好奇心旺盛で、何でも見てやろう精神の持ち主だったH氏は、アメリカ大陸を旅行中、三回、地域のコミュニティ主催の講演会を覗きに行ったそうです。うち、二回はニューヨークとロサンゼルスで、それぞれ日本国大使館、総領事館主催のものであり、講演も進行も日本語だったそうですが、一回はシカゴの大学と博物館が現地のアメリカ人向けにおこなった文化講演会で、当然ながらすべて英語で、内容は殆ど理解できなかったそうです。
英語が苦手だった彼が、シカゴでなぜ理解不能な講演会に参加したのか、それはひとえに“現地を知る。好奇心”故だったようです。
ロサンゼルスでの講演会は私も同行しました。日本国の総領事館の職員から『海外在留邦人の安全と当地の治安情勢』というテーマでの話でした。
さて、三回の講演会に参加したH氏の感想総括は「こちらの講演会は活気がありますね」でした。H氏はこの種の文化講演会が好きで、日本では何度もいろいろな集いに出かけているそうです。
彼がいうには「日本では講演の後の質問の時間になっても会場がシーンと静まりかえって誰も発言しなかったり、質問者がいてもせいぜい数人だったりすることがしばしばです。時には気まずくなった司会者が無理に質問を作ったりして・・・。ところがアメリカの講演会では次から次へと質問者が立ち上がっていました。いつ終わるのか心配したくらいでした。それも聴衆が日本人だったニューヨークとロサンゼルスの講演会でも同じ傾向なのでびっくりしました」
一般にアメリカは「個人主義」の国といわれ、「個の自立による自己主張」がすべての考え方の原点であり、その上で家族、社会、国が形成されているのだといわれます。したがって、ひとりひとりが自分の意見を持ち、さらに他人の前で陳述することに抵抗が少ないといわれます。また、幼児期のころから自己主張をする躾(しつけ)、教育を受けているといわれます。特にアメリカは多民族による移民集団の国ですから、もともと集団ごとの根元の文化が異なり、“黙っていてはわかりあえない”側面があるのではないでしょうか。
他方、日本人の場合はどうでしょう。最近は日本もアメリカ式文化に大きく影響され感化されて変わりつつあるようですが、でも、やはり日本人の心の中心は“和”の精神(言い方を変えれば、ことなかれ精神)であり、自己主張より謙譲、相互理解ではないでしょうか。
私は
日本人としての誇りを持っているので、「和と謙譲、相互理解」こそ人類究極の美徳であると信じていますが、でもアメリカを含む国際社会では「沈黙は金」だけではやっていけず、時には「沈黙は禁止」の必要を感じます。言うべきことははっきりという――これがコミュニケーションの第一歩であり、特に異文化交流の原点のようです。
以前、オバマ大統領と初の日米首脳会談に臨んだ我らの安倍首相が、日本を取り巻く安全保障問題に関して、内外記者団に対し、「黙っていてもわかってもらえる世界ではない。わが国として主張すべきところは主張する」と強調していました。日本のリーダーといえども、国際社会の中にあっては国益を護るため、ときには「和と謙譲、相互理解」の精神に反する主張をせざるをえません。敢えて暴論を吐けば「自己主張こそ国際化の第一歩」かもしれません。
話題をH氏の感想「こちらの講演会は活気がありますね」に戻しますが、彼の感想に「聴衆が日本人だった講演会でも次から次へと質問が飛び出し、同じ傾向なのでびっくりしました」とありました。このような集会に出てくる聴衆が若く、アメリカ文化に大きく感化された人々であったこともその一因でしょうが、それだけではないと私は思っています。
日本人もアメリカにある程度長期にいると、競争が中心のこの国から疎外されないため、知らず知らずのうちに自己防衛のための自己主張を身につけるようになっていくようです。はじめのうちは自分の考えをずばりいうことに慣れていないため、躊躇していたものが、生きるために変化してしまうのでしょう。
アメリカ帰りの日本人が“むやみに自己主張する”、“理屈っぽい”、“年長者や目上の人を敬わない”などと、日本で非難される話を耳にしますが、これも良くいえば“国際化”、悪くいえば“麗しき日本文化の衰退”といえましょう。
河合 将介( skawai@earthlink.net ) |