円の損失」
日本郵政お前もか −東芝

「選挙区割りの見直し」
頭の下げ直し −候補者


河合成近
nakawai@adachi.ne.jp

http://homepage3.nifty.com/itukabouzu/

龍翁余話

龍翁余話(473)「水俣堂々〜もやい直し」

つい先日、熊本県水俣市経済観光課からレターパックで書籍が届けられた。2月中旬、同市が読売新聞に掲載した『水俣堂々』という本の広告を目にして、かつて(少しばかり間接的に)水俣と関係のあった翁は、それを入手したくてハガキで申し込んでおいたのだ。単なるPR誌と思っていたら何と翁の想像をはるかに超えた(350ページにも及ぶ)水俣市の歴史・文化・環境と、そこに住む人々の“今と明日に生きるバイタリティ”を彷彿させる“水俣讃歌の集大成誌”であることに驚く。「〜〜日本で初めて“環境首都”に認定された水俣は、昔からの山・川・海の美しさと豊かさに恵まれ、そこに暮らす人々の知恵と高い志(こころざし)が過去・現在・未来へ“堂々”と受け継がれている」の巻頭文がいい。

“環境首都”というのは――2001年度から2010年度までの10回に亘って、持続可能な地域社会をつくる目的で『日本の環境首都コンテスト』というのが(複数の)環境NGO(民間団体による非政府組織)によって催された。つまり、全国市町村の中から自然保護や環境保全の分野で優れた行政活動を行なっている自治体を選出し“模範的環境首都”に認定しようというコンテストであったが、2009年度(第9回)までは「該当なし」だった。ところが水俣市は2010年度に「すべての環境基準をクリアした」として“模範的環境首都”に合格、全国初の『日本の環境首都』に認定された。だが、その栄冠を獲得するまでに、水俣市には筆舌に尽くし難い苦難の歴史があったことを我々は忘れることは出来ない。

1908年(明治41年)日本窒素肥料(株)(現チッソ(株))が、この自然豊かな土地で操業を開始、水俣市の雇用や所得拡大に大きく貢献した。水力発電の会社としてスタートした同社は、その電力を利用してカーバイド(炭化カルシウムの略称)工場をつくり、やがて化学肥料の生産から酢酸、塩化ビニール、それを形にするのに必要な可塑剤(かそざい=ある材料に柔軟性を与えたり、加工しやすくするために転化する物質)の生産を行なうようになった。同社は1932年(昭和7年)から36年間に亘り、酢酸や塩化ビニールを原料となるアセトアルデヒド(車の排気やタバコの煙、合板の接着剤などに含まれる大気汚染物質)を作る時の触媒として無機水銀を使用、その過程で副生されるメチル水銀を、何も処理せず水俣湾に垂れ流していた。メチル水銀は有機水銀の一種で、胃腸から吸収され、肝臓や腎臓、脳や胎児にまで運ばれて主に神経系を侵し、手足の痺れや耳鳴り、視野狭窄などの症状を引き起こす。その恐ろしいメチル水銀によって海は汚され、獲れる魚は猛毒を含み、漁師はもとより、その魚を食した人々の体を蝕み、大勢の人が病に苦しみ、尊い命までも奪われた――これが、いわゆる“水俣病”である(以上の”水俣病“に関する説明は、財団法人「水俣病センター相思社」の資料による)。

今号は“水俣病”の詳細については割愛するが、冒頭に「かつて少しばかり間接的に水俣と関係のあった翁・・・」と述べた。“水俣市”とか“水俣病”の文字を見るだけで翁は、今は亡き忘れ難き親友を思い出さずにはいられない。その人の名は砂田 明。実は2012年2月に『龍翁余話』(219)「水俣病告発に命を賭けた新劇俳優・砂田 明」を配信した。その1部を抜粋する。【砂田 明と出会ったのは、翁が駆け出しの映像ディレクターだった頃だった。当時、彼はすでに中堅新劇俳優として、また劇団『地球座』の主宰者としてその名は広く知られていた。年齢は翁よりかなり年上だが、個人的にも“砂ちゃん”“龍さん”と呼び合う程の仲だった。その“砂ちゃん”、1970年に石牟礼道子(いしむれみちこ=熊本県天草市出身の作家)の代表作『苦海浄土』(水俣病犠牲者への鎮魂の書)に触発され、10数人の劇団員を連れて“水俣巡礼行脚”を行なった。行脚から帰京した彼は、夜を徹して翁に水俣病の恐怖、患者の悲惨さ、更には環境汚染の重大な国家・企業責任を語ってくれた。当時、彼は『東京・水俣を告発する会』の世話役をしていたので、その影響で翁も多少は水俣病の知識は持っていたが、それは彼の“水俣への思い(告発の使命感)”を充分に測り知る程の理解度ではなかった。しかし彼はすでに“新劇俳優・砂田 明の行くべき道”を決めていた。すなわち、東京中心の演劇活動を捨てての“水俣移住”だった・・・水俣病患者であり水俣病互助会会長であった水俣市袋神川の田上義春氏(2002年に死去)に土地を提供して貰い、そこに住宅兼芝居小屋を建て、妻(エミ子さん)と二人三脚で水俣病告発劇・一人芝居『天の魚(てんのいお)(石牟礼道子原作、砂田明脚色)の全国勧進行脚を続けた。翁が初めて水俣(砂田家)を訪問したのは1982年、そして翁が本格的に『天の魚』のドキュメンタリー製作に取り掛かったのは1991年4月だった。が、その時“砂ちゃん”の体が病(病名不明)に蝕まれていることを翁は知らなかった・・・翌年、翁の未完成の作品『天の魚』を病床の“砂ちゃん”に届けた。そして1993年7月16日『水俣病告発に命を賭けた俳優・砂田 明』は65年の生涯を閉じた・・・】――後年、翁は“砂ちゃん“が水俣移住直後にご自宅の裏山に建立した『生類慰霊廟・乙女塚』にお参りし、しばしの間、”砂ちゃん“との別れを惜しんだものだった。

さて、このたび水俣市経済観光課が発行した『水俣堂々』には、(意識的にかも知れないが)
暗い過去には深く触れず(『環境首都』らしく)恵まれた自然美・豊かさ・そこに住む人々の知恵と高い志(こころざし)が全ページに綴られている。中でも翁が最も注目したのは(太陽光発電システム・太陽熱温水器・雨水活用システムを備えた複合施設)『もやい館』である。もやい(舫い)とは、船と船を繋ぎ合わせるという意味だ。この『もやい館』の主旨に「水俣病の発生で、いったん壊れてしまった人と人との関係、人と自然との関係を再び繋ぎ合わせようということで始まったのが“もやい直し”だ」と謳われている。「水俣市民がお互いに支え合い、共同して何かをしよう」とする意志(意気込み)が『もやい館』に込められているように思える。翁が生あるうち、もう一度、水俣市を訪問する機会があれば、是非とも“もやい直し”の実態を見聞きし、水俣再生に命を賭けて逝った『天の魚』の“砂ちゃん”に報告したいと思うのである・・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

 

茶子のスパイス研究

香りを食べる

新緑のシーズンになると、木の芽(山椒の新芽)も旬の食材として出回る頃だ。山椒はミカン科だからなのだろうか、香りが何とも爽やかで清々しい。この山椒の新芽は4月から5月頃に日本のデパートの青果売り場で見かけるようになる。高級食材として値段も結構高いので料亭で見かける事はあっても個人では、なかなか使う機会が無い。スパイスやハーブに興味を持ち始めてから何度か山椒の新芽をデパートで買った事があったけれど、香りが弱くて彩を添えるお飾り程度のものでがっかりした事もあった。
最良のものは、料亭などに行ってしまうのだろうか…山椒の実から作られる粉山椒の方は1年中いつでも手に入るけれど山椒の新芽は、この時期だけの贅沢な食材なのだ。

こちらの米国日系のマーケットでも見た事がない。この貴重な山椒の新芽を先日Oxnardで農業を営んでいるN社長から頂いた。こういう時は身近に生産者の人がいる事を有難く思う。
珍しい山椒の新芽が手に入った事をClientさんに伝えると、とてもエキサイトしてくれた。どんな料理に使おうか考えてみたけれど、やっぱり最初は春の食材の筍を使う事にした。なるべく山椒の新芽の香りが引き立つように、だし汁で薄く煮てみた。そして手の平の上に山椒の葉を置いてパンと叩いた瞬間、キッチンの傍にいたClientさんが“うわ〜すごい、ここまで山椒の香りが匂ったわ”と感動した。私もその匂いの強さに改めて、びっくりした。次にすり鉢に白味噌とみりんと山椒の葉を入れて山椒味噌を作ってみた。網で良く焼いたおにぎりに塗って食べてみたら山椒の新芽の香りがして美味しかった。“香りを食べる”なんだか、とても贅沢で粋な感じがする。
そう言えば、秋のマツタケも香りを楽しむ高級食材だ。極上ステーキよりも高いマツタケを買う日本人をアメリカ人は理解する事が出来るだろうか…
春夏秋冬、其々の季節の中で育まれた旬の食材を研究し伝統として日本の食卓に引き継いできた和の職人たち。日本食は繊細で奥深い。

茶子 スパイス研究家

 

さくらの独り言

今週はお休みです。

 

ジャズライフ−今週のお奨めアルバム

関西加州会でお会いした水光さんとの話にPatti Pageのテネシーワルツが出てきました。テネシーワルツは"I was dancin' with my darlin' To the Tennessee Waltz".と始まりますが、Toは"どこそこへ"の意味ではなく"〜にあわせて"という意味であると学生たちに講義したことがあると言われて、そうだなと感心しながら、今週はこの曲にしようと決めました。
I was dancin' with my darlin' To the Tennessee Waltz
When an old friend I happened to see
Introduced her to my loved one
And while they were dancin'
My friend stole my sweetheart from me

"Tennessee Waltz" Patti Page

 

ジャズアルバムの紹介リスト
http://www.zakkayanews.com/jazzlist.htm  
《R.O.》

 

編集後記

先週、Sさんからメールが届きました。しばらく誰かわかりませんでしたがアマチュア無線のコールサイン(JA3)で思い出しました。Sさんとは約50年前に50MHzのアマチュア無線で知り合いました。私のコールサインから雑貨屋にたどり着いたようです。Sさんは今でもハムをやっておられます。電話で最近のハムや電波事情を熱く語られていました。近いうちにSさんとお会いすることにしています。

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Zakkaya Weekly No.1093

雑貨屋 店主 大西良衛   http://www.zakkayanews.com/
              
tenshu@zakkayanews.com