ターミナルアイランド 古里 A
和歌山県の日本人が新天地を求めてサンペドロのターミナルアイランドに住み始めたのは1900年頃、その頃すでにイタリアからもたくさんの移民が移り住みこの港町は活気に溢れていたそうだ。DVDの映像はターミナルアイランドの日本人村で行われた盆踊りの様子や神社での成人式、お正月、家の路地裏で遊ぶ子供の写真など、まるで昔の日本と変わらない風景が映し出されていた。その映像と交互にその町で生まれ育った日系2世の人達の話が語られ紹介されていく。 Libbyさんからターミナルアイランドの話を聞いた後に、このターミナルアイランドで生まれ育ったという日系2世の人達から偶然、その話を聞く機会があった。 Aさんのお父さんは漁師で母親はターミナルアイランドにある日本人経営の缶詰工場で働いていたと言った。夜中でもいつでも船が港に戻るとターミナルアイランドに鐘が鳴り響く。そうすると女たちは飛び起きて工場に走っていったと言う。大漁の日はいつ帰ってくるかもわからない母親を待ちながら兄弟だけで食事をしたと話してくれた。日本人は真面目で働き者、そう言われるようになったのも日系1世2世の働きぶりがあったからだろう。DVDを見ながらLibbyさんがまた声をあげた。“ これだ、これだ!僕が見たのはこれだよ”と空を泳ぐ鯉のぼりを指して言った。Libbyさんが言っていたwindsocks(吹き流し)の意味が最初はわからなかったのが、この時に映像を見て彼が見たのは鯉のぼりの事を言っていたのだとわかった。青い空に鯉のぼりが泳ぐ、のどかな村の風景が映し出されていた。ターミナルアイランドの一角には豆腐屋さんもあったし、剣道や柔道のクラブもあったそうだ。
|
|
|
|
|
|
Workers in Terminal Island |
Japanese Fisherman |
Japanese Town |
この村で生まれ育ち漁業を営み生活をしていた人達の平和な村の暮らし。1941年12月7日真珠湾攻撃を切っ掛けに当時の米国大統領ルーズベルトはカリフォルニアに住む日本人の血を引く人達を全て48時間以内に1人1つのスーツケースだけを持ってそこから立ち退くよう命令された。そしてターミナルアイランドに住む日系人も全員収容所に荷物のように送られた。48時間後のターミナルアイランドはまるでゴーストタウンのようだったらしい。Libbyさんはその時、海に捨てられたスーツケースをいくつか見たそうで今でもはっきり覚えていると言った。慌てて荷作りをしても持って行けない荷物は諦めて海に捨てて行ったのだろうか…翌年の1942年2月25日その日はターミナルアイランドの人達の故郷が消えた日。国の命令によって、ブルドーザーによって家々は壊され撤去された。それ以来ターミナルアイランドは海軍の使用地になった。
それから40年後の1982年レーガン大統領が公式に当時ルーズベルト大統領行政命令9066号は軍事的必要性によって正当化できるものではない。人種差別と戦時ヒステリーが引き起こした政治指導者の失策であったと認め米国の日系人に謝罪をした。
そして戦後60年が経った2002年、ターミナルアイランドに住んでいた日本人達が失われた古里、ターミナルアイランドの記念碑を建てた。ほんの一角ではあるけれど神社の鳥居と日本の漁師たちの銅像が建てられている。
1900年から、たった41年だけ存在していたターミナルアイランドの日本の漁村。
今も当時そこに暮らしていた人の心の中に古里として、その漁村は存在している。
最後にLibbyさんの了解を得たので彼のEmailのコメントをシェアさせてもらおうと思う。
I remember that village very very well.I use to walk by the village
every Saturday morning when I would go see my dad unloading the
sardines in fish Harbor and I used to admire all the Japanese
windsocks they would fly on the front porch. I have a very vivid
memory of that Japanese village. My father would buy the groceries
for the fishing boat from the Japanese market on terminal Island
which was called Murogama grocery store. The Japanese people were
very good fisherman and they were very honest people. Libby
茶子 スパイス研究家 |