Zakkaya Weekly No.89
Ryo Onishi 1/25/98 No.88 バックナンバー Homepage
ここのところサウスベイに雨が降らないですね。エルニーニョはどうなったのでしょう。車のワイパーブレードを替えようとずっと思っているのですが、雨が降らないとついつい忘れてしまいます。ところで日本の降雨量は結構なものだと思いますが、サウジアラビアの降雨量より少ないといったら、「うそー」と言われそうですね。国民一人当たりの降雨量で比較すると日本はなんとサウジアラビアの四分の一、イランの二分の一しかないそうです。じつはこれマンガ「美味しんぼ60」に載っていたんです。夏になるとダムの水が干上がってしまっている光景をニュースなどで見るたびに、今の私たちの生活は水を多く使い過ぎているのではないかと考えさせられます。今から、ひとりひとり気をつけたいものです。 (R.O)
私の世紀末−(3) 前進発想のススメ(2)
よく「前向き発想」という表現がありますが、今回私がこの文章のタイトルに掲げた「前進発想」とはどう違うのでしょうか。「前向き」という言葉は 日本人が好んで使う表現です。「前向きに善処します」などはその典型でしょう。ご存知の通り、この「前向きに善処」とは「お断りする / 実行する気はない」の丁寧語的言い回しです。「前向き」を英悟に直訳すると“in a forward-looking manner” とでもなるのでしょうか。この英文のどこにも否定のニュアンスはありません。ところが日本語で「前向きに善処・・」となると話は逆転します。どうも日本語は相手に気を遣い過ぎ、あいまいな言い回しが多いようです。確かに「前向き」と言ったって前に進むとは限らず、「前向き、後退(後ずさり)」という事だってありうる訳ですけれど・・。私は日本語の「あいまい表現」は好きですが、「前向き善処」のような表現は好ましくないと思っています。そこでタイトルも「前向き、前進」という想いを込めて「前進発想の・・」としました。
昨年のNHKテレビ大河ドラマ「毛利元就(脚本:永井路子)」に こんなシーンがありました。厳島に陣を張る 陶 晴賢(スエハルタカ)率いる大内軍に 嵐を突いて奇襲を仕掛けるべく激をとばす毛利元就の言葉です。
「人間には三つの坂がある。上り坂と下り坂、そしていま一つは『まさか』という坂じゃ。この『まさか』の時の人の動きが、人を上り坂に押し上げるか 下り坂に突き落とすかを握っておるのじゃ。今、陶(スエ)にとっても この毛利にとっても、その『まさか』の時じゃ。まさか攻めては来ぬだろうと思う 陶(スエ)と、まさかを突くこの毛利。皆々の心配はもっともじゃ。なれどなあ、何も初めから船が沈むと決めてかかる事はないのじゃ。先々 起こるやも知れぬ不幸ばかりを考えておっては、その事の方が不幸じゃ。この嵐ならば、陶(スエ)も恐らく油断しておろう。我らはそこを突くのじゃ。」(第41回、厳島奇襲)
さすが毛利元就です。私はこの言葉に 「前進発想」 のすべてが凝縮されていると思いました。同じTVドラマ「毛利元就」 でもう一人の登場人物に 尼子方の武将、山中鹿之介がいますが、彼の有名な 「願わくば、我に七難八苦を与え給え」 というセリフも私のすきな言葉の一つです。
宮本武蔵は20才にして 「我、事において後悔せず(吉川英治 著)」 と言い、また 「我以外、皆我が師なり」 とも言ったそうです。私なぞ 還暦を迎えてなお まるでダメ。自分の欠点が見え過ぎて、「後悔先にたたず」 どころか「後悔あとを断たず」 といったありさまです。 でも そこでくじけちゃ「前進」 が泣くぞ。私はまだまだ “ ○○Years Young ”なのだから、先ず自分の欠点を素直に認めた上で、その欠点とも仲良くし、未来を信じて「来世紀」 のため、 「前進発想」 を実のある結果に結びつけたいと思っています。「私の世紀末」を 意義あるものにするべく今年も頑張ることにしよう。
―――年を重ねただけで 人生は老いない、理想を失う時に 初めて老いる(サミエル・ウルマン)―――
河合将介 skawai@wakao.com
健康の方程式 「生き物は息物」 西尾誠一郎
ゴルフが好きな人なら誰でも塩谷信男医学博士のことをご存知でしょう。94歳で3度目のエイジ・シューターとなり、ギネスブックにも載っていると言われます。週間ゴルフダイジェストには今も「ボビーよ、待っとれ」を連載中の元気な老人です。
私は1昨年、彼の本を高島さんから借りて読み、正心調息法という酸素を最大効率で簡単に取り入れる呼吸法を知りました。そして昨年9月ロスに快医学の瓜生良介先生が来られた時、私が呼吸法の話をすると、瓜生先生から すぐ塩谷先生の正心調息法をすすめられ、ますます呼吸法の大切さを感じました。昨年11月「ガンは自分でなおせ」の著者で、ご自分の急性骨髄性白血病を克服された間瀬健一さんにお会いした時、「治療で一番効果があったものの一つは呼吸法だったと思う」と言われた時は、ますます意を強くしました。
私は一番具合が悪かった時、お腹が固くなって腹式呼吸がほとんどできなかったことを思い出しました。今でも2時間も同じ姿勢を続けて本を読んだり、座って人と話しをしたら、腰がいたくなり大きな呼吸ができなくなります。そんな時は、やわらかい野球のボールの上に仰向けになって体重をかけながらゴロゴロマッサージをしてから、大きく呼吸します。散歩をする時もなるべくあごを引き、へそを突き出し恥骨を引いて姿勢をよくし、なるべく深く呼吸できるよう心がけています。散歩以外でも気がついたらそうしています。今回はそういう気持ちにさせた塩谷先生の健康法について紹介しましょう。
塩谷先生は1902年3月生まれの95歳、もうすぐ96歳になります。「病気の百貨店」と揶揄(やゆ)されるほど、幼少から青春時代病弱で、何度も生死の淵をさまよいました。それだけに小さい時から「健康になりたい」という思いは人一倍強く、健康によいと言われることはなんでも試したといいます。東大教授で、腸チフス菌を発見した二木謙三博士の提唱する「二木式腹式呼吸法」という健康に出会ったのが14歳の時でした。ヨーガや太極拳といった健康法にしても共通するのは腹式呼吸であると気づいた塩谷先生は、ありとあらゆる呼吸法を試し、60歳の時、独自の呼吸法「正心調息法」を完成させました。
先生は昨年「大健康力」(ゴルフダイジェスト社版)という本を書き、脳・からだ・臓器を構成する60兆個の細胞群は酸素の力で蘇ることを強調しています。「生きる」とは「息をする」こと、生きとし生ける物はみな「息物」、大きく深呼吸し、体内にいっぱい酸素を取り入れることが大切だといいます。英語のアニマルはラテン語の"Anima"を語源とし「呼吸」「生命」という意味があるのです。
現代人はみな酸欠という先生はこんなエピソードを披露しています。先生が74歳でエベレスト体験したときです。ネパールの首都、カトマンズ(標高1300m)から標高3800mのホテルの飛行場まで、小型のプロペラ機で、20分で一気に上がった時です。先生を除いて総勢16名のツアー参加者全員が高山病にかかってしまったのです。前年の1回目のツアーも全員高山病にかかり、エレベストを見れないで帰国していました。先生が参加者15名を診察すると、頭痛、めまい、動悸、息切れ、嘔吐、全身の急激な苦痛、さらには衰弱と現れた症状にはさまざまな個人差がありましたが、すべて酸素の欠乏が引き起こしているとしか考えようがありません。
飛行場の近くに東京医大の高山病研究所があり、開設から数年と日が浅いにもかかわらず、10名以上の方が高山病で亡くなっていたのです。人間は酸素が少し足りないだけで簡単に死ぬのです。74歳という最高齢の先生一人が元気だったとは!
先生は、その理由は体にある60兆個の細胞が摂取している酸素料の違いしかないと気づかれたのです。
(以下 次号につづく)
編集後記
最近また、「文字化けしている」とか「うまく読めない」といったお便りが読者から届きます。申し訳なく思っています。そういう読者には別の方法で送るなどして対応しています。でもそんな連絡でも来ると発行者としては嬉しいものです。本来、雑貨屋はみなさんからの情報を集め、それを読者の皆さんにお知らせしようというものですからどうぞご遠慮なく投稿してくださいね。こんな私でも好きなことを書いているのですから。
Zakkaya Weekly No.89
雑貨屋店主 大西良衛 ronishi@earthlink.net