龍翁余話(419)「古民家探訪」
「古き良き時代の住まいで暮らそう!」とのキャッチフレーズで、都会暮らしの中高年者を対象に“田舎暮らし”を薦める地方自治体が増えている。都会の喧騒から逃れ、美しい自然の中に身を置き、ゆったりとした余生を田舎で過ごしたい、と“田舎移住”を志す人も多いそうだ。廉価な購入価格、賃貸価格も魅力の1つだろう。それに多くの自治体が、こぞって“人情に厚い町(村)”を謳っている。つまり過疎化が進む近年は移住者を“よそ者”扱いしないで“身内”として暖かく迎える下地(人的環境)が出来ているそうだ。
翁も時々、“田舎の良さ”に魅かれることがある。トイレ・風呂場・台所などの水回りは近代的でなければ困るが、そんなに大きくない(広くない)古民家に住むのもいいのでは、という考えもある。但し、翁の絶対必要条件は、近くにゴルフ場があること、更に近くに湖や牧場があって釣りや乗馬が楽しめること。また、週に1度くらいは、近隣の人たちとバーベキューをしたり、歌ったり語り合ったりして親睦を深めるのも楽しい。そんな話を(ゴルフ仲間に)すると、彼らは「無理、無理、そんな望みは“夢のまた夢”。それに龍翁さんは都会の騒音の中でしか生きられない人だ。」と(少しも)話に乗ってくれない。正直、“移住”は難しいかもしれない。しかし“夢のまた夢“であっても古き良き時代への郷愁、田舎と古民家(自然環境)への憧れは持ち続けたいと思っている。
10年程前、翁の“古い物好き”をよく知っている親友のCさんのご案内で東京・小金井公園内の『江戸東京たてもの園』を見学したことがある。二・二六事件で暗殺された『高橋是清邸』、三井財閥本家の『三井八郎右衛門邸』、江戸末期頃の『奄美の高倉(穀物倉)』、江戸後期の『八王子千人同心組頭の屋敷』(八王子千人同心とは、武蔵国多摩郡八王子に配置された下級武士身分の幕臣集団)などの古い建物が印象に残っているが、その後、日本の古民家を野外に展示した『日本民家園』と言うのが川崎市多摩区の生田緑地内にある、ということを知った。いつか行ってみたいと思っていたのに、もはや10年も経ったが先日(3月末日)満開の桜に誘われて、やっと実現することが出来た。
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車で生田緑地へ行く途中、桜の名所・緑が丘霊園(川崎市高津区)に立ち寄った、満開の桜並木(写真左)を走っていたら、突然、真っ赤な花の木に出会った(写真右)。車を止め、通りかかった老夫婦にその花木の名を訊ねた。親切なご夫婦だった。『花桃』(はなもも)と言い、実(み)は小さく食用には適さず鑑賞用に改良されたものだそうだ。何と鮮やかな“紅の八塩”(くれないのやしお=深みのある真っ赤な紅色)だろう。しばし見惚れる。
さて『川崎市立日本民家園』(昭和42年開園)――もう、この地に足を踏み入れた途端に“古き良き時代”へタイムスリップする。古民家の定義は定かではないが、通常は大正時代以前のものを指す場合が多い。ここの展示物20数棟はほとんどが17世紀から19世紀のものばかり。うち国の重要文化財が7棟ある。スペースの都合で(今号では)翁が気に入った建物6棟だけを写真で紹介するにとどめる。
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江向家(18世紀)(重文) |
佐々木家(18世紀)(重文) |
山下家(19世紀) |
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三澤家(19世紀) |
佐地家(19世紀) |
鈴木家(19世紀) |
『江向家』は越中五箇山の合掌造り。『佐々木家』は長野・南佐久郡の千曲川沿いの庄屋。『山下家』は飛騨白川郷の合掌造り。『三澤家』は長野・伊那街道にあった薬屋。『佐地家』は尾張藩士の屋敷入口部分。『鈴木家』は福島・松川(奥州街道八丁目宿)にあった馬宿。(以上の概説は『日本民家園』の資料より)
古民家は、農家・町家・武家屋敷などいろいろなタイプがあり、それぞれの生活習慣が偲ばれる味わい深いものばかり。長い歴史を経た古民家には、太い梁(はり)や大黒柱など黒光りがして、いかにも重厚な風格を感じさせる。また、古民家の魅力の1つに茅葺(かやぶき)屋根がある。大きく張り出した軒先は陽差しを遮り、冬は建物の奥まで陽光を届ける、実に合理的な(日本の風土に合った)構造になっている。材料(木材)選び、その土地・風土に合わせた建築手法など、先人たちの知恵の深さに驚く。思えば我々現代人は“先人に学ぶ”謙虚さを忘れてしまっているのではあるまいか、そんな反省と“懐旧への想い”を更に強めた“古民家探訪”であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。 |