私は残念ながら、ここ数年、体調の関係で医師から旅行、単独ドライブなどを原則として禁じられ、またコミュニティ活動からも身を引かざるを得ず、透析、医療チェックなどの外出以外は家で静かにしている日々が続いています。
ただ唯一、例外として趣味の詩吟だけは続けており、週一度の詩吟 クラスや年2回の吟詠発表大会に妻の運転で参加し、楽しんでいます。
古来、中国や日本の文化人(漢学者だけでなく、広く一般の文化人、政治家や役人、軍人なども含む)は漢詩を詠むことを嗜みとし、才を競うという文化がありました。
中国には李白、杜甫、王維、白楽天、など詩聖、詩仙、詩仏とも称された詩人もいて後世に名を残しています。
また、日本人でも、思いつくままに列挙しても、頼山陽や吉田松陰、広瀬淡窓、菅原道真、夏目漱石、伊達政宗、上杉謙信、良寛、西郷隆盛、高杉晋作、近藤勇、伊藤博文、乃木希典、東郷平八郎、・・・と、錚々たる名前の人々が後の世に残る秀作漢詩を詠んでいます。
詩吟とは、これら東洋古今の偉人、賢人たちの磨きぬいた詩に独自の節をつけて吟ずるもので、数百年の歴史を持つ日本古来の伝統文化であり、詩からは品位と人生に対する幾多の教訓を学ぶことができます。
詩吟は臍下丹田に力を込めて、声を張り上げるため、健康向上に役立ちます。日常生活の中で、大声を張り上げることが少ない私たちにとって、この腹式呼吸による大声発声法は身体の内側から内臓の強化にも多大の役割を担っているはずです。
さらに、思い切り声を張り上げることによって、日ごろのストレス解消にも役立ち、心身共の健康に効果的なのです。
また、詩吟は歴史とその教訓を知り、一般教養が身につくのだから健康指向・教養指向の現代人にもピッタリな趣味として最適です。
最近、日本では若者の中に歴史ブーム、漢字ブームが発生したり、日本古来の文化に対する関心が高まっているようです。戦後70年以上を経て日本の若者たちの間で自国の文化を見直そうとする動きが出てきたからかもしれません。
特に若い女性の間に『れきじょ(歴女)』、『しろガール(城ガール)』、『てっちゃん(鉄ちゃん=鉄道撮影マニア)』などという趣味が流行っているようですが、詩吟もこれらの趣味の中に入らないだろうか、と期待しているところです。
詩吟は健康、歴史、一般教養などに役立つ道具であり、趣味である割には、今の若者から敬遠されがちで、いまいち人気がありません。私たち詩吟の会への若い入会者は年々減少し、何年か後には存続の危機に瀕するかもしれません。
詩吟の欠点は、吟ずべき漢詩の内容が現代人にとって難解で理解しづらいことだと思います。
今の若い人に『べんせい しゅくしゅく よるかわをわたる(鞭声粛粛 夜河を過る)』とか、『こあん あめをついて ぼうしをたたく(孤鞍
雨を衝いて
茅茨を叩く)』などと聞かせても、聞く方はチンプンカンプンでしょう。詩の文字を見せてもらっても、意味を十分理解できないのではないでしょうか。
私たちロサンゼルス周辺の詩吟流派の連合体(南カリフォルニア詩吟連盟)は毎年、当地の『二世ウイーク祭り』に協賛して吟詠大会を催していますが、数年前、来賓として顔を見せてくれた『ミス二世クイーン』のお嬢さんが、英語での挨拶の中で、『私はアメリカ生まれの日系三世です。日本語が達者でない私はこれから日本語をもっと勉強して、皆さんが吟ずる詩吟を即理解できるようにしたいと願っています。』と述べていました。
ミス・二世クイーンのお嬢さん、どうぞ安心してください。ここに参集している吟士の皆さんだって、他人の吟ずる詩を聞くだけで100%理解できている人はまずいませんから。
最近は詩吟も現代風に伴奏付きの詩吟など、カラオケ時代に合わせた工夫もされてきていますが、意味が難解なのが問題のようです。
そこで、私の提案なのですが、難解で古めかしい漢詩だけでなく、思い切って近代的な流行歌などの歌詞を借用して詩吟風に節付けしてみるというのは如何でしょうか。
もちろん本来の漢詩である、品位と教訓に満ちた日本古来の伝統は大切に保存しながら、そのための『取り付き』入口用の位置づけとなるものを新たに創るのです。これらを『裏詩吟』、『サブ詩吟』、または『新詩吟』といって本来の詩吟と区別します。
たとえば、前回ご紹介した『スーダラ節』などはその一例です。この歌は、そのままの節(曲)では、どうしても退廃的なコミック臭が抜けきらないので、詩吟風の節付けに変えるのです。
(吟題)スーダラ節 青島幸男作
(朗々調) チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
(万歳調)気がつきゃホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体にいいわきゃないよ
わかっちゃいるけど やめられねぇ |
音符のない詩吟の節付けを、上記のような言葉だけで表現するのは難しいですが、これで原曲のスーダラ節よりは、一般的に解釈されている意味合いから離れた『人間の業(ごう)や生きざま』を謳い、人間に対する深い思いが込められている内容なのだとの解釈・説明もし易くなるし、現代の人々にも親しみを感じてもらえるのではないでしょうか。
このようにして気楽に楽しみ、それが本格的な詩吟へとつながってゆけばよいと願っています。
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |