私は当地ロサンゼルスを中心とする日系バイリンガル新聞である羅府新報の『磁針』欄に、ほぼ月一度寄稿をしています。ここで磁針寄稿250回を迎え、これまでの寄稿文を整理しています。
ほとんどの文章は当、雑貨屋ウイークリーに投稿しているコメントですが、『磁針』のほうはロサンゼルスを中心に滞在している日本人や日系人を対象にしており、また紙面の都合上、文字数に制限があり(860文字)、雑貨屋用とは若干ニュアンスが異なった書き方、内容になっています。そこで時折、磁針寄稿文をここにも連載させていただき、ご参考に供します。
『無常・無我』(磁針寄稿文、1997年11月掲載)』
先日 サウスベイのホテルで開催された某新聞社主催の「渡辺淳一氏講演会」に行ってきた。時代の寵児、人気作家の講演会だけに
当初の定員(500人)を大幅に越える聴衆で溢れかえっていたのは、さすがだった。
渡辺氏は講演の中で「自分は理性で処理出来ない感性・情念といったものに興味があり、小説を書いている」 と述べていたが、
富と物の豊かさ偏重の現代で、物と心のバランスがくずれていると常々感じている私もこの点には共感を覚えた。
人間としての感性、情念、美学など心の問題は私たちにとって生きてゆく命の原点とも言うべきものであり、同時に人類究極のテーマだと思うからだ。
自著「失楽園」について、『神からこの俗世界に追放されたのが人間であり、原罪をを背負っているのが人間ならば、私はそれを徹底して書いてみたかった』
『燃えたぎる愛を書こうとすれば、不倫の形になる』『絶対愛を突き詰めていくと、相手を破壊するか死に導かない限り、愛の完成はない』『相手が誰であれ好きな人を愛すること、これは間違いなく善である』
等々、渡辺氏の言葉には 少なくとも私の年代では
かなりの抵抗感もあったが、(尤も渡辺氏ご自身も私の年代なのだが)でもよく聞いていると、彼は決して
不倫を奨励している訳でも、破滅や死を望んでいる訳でもなく、ただ
ひたすら感性というフィルターを通して人間本来の姿を探し求めているらしいことが解ってくる。
私がこの講演から感じたものは、「この世のすべては 男女の愛も含め、常に刻々と変化する。我々一人一人は その変化の中で常に
豊かな感性と心を持ち続け、人 本来のふさわしい生き方を考えようではないか」
というなんとも世間一般の常識から脱しきれないものだった。
以前読んだ“般若心経”の解説書に「この世のすべては移ろうもので常ならず(無常)、お互い関係しあって存在する(無我)」
といった内容があったが、私は渡辺氏の講演を聞きながら、なぜかこの“般若心経”を思い出していた。
それにしても
渡辺淳一という人は、あの年齢で燃えたぎる情愛から男女の機微まで身体をはって見事に小説の中に表現しているが、そのエネルギーはどこから出てくるのだろう。(ありやあ、バケモノダ・・)でも心のどこかで共感してしまうから
不思議だ。
因みに、私も彼の話題作「失楽園」は 新聞連載時に 心ときめかせながら毎日読み続けていた一人だった。 |
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |