龍翁余話(448)「神田古本まつり」
実りの秋、食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、行楽の秋、読書の秋・・・これらの文字や音を目にしたり耳にしたりするだけで“やはり秋はいいなあ”をつくづく感じる。翁の個人的なことを言えば、食欲とスポーツ(ゴルフ)は秋に限らず年中、おかげでメタボと日焼けも年中。行楽シーズン中の行楽は避けるが、老齢になった今でも、年に数回はドライブやバスツアーなどの小旅行に出かける。ところが芸術鑑賞(美術館・博物館巡り)や読書は加齢とともにめっきり減った。特に読書だが、かつては翁が持ち歩くバッグの中には文庫本や単行本を入れておいて(例えば)電車の中や病院での待ち時間、あるいは就寝の前に拾い読みをしていた。それが近年、バックの中は携帯電話、カメラ、薬、保険証、印鑑、のど飴、ティッシュ、タオルなどで本の類(たぐい)は無くなった。それでも、たまには新書や古書の小説を買って来て“燈火稍可親(灯火、ようやく親しむべし)”の風を装ってみるが、いつの間にか睡魔に負ける。1冊読み終えるのに2、3週間かかることもある。加齢とともに“読書根気”が無くなったのだ。
文化庁が今年3月に行なった『国語に関する世論調査』(16歳以上3000人対象)によると、「1か月ほとんど本を読まない」の回答が約48%あった。特に高齢者層では約70%。高齢者の“活字離れ”は体力(特に視力)の衰えに起因すると文化庁は分析しているが、翁の場合は“読書意欲”と“読書根気”の衰退が一番の原因だ。更に文化庁の発表では、読書量の減少(活字離れ)は全ての年代層にも共通している。「以前に比べ(自分の)読書量は減っている」と答えた人が約65%。減少の理由で最も多かったのは「仕事や勉強が忙しくて本を読む時間が無い」が約52%、「携帯電話やパソコン、テレビなどの情報機器で時間がとられる」が約50%。翁の読書量の減少理由も(本当は“読書意欲“や”読書根気“衰えているのに)「パソコンにしがみついている時間が長い」ことを言い訳にしている。
ところで、10月28日から『神田古本まつり』(第57回)が開かれている(11月6日までの9日間)。東西は駿河台下交差点から専修大学前交差点までの靖国通り沿いと神田すずらん通り沿い、南北は神保町交差点からJR水道橋方面の白山通り沿いに、ほとんどの古書店が集中している。その数、約170店、扱い冊数は約100万点、その規模は世界一と言われる。まつりの期間中、全国から約50万人の“古書愛好家”が集まるそうだ。中には外国からも“日本文化愛好家”がやって来ると言う。翁も開催前の某日、数十年ぶりに古書街を歩いた。地下鉄・三田線の神保町駅を降りて靖国通りに出る。神保町の交差点を挟んで小川町(駿河台下方面)と九段方面に軒を並べる古本屋(写真左・中)が、とても懐かしい。翁は社会人になってからは、この街とも縁遠くなったが、貧乏学生時代は友人とよくこの界隈を歩き回ったものだ。たいがいは立ち読み(タダ読み)だったが、たまには内外の名作を1人1冊ずつ買う、読み終わったら本を交換し合うのが常だった。たしか1冊10円くらいからだった。貧乏学生の翁たちが買う古本は、高くて30円、30円はカレーライスが食えた時代だ。本を買ったその日の昼飯はジャム入りコッペパン(10円?)1個で済ませる・・・そんなことを思い出しながら“我が青春の思い出の街・神保町古書街”を歩いた。
“我が青春の思い出の街”と言えば、かの文豪・夏目漱石も青春時代をこの街(神保町)で過ごしたそうだ。歩いていたら『神保町・漱石フェス』のポスターを見かけた(写真右)。“漱石没後100年記念祭”(10月8日〜30日の土日)である。神保町交差点(小川町寄りの)直ぐ傍に“本の街の案内所”がある。そこには古書街一帯のマップや『古本まつり』、『漱石没後100年記念行事』に関係するチラシなどが置かれているし、古書店の所在地や本のジャンルなどを検索するパソコン数台も用意されている。そこのスタッフに『漱石と神保町の関わり』について訊いてみた。
漱石(本名・金之助)は(家庭の事情で)小学校は浅草、市ヶ谷を経て11歳の時、錦華小学校(現・お茶の水小学校)に転校、神保町の第一中学校(現・日比谷高校)、駿河台成立学舎(明治初期から明治25年まであった英語中心の予備校)から17歳で大学予備門(のちの第一高等中学校、のちの第一高等学校、現在の東大教養学部)に入学。この頃、神保町で下宿生活を始めた。11歳に錦華小学校に転校して来て、23歳で予備門を卒業し、東京帝国大学英文科に入学するまでの約12年間が、“漱石の神保町時代”ということになる。なお、明治の俳聖・正岡子規とは予備門時代に出会い、2人とも東京帝国大学へ。漱石は英文科、子規は哲学科へ(のちに国文科へ転科、1892年退学)とコースは分かれたが2人の深い絆(友情)は終生続く。更に追加情報――漱石も子規も1867年(慶応3年)生まれの同じ歳。来年(2017年)が2人の生誕150年に当たるので、愛媛県松山市をはじめ東京でも神保町、新宿・本郷・根岸(子規庵)などの各地で『漱石・子規生誕150年記念祭』が(今年12月頃から)予定されている。
『神田古本まつり』スタートの前日の10月27日は『文字・活字文化の日』、その日から翌月(11月)9日までが『読書週間』。「人々は本から知識・知恵・感性を学び、豊かな人間性を育む」と読書推進協議会は言う。翁はもう手遅れだが、それでも“秋の夜長”、(先日、神保町で買った漱石の、あまりメジャーでない小説)『二百十日』(阿蘇山に登る2人の青年の会話)と『趣味の遺伝』(日露戦争を冷ややかに描いた小説)を読もうと思っている。読み終わるのに“冬の夜長”までかかると思うが・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |