龍翁余話(422)「哲学堂公園」
4月27日は『哲学の日』――紀元前399年頃、ギリシャの哲学者ソクラテスが“人の道”“世の中のあるべき姿”を説いて時の権力者に反抗した罪で死刑を宣告され投獄された。弟子たちが“脱獄”を勧めたが、ソクラテスは「悪法も法なり。いざ、出発の時が来た。私たちはそれぞれの道を行く。私は死ぬ、あなたたちは生きる。どっちが良いかは神のみぞ知る」と言って毒杯を飲み、この世を去った。その日が4月27日――そもそも“『哲学』とは何ぞや”翁が愛用している辞書(大辞林)によると「愛知の学“知るを尊しとする”すなわち人は諸事を知ることによって人道と社会(世界)の真実を見極めることが出来る」とある。
翁が『哲学』と言うものに(ほんの一時的に)近づいたのは高校1年の時だった。漢文の
I先生の薦めだった。日本を代表する哲学者・京都大学名誉教授西田幾太郎博士(1870年〜1945年)の『西田哲学』(絶対矛盾的自己同一論)の本を渡された。そんな難しいことが16歳の少年に理解出来ようはずはない。I先生に解説して貰ったところ「相反する2つの対立物を、解消せず対立したままの状態で同一化すること。例えば、天と人は対立物であり、いくら人が天に近づこうとしても道は遠ざかるばかり。そこで発想を変えて“我は即ち天なり、天は即ち我なり”と悟った瞬間、天と人との概念的距離が縮まる。“武士道”が目指した境地もまた同じだ」――ますます分からない。そこで龍少年は、自己流の解釈をした「哲学とは他人に強制されるものではなく、己れの知力と経験力の中で培われていく“己れ自身の、人間として生きる道”、それを探すのが哲学である」と。そして龍少年は“自己解脱”を考えた。“自己解脱”――「我に2つの人格がある。1つは、己れが欲するままに行動する第1の自分(我儘=主観)と、その欲望に満ちた行動が善か悪か、美か醜かを見定める第2の自分(理性=客観)のバランスが“人間として生きる道”を示してくれる――かのソクラテスも言った「より良く生きる道を探し続けることが最高の人生だ」と。とは言え、元来、勉強嫌いな翁、構えて“哲学の道”を辿ろうとしなかった。その罰だろうか、失敗・後悔・反省の繰り返しの多いこれまでの人生だった。
陽春の某日、中野区の『哲学の道』を散策した。ここは正式には中野区立『哲学堂公園』。仏教哲学者であり、東洋大学の創設者である井上円了(いのうええんりょう)(1858年〜1919年)が、ソクラテス、カント、孔子、釈迦を祀った『四聖堂』(哲学堂)(写真左)をこの地に建立したのが始まりだそうだ。この公園には75の施設があって、全部を(丁寧に)回るには4時間くらいかかりそうだが、翁は急ぎ足の約2時間で主要な施設をカメラに収めた。どれもこれも紹介したいが、スペースの都合で(特に翁が気に入った)6施設だけをご覧いただくことにする。『四聖堂』と並列に建てられているのが『六賢台』(上写真中)、日本の聖徳太子、菅原道真、中国の荘子(紀元前369年〜286年、思想家・道教の始祖)、朱子(1130年〜1200年、儒学者)、インドの龍樹(りゅうじゅ=2世紀頃の高僧、全ての大乗仏教、八宗の祖師)、迦毘羅仙(かびらせん=紀元前300年頃の思想家)の東洋の6哲を祀った塔。『四聖堂』の対面にあるのが『宇宙館』(上写真右)、「哲学は、宇宙における真理を追究する学問である」ところからこの館が建立された、と説明板に記されている。
公園の入り口は新青梅街道側、中野通り側、新井薬師通り側の3か所あって、翁は中野通り側から入ったので分からなかったが新青梅街道側の入り口にある『哲理門』(写真左)が正門だそうだ。この写真には写っていないが天狗と幽霊が門の傍らにあり、天狗は物質界、幽霊は精神界の象徴であるとされている。『哲理門』の右の方に『三学亭』(写真中)がある。平田篤胤(ひらたあつたね=江戸時代後期の国学者・神道家・思想家・医者)、林羅山(はやしらざん=江戸時代初期の儒学者)、釈凝然(しゃくぎょうねん=鎌倉時代後期の東大寺の学僧)を奉崇している。そしてもう1つ『絶対城』(写真右)、絶対的な真理に到達せんと欲するならば、万巻の書物を読み尽すことである、との教えが込められている(哲学堂の)図書館である。(説明は全て施設前に立てられた説明板より)
園内の数か所に東屋(あずまや)がある。そこで昼食をとっている人たち、語らっている人たち、昼寝をしている人、いろんな人を見かける。とある東屋で談笑している(翁と同年輩の)男女と目が合い、どちらからともなく「こんにちは」と声を掛け合った。「いかがです?お茶がありますよ」ちょうど喉も乾いていたので翁「ありがとうございます」と言って二人のお招きに応じた。ご夫婦だった。ご自宅から持ってこられた魔法瓶の緑茶が、実に美味しかった。ご主人が言った「哲学とは縁のない私共ですが、時々、ここへ来て、これまで“生きてきたこと”、これからも少しばかり寿命があるとしたら“どう、より良く生きるか”を、(妻と)語り合うのが楽しみです」。翁、感動して言った「それこそが“哲学の道”だと思いますよ」――お二人の嬉しそうな笑顔が美しかった。いい出会いだった。
そして思った。やはり、ここ『哲学堂』は(ソクラテスの)“より良く生きる道を探す場所”かも知れない。春和の日差しが心地よかった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |